干拓事業の主な目的は新たな農地の開発でしたが、付近を流れる利根川(とねがわ)からの水路(すいろ)を開削(かいさく)して、江戸への物資輸送の近道を造ることも大きな目標でした。この事業が完成すれば、江戸と北方とを結ぶ船の航路の大幅な短縮が見込まれ、商品流通の活性化が期待されていましたが、無念にも1786年に起きた大洪水によって、干拓は失敗に終わってしまいました。
一方、意次は長崎における貿易にも力をいれました。それまで縮小気味だった貿易の規模を拡大し、金銀を積極的に輸入するという、いわゆる外貨(がいか)の獲得を目指したのです。しかし、輸入の量を増やそうと思えば、それに見合うだけの輸出量を確保しなければいけません。
そこで意次は、輸出品として国内で産出量が増えていた銅(どう)や、海産物(かいさんぶつ)としてイリコ(ナマコの腸を取り出して煮た後に乾燥させたもの)やホシアワビ(アワビの身を取り出して煮た後に乾燥させたもの) 、フカノヒレ(サメのヒレを乾燥させたもの)といった俵物(たわらもの)の使用を促進(そくしん)しました。外貨の獲得のために特産物の増産をはかることも、重商主義による一つの成果といえます。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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HANA子 現在の日本では町おこし村おこしなどの手段として新しい特産品の開発が行われていますし、貿易の話としてみれば新技術の開発と製品化っていうのは絶えず行われていますものね
この時代、幕府の財政再建を企図した外貨獲得の手段としても特産品の開発が行われていたということとこれらは同じ意味合いを持ってるように思います
そう考えると経済や政治の根っこというものは過去と現在、そしておそらくは未来においても大きく変わるものではないのかなとも思いました
HANA子さんへ
黒田裕樹 特産品頼りは確かに今も昔も変わっていませんね。
それだけ重要な意味を持つということなのでしょうし、そこにいち早く気づいた幕府と、推奨した意次の政治手腕の高さがうかがえます。
オバrev 我々零細企業は、規模も小さく資金的な余裕もないので、一気に大きく投資して需要をかっさらって行く大企業のような事はできません。
大企業に飲み込まれないためには、新田開発もしながら自分の強みを生かした特産品作りというのが生命線だと言われていますが、その成果について既に江戸時代に実証されていたとは驚きです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
自己の強みを生かした政治ができるかどうかがカギを握ると分かり、それを実行する。
こんな身近な成功例があるのですから、歴史を学ぶことがいかに重要かが分かるというものです。
干拓
ろっぽん ここに来る前に浅野さんという中学校の先生のブログで知ったのですが、江戸の大半が干拓だそうですね 埼玉の浦和まで浦が広がった江戸すなわち河の出口という意味そうですね
しかしFCの投稿は、面倒くさいですね。ここまで2重にする必要があるんですかね
ろっぽんさんへ
黒田裕樹
なるほど、地名をたどればどこまでかかつての陸地ががよく分かるんですね。東京の地名にやたらと「谷」や「台」がおおいのも、かつては小山だらけだったという名残でしょうし。
コメントの件、ご迷惑をおかけします。私の場合、内容が公序良俗に反しないかどうかどうかを判断するために承認制にしていますので、ご理解いただきますようお願いします。
この時代、幕府の財政再建を企図した外貨獲得の手段としても特産品の開発が行われていたということとこれらは同じ意味合いを持ってるように思います
そう考えると経済や政治の根っこというものは過去と現在、そしておそらくは未来においても大きく変わるものではないのかなとも思いました
それだけ重要な意味を持つということなのでしょうし、そこにいち早く気づいた幕府と、推奨した意次の政治手腕の高さがうかがえます。
大企業に飲み込まれないためには、新田開発もしながら自分の強みを生かした特産品作りというのが生命線だと言われていますが、その成果について既に江戸時代に実証されていたとは驚きです。
自己の強みを生かした政治ができるかどうかがカギを握ると分かり、それを実行する。
こんな身近な成功例があるのですから、歴史を学ぶことがいかに重要かが分かるというものです。
しかしFCの投稿は、面倒くさいですね。ここまで2重にする必要があるんですかね
なるほど、地名をたどればどこまでかかつての陸地ががよく分かるんですね。東京の地名にやたらと「谷」や「台」がおおいのも、かつては小山だらけだったという名残でしょうし。
コメントの件、ご迷惑をおかけします。私の場合、内容が公序良俗に反しないかどうかどうかを判断するために承認制にしていますので、ご理解いただきますようお願いします。