このほかの朱子学派としては、戦国時代に活躍(かつやく)した南村梅軒(みなみむらばいけん)を祖とする南学(なんがく)があり、土佐の谷時中(たにじちゅう)に受け継がれた後には野中兼山(のなかけんざん)や山崎闇斎(やまざきあんさい)らが出ました。
闇斎は僧侶(そうりょ)から儒者となり、我が国古来の神道(しんとう)を朱子学的に解釈した垂加神道(すいかしんとう)を説き、大義名分から皇室を尊敬することを教え、後の尊王論(そんのうろん)の基礎となりました。
朱子学以外の儒学としては、中国の明(みん)の王陽明(おうようめい)を始祖(しそ)とする陽明学(ようめいがく)を中江藤樹(なかえとうじゅ)や熊沢蕃山(きまざわばんざん)らが学び、知行合一(ちこうごういつ、本当の知は実践を伴わなければならないということ)による実践主義(じっせんしゅぎ)を重視して、理論に偏(かたよ)りがちな朱子学を批判したことやその革新的な内容が幕府に警戒(けいかい)されました。
なお、山崎闇斎は保科正之に、熊沢蕃山は池田光政にそれぞれ招かれて学問を教えています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
この頃の日本は一神教的な朱子学崇拝の傾向が強かったのですか?
朱子学を批難しただけで警戒されてしまうのは、
現代の日本では考えられない事ですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この頃の日本は一神教的な朱子学崇拝の傾向が強かったのですか?
> 朱子学を批難しただけで警戒されてしまうのは、
> 現代の日本では考えられない事ですね。
朱子学は幕府の公式な学問ですから、朱子学自体の批判が幕政批判につながると考えられたからかもしれません。もっとも、警戒はされたものの学問を捨てさせられたわけではありませんでした。
ろっぽん 儒教=当時の中国人があまりに無節操で規律とか礼を重んぜるということで出てきた思想で
日本では封建体制の強化ということで導入されたのでしょう。
現代は民主主義の時代ですが、
国民が一人一人が、よく勉強し議論しあうという
世相を作り上げてゆかないと民主主義は育たないな、ミカエルさんが言ってたけど
日本と言うのは封建主義がまだ残ってる民主義だと
社会という教科は文科省の指針通り教えればいいと言う
教科じゃないと思うな。
生徒同士で議論させ、○×で回答能力をつけさせる教育ではダメだ!
歴史というと年代の暗記と受け取られいるけど
そんなのは大雑把な流れをつかみ
興味持ってなんども本を読んでゆけば自然に身につくもんで問題は歴史から学んでの分析能力だと思う
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 前半については、確かに封建主義は残っているところはありそうですね。
ただ、道徳面の強化という点での儒教の功績は大きいと思います。
後半についてはまさしく仰るとおりです。
私の授業では知識の羅列よりも、当時の世界情勢や人間の発想を織り交ぜながら展開できるよう心掛けています。
ただ、最後にはどうしてもペーパーテストで順位を決めざるを得ないのが残念ではありますね。
この頃の日本は一神教的な朱子学崇拝の傾向が強かったのですか?
朱子学を批難しただけで警戒されてしまうのは、
現代の日本では考えられない事ですね。
応援凸
> 朱子学を批難しただけで警戒されてしまうのは、
> 現代の日本では考えられない事ですね。
朱子学は幕府の公式な学問ですから、朱子学自体の批判が幕政批判につながると考えられたからかもしれません。もっとも、警戒はされたものの学問を捨てさせられたわけではありませんでした。
日本では封建体制の強化ということで導入されたのでしょう。
現代は民主主義の時代ですが、
国民が一人一人が、よく勉強し議論しあうという
世相を作り上げてゆかないと民主主義は育たないな、ミカエルさんが言ってたけど
日本と言うのは封建主義がまだ残ってる民主義だと
社会という教科は文科省の指針通り教えればいいと言う
教科じゃないと思うな。
生徒同士で議論させ、○×で回答能力をつけさせる教育ではダメだ!
歴史というと年代の暗記と受け取られいるけど
そんなのは大雑把な流れをつかみ
興味持ってなんども本を読んでゆけば自然に身につくもんで問題は歴史から学んでの分析能力だと思う
ただ、道徳面の強化という点での儒教の功績は大きいと思います。
後半についてはまさしく仰るとおりです。
私の授業では知識の羅列よりも、当時の世界情勢や人間の発想を織り交ぜながら展開できるよう心掛けています。
ただ、最後にはどうしてもペーパーテストで順位を決めざるを得ないのが残念ではありますね。