幕府は元禄小判(げんろくこばん)のように貨幣の改鋳(かいちゅう)を行ったり、江戸・大坂・京都の三都(さんと)の商人に対して御用金(ごようきん)を命じたりしましたが、財政難に対する根本的な対策とはなりませんでした。
また諸藩も同様に財政難に苦しんでおり、蔵米(くらまい、大阪の蔵屋敷に輸送する年貢米のこと)を担保(たんぽ)として蔵元(くらもと)や掛屋(かけや)から借金をしたり、独自の藩札を発行したりしたほか、家臣の俸禄(ほうろく)の半分のみを支給したり、特産品の専売に踏み切ったりしました。
同じ武士である旗本や御家人の生活はさらに厳しくなり、禄米(ろくまい)を担保に札差(ふださし)から借金をしたり、あるいは内職をしたりするばかりでなく、なかには裕福な町人を養子に迎えて武士の身分(=御家人株)を売買する者まで現れました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
御家人株というのは、やはり士農工商の時代だからこそ、、価値は十分にあったものだったんですね。
肩書きが欲しい町民の間では、そういう裏取引が
平然とされていたんですか。
この程、震災証明書をわざわざ売りに出して、お金にしようとする人も出ているとの話を聞いて驚いたりしましたが、背に腹は変えられない理由がそこにあったのでしょうけれどね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、背に腹は代えられない事情というのは現代にもあるものなんですね。
裏取引が平然とまかり通る世の中は決して望ましいものではないはずですが…。
しー 最近不思議に思ったこと聞いても良いでしょうか…?
「大坂」っていつから「大阪」になったのでしょうか?
そして、何故変わったのでしょうか?
(うーん…なんかすごく小さいこと聞いてしまった感が…←)
こんばんは
ryo 武士の身分を売買するなんて、ちょっと情けない話ですね。ところで、有力商人の中で、大阪では淀屋橋という橋ができるぐらい淀屋が有名ですよね。wikiでも少し勉強してみましたが、相当な豪商だったんですね。もし財産没収をされなかったら、現代では三菱、住友財閥を凌ぐ財閥になっていたんでしょうか。
しーさんへ
黒田裕樹 > 「大坂」っていつから「大阪」になったのでしょうか?
> そして、何故変わったのでしょうか?
明治政府がそれまでの「大坂」から「大阪」を正式な表記にしたのは間違いないようです。
その理由については諸説ありますが、坂という字が「土に返る」と読めて縁起が良くない、というのが有力とされているようですよ。
> (うーん…なんかすごく小さいこと聞いてしまった感が…←)
いえいえ、こういう小さな疑問を一つ一つ解決していくことが重要なんです。
なた何でもご質問下さいね(^^♪
ryoさんへ
黒田裕樹 淀屋には様々な伝説がありますからね。豪商といっても目立ちすぎるのはやはり叩かれてしまいますね(現代でもそうですが…)。
もし生き残っていれば、成長次第では十分財閥となった可能性もありますね。
御家人株というのは、やはり士農工商の時代だからこそ、、価値は十分にあったものだったんですね。
肩書きが欲しい町民の間では、そういう裏取引が
平然とされていたんですか。
この程、震災証明書をわざわざ売りに出して、お金にしようとする人も出ているとの話を聞いて驚いたりしましたが、背に腹は変えられない理由がそこにあったのでしょうけれどね。
応援凸
裏取引が平然とまかり通る世の中は決して望ましいものではないはずですが…。
「大坂」っていつから「大阪」になったのでしょうか?
そして、何故変わったのでしょうか?
(うーん…なんかすごく小さいこと聞いてしまった感が…←)
> そして、何故変わったのでしょうか?
明治政府がそれまでの「大坂」から「大阪」を正式な表記にしたのは間違いないようです。
その理由については諸説ありますが、坂という字が「土に返る」と読めて縁起が良くない、というのが有力とされているようですよ。
> (うーん…なんかすごく小さいこと聞いてしまった感が…←)
いえいえ、こういう小さな疑問を一つ一つ解決していくことが重要なんです。
なた何でもご質問下さいね(^^♪
もし生き残っていれば、成長次第では十分財閥となった可能性もありますね。