家康自身は決して商行為を嫌っているわけではなく、江戸幕府成立直後には海外との貿易を積極的に考えていたほどの重商主義(じゅうしょうしゅぎ、商業を重視すること)者でしたが、朱子学が広まるにつれて、幕府の政策は次第に商業に対して否定的な路線を進むようになってしまいました。
そもそも儒教の世界において、商行為には生産性が全くないうえに「100円の価値しかないものを120円で売る」という行為自体が「いやしい」と見なされ、道徳的に認められていませんでした。江戸時代の身分制度として有名な士農工商(しのうこうしょう)で、商人が最下層(さいかそう)とされている本当の原因でもあります。
江戸幕府の政策においては、商行為は「悪」とみなされていると言っても過言ではなく、商人がどれだけ利益を上げても、彼らから所得税(しょとくぜい)や法人税(ほうじんぜい)を集めるという発想自体がありませんでした。もちろん吉宗もその例外ではなかったのです。
このような組織が政治の実権を握った場合には、現代では当然のごとく重要視されている経済政策が全く考慮(こうりょ)されなくなります。それゆえに吉宗による享保の改革も経済問題に関しては迷走(めいそう)を続けることになったのでした。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
現代でもよく商売を営みながら、商売が下手だと言われている人というのは、この商行為という
考え方に徹する事が出来なくて、正直に商売をしてしまって結局、店を潰してしまう事になってしまうのだと私も思います。儒教ばかりではなく、人道的に正しい行いをしていこうと思う前には、商魂逞しさは正直、相反する考えであり、その時点で悩んでしまう人には真の商売人の素質は受け付けられないものだと思いますね。
宮澤賢治も自身が身につけた仏教観が実家の稼業の商売の考え方と相反する事に悩み、自分の考えに反して生きる事に違和感を感じていた彼は教師という道を選んだ訳ですが、またその道を選んだ事で自分の寿命を縮めたとしてもこれは致し方ない事だったのでしょうね。それでも宮沢賢治は尊敬する人物の一人です^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 商行為と儒教は確かに相容れないところがありますからね。
ただ、石田梅岩によって「商人道」が確立されてからは明らかに変化しています。時代の流れに乗れない考えが、結局足を引っ張ってしまうんでしょうね。
へえ~
クラチー そういえば昨日は大阪講演でしたね。お疲れ様です!
…はっ!っていうことは、
東京に来るのは今週末!?あわあわ…!
{{(・・;)}}
「士農工商」って、
「農民の不満をちょっとでも減らすために、工商を下にした」
って感じで学んできたんですが、実は朱子学の考えも含まれていたんですね。
どうりで当時、消費税とか法人税とかをやるって考えが無かった訳だ。
(-m-;)
…あれ?
江戸時代にそういうのを始めた先駆者って…。←
クラチーさんへ
黒田裕樹 > そういえば昨日は大阪講演でしたね。お疲れ様です!
> …はっ!っていうことは、
> 東京に来るのは今週末!?あわあわ…!
> {{(・・;)}}
有難うございます(^^♪
そうですよ~(´∀`)
いよいよ土曜日に東京講演です!
> 「士農工商」って、
> 「農民の不満をちょっとでも減らすために、工商を下にした」
> って感じで学んできたんですが、実は朱子学の考えも含まれていたんですね。
> どうりで当時、消費税とか法人税とかをやるって考えが無かった訳だ。
> (-m-;)
朱子学の悪い面がまともに出てしまってますよね(´・ω・`)
取れるところから取るのが税の基本ですが…。
> …あれ?
> 江戸時代にそういうのを始めた先駆者って…。←
さて、誰でしょう!?
もうすぐ明らかになりますよ(^_^)v
タカシ☆TZR 「士農工商」というのは「身分制度」なんでしょうか?
幕府がそういう制度を制定したわけではなさそうだし,
あくまで儒学者が勝手に言ってただけの序列のように思います.
先に指摘した「藩」の呼称と同じような感じで.
実際のところ工と商の身分が厳密に区別されていたわけではないし,
農が商いをすることもあったわけですよね.
幕府が制度としての「士農工商」を明文化してたりするのかなぁ.
オバrev 我々は日教組左翼教育を受けましたが、吉宗の頃の価値観の影響が、続いていたことを痛感しますね。
特に商売をやっていると、この商行為と本来価値有るものに正当に請求できる金額に対する後ろめたさを感じるのは、そういう教育があったからだと思います。
その辺で感心するのが大阪です(^o^)
大阪だけは違ったんですかね?
タカシ☆TZRさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、士農工商は儒教由来の言葉ですので、江戸時代の実際の制度とは必ずしも一致していません。
「商業が最下層」というのも儒教の考えであり、その思想が江戸幕府にも存在したことで商人を蔑視していたという一面は確かにあったと考えられますが、現実の世界での実証研究はこれからのようです。
一方、士農工商が使われだしたのは階級史観に原因があるようですね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 一方的な見方だけを押し付けるのが正しい歴史教育かと問われれば、確かに疑問符を付けざるを得ないと思いますね。
商業に関しては、大坂では確かに違った可能性がありますが、後日紹介する石田梅岩の存在も大きかったと思います。
現代でもよく商売を営みながら、商売が下手だと言われている人というのは、この商行為という
考え方に徹する事が出来なくて、正直に商売をしてしまって結局、店を潰してしまう事になってしまうのだと私も思います。儒教ばかりではなく、人道的に正しい行いをしていこうと思う前には、商魂逞しさは正直、相反する考えであり、その時点で悩んでしまう人には真の商売人の素質は受け付けられないものだと思いますね。
宮澤賢治も自身が身につけた仏教観が実家の稼業の商売の考え方と相反する事に悩み、自分の考えに反して生きる事に違和感を感じていた彼は教師という道を選んだ訳ですが、またその道を選んだ事で自分の寿命を縮めたとしてもこれは致し方ない事だったのでしょうね。それでも宮沢賢治は尊敬する人物の一人です^^
応援凸
ただ、石田梅岩によって「商人道」が確立されてからは明らかに変化しています。時代の流れに乗れない考えが、結局足を引っ張ってしまうんでしょうね。
…はっ!っていうことは、
東京に来るのは今週末!?あわあわ…!
{{(・・;)}}
「士農工商」って、
「農民の不満をちょっとでも減らすために、工商を下にした」
って感じで学んできたんですが、実は朱子学の考えも含まれていたんですね。
どうりで当時、消費税とか法人税とかをやるって考えが無かった訳だ。
(-m-;)
…あれ?
江戸時代にそういうのを始めた先駆者って…。←
> …はっ!っていうことは、
> 東京に来るのは今週末!?あわあわ…!
> {{(・・;)}}
有難うございます(^^♪
そうですよ~(´∀`)
いよいよ土曜日に東京講演です!
> 「士農工商」って、
> 「農民の不満をちょっとでも減らすために、工商を下にした」
> って感じで学んできたんですが、実は朱子学の考えも含まれていたんですね。
> どうりで当時、消費税とか法人税とかをやるって考えが無かった訳だ。
> (-m-;)
朱子学の悪い面がまともに出てしまってますよね(´・ω・`)
取れるところから取るのが税の基本ですが…。
> …あれ?
> 江戸時代にそういうのを始めた先駆者って…。←
さて、誰でしょう!?
もうすぐ明らかになりますよ(^_^)v
幕府がそういう制度を制定したわけではなさそうだし,
あくまで儒学者が勝手に言ってただけの序列のように思います.
先に指摘した「藩」の呼称と同じような感じで.
実際のところ工と商の身分が厳密に区別されていたわけではないし,
農が商いをすることもあったわけですよね.
幕府が制度としての「士農工商」を明文化してたりするのかなぁ.
特に商売をやっていると、この商行為と本来価値有るものに正当に請求できる金額に対する後ろめたさを感じるのは、そういう教育があったからだと思います。
その辺で感心するのが大阪です(^o^)
大阪だけは違ったんですかね?
「商業が最下層」というのも儒教の考えであり、その思想が江戸幕府にも存在したことで商人を蔑視していたという一面は確かにあったと考えられますが、現実の世界での実証研究はこれからのようです。
一方、士農工商が使われだしたのは階級史観に原因があるようですね。
商業に関しては、大坂では確かに違った可能性がありますが、後日紹介する石田梅岩の存在も大きかったと思います。