意次は工藤平助の意見を採用して、それまで松前藩(まつまえはん)に経営を任せていた蝦夷地の直轄(ちょっかつ)を計画しました。さらに1785年には最上徳内(もがみとくない)らを蝦夷地に派遣(はけん)して調査させ、当時の民間商人が蝦夷地でアイヌを通じてロシアと交易していたのを知ると、意次はこれらの交易も幕府の直轄にしようと考えました。
また意次は、アイヌの人々の生活の向上を目指して農作業を教えようとまで計画するなど、アイヌの自立も目指していました。これは、それまで松前藩がアイヌの生活を安定化させると、藩の財政を支える鮭(さけ)や毛皮などをとって来なくなるからという身勝手な理由で農民化を禁止していたのとは全く正反対の政策でした。
意次の蝦夷地に関する政策は実に開明的であり、またロシアとの交易も視野に入れていたという事実は、我が国の自主的な開国をうながすことにもつながり、吉宗によってまかれたタネが意次の政策で芽を出して成長し、大きな花を咲かせる可能性を期待させました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
それまで肩身の狭い思いで生きていたアイヌの人々はロシアとの活発な公益をしていたお陰で、幕府にもその功績が認められたという事ですか・・。
またその事にいち早く気づき着手した意次の素早い行動力は、人よりも優れた先見の明があったからこそですね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、松前藩のもうけの為だけにこき使われる存在ではなく、ロシアと幕府との交易の橋渡し役として意次はアイヌに期待をかけていたのだと思います。先見の明がなせる業ですよね(^^♪
アイヌ☆アイヌ☆
クラチー おお、ついに蝦夷地が!
アイヌの人って「ヒゲモジャ男」「ブス面女」で描かれている絵画とか見かけるから、
差別が露骨に表現されているんですよね。
まったく、田沼さんを見習えぃ!
(-m-#)
クラチーさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、アイヌに対する偏った表現が差別を助長させている一面は否定できませんよね。
「同じ人間だから」とアイヌと日本人の区別をしなかった田沼意次の政策は素晴らしいと思います。ただ、その後が…。
それまで肩身の狭い思いで生きていたアイヌの人々はロシアとの活発な公益をしていたお陰で、幕府にもその功績が認められたという事ですか・・。
またその事にいち早く気づき着手した意次の素早い行動力は、人よりも優れた先見の明があったからこそですね^^
応援凸
アイヌの人って「ヒゲモジャ男」「ブス面女」で描かれている絵画とか見かけるから、
差別が露骨に表現されているんですよね。
まったく、田沼さんを見習えぃ!
(-m-#)
「同じ人間だから」とアイヌと日本人の区別をしなかった田沼意次の政策は素晴らしいと思います。ただ、その後が…。