聖徳太子はこのときまだ14歳の少年ながら戦闘に参加しましたが、戦いは蘇我氏にとって不利な状況が続きました。思い余った聖徳太子は、仏教の四天王に対して勝利を祈願し、「戦闘に勝てば四天王のためのお寺を必ずつくる」と誓いを立てました。
すると、味方の放った矢が物部守屋に命中して、大将を失った物部軍は総崩(そうくず)れとなって敗退しました。
それから6年後の593年、第33代の推古天皇の摂政となった聖徳太子は、約束どおり摂津(現在の大阪府)の地に四天王をまつる寺の造営を始めました。これが現在も大阪市天王寺区に残る四天王寺(してんのうじ)のルーツとされています。
尚、大阪の街で「梅田」(うめだ)「難波」(なんば)と並んで有名な「天王寺」(てんのうじ)は、四天王寺の略称(りゃくしょう)がそのまま地名となったものです。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
歴史のルーツをたどるのは面白いですよね。
四天が一同に集まる寺の建立ですから凄いものです。
改めて聖徳太子の手腕に脱帽。
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 そうですね。
今から1400年以上も昔の出来事が記録されていて、四天王をまつる寺院のルーツが残されているのは素晴らしいと思います。
聖徳太子が凄いのは、まだ話がこれで終わらないことですね。
応援有難うございます!
ヒロキ 物部守屋と蘇我馬子の争いに聖徳太子が参戦していたんですか!?
言われてみれば、信仰してる聖徳太子からしてみれば反対派の物部氏は敵ですよね。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > 物部守屋と蘇我馬子の争いに聖徳太子が参戦していたんですか!?
そのとおりでして、太子がまだ14歳の少年時代の話です。若い頃の命懸けの経験が、その後の政策に何らかの影響を与えたかもしれませんね。
> 言われてみれば、信仰してる聖徳太子からしてみれば反対派の物部氏は敵ですよね。
仏教が禁止されれば、聖徳太子にとっては心の支えを失ったも同然でしょうから、やはり敵だったでしょうね。「和の尊重」も、信仰の自由があればこそかもしれません。
ぴーち >味方の放った矢が物部守屋に命中して、大将を失った物部軍は総崩(そうくず)れとなって敗退しました。
何故か、人の運命って
そんな馬鹿な・・と思うような事態で終息する場合が
ありますよね。さぞや、無念だった事でしょう。。(特に物部氏の味方ではありません)
それにしても、聖徳太子の「有言実行」型の性格は
留まる所を知らないようですね。
素晴らしいです^^
下のお返事の件。
黒田さんのような方に好かれた女性は幸せですねェ~^^
羨ましいです^^
それでは応援です!凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 何故か、人の運命って
> そんな馬鹿な・・と思うような事態で終息する場合が
> ありますよね。さぞや、無念だった事でしょう。。(特に物部氏の味方ではありません)
人間の力ではどうすることもできない偶然や必然が、この世にはあると考えます。だからこそ、与えられた天寿を全うしたいと常々思っております。
> それにしても、聖徳太子の「有言実行」型の性格は
> 留まる所を知らないようですね。
> 素晴らしいです^^
そうですね。しかし、まだ「内政」の話しかしておりません。近日中に始まる予定の「外交」で、聖徳太子の本当の「恐ろしいほどの凄さ」を実感していただきたいと思います。
> 下のお返事の件。
> 黒田さんのような方に好かれた女性は幸せですねェ~^^
> 羨ましいです^^
またしても過分なお言葉を頂戴しまして…(^^ゞ
誠に残念ながら、「好いた」ことはいくらでもありますが、「不器用」ゆえか面前で「好かれた」ことはほとんど記憶にありません。普段の「エンターテイメント」ぶりが足を引っ張っているのかもしれませんね。
毎度の応援、有難うございます!
お寺と歴史
オバrev 一昨年、職場の旅行で京都へ行って、ガイドタクシーに乗ってお寺を回ったことがありましたが、色んな所で歴史上の人物と出会いました。
歴史を見ていく上でお寺ってのは貴重ですね。四天王寺には聖徳太子の資料のようなものは何かあるんですか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 一昨年、職場の旅行で京都へ行って、ガイドタクシーに乗ってお寺を回ったことがありましたが、色んな所で歴史上の人物と出会いました。
京都にも聖徳太子と関係が深いとされるお寺がありますよ。帰化人出身の秦氏(はたし)が、聖徳太子から賜(たまわ)った仏像を安置するために建てたとされる広隆寺(こうりゅうじ)が、東映の映画村でも有名な太秦(うずまさ)にあります。
> 歴史を見ていく上でお寺ってのは貴重ですね。四天王寺には聖徳太子の資料のようなものは何かあるんですか?
残念ながら、度重なる火災もあって「聖徳太子に直接関係する資料」は残存していないようです。ただ、四天王寺の伽藍(がらん)配置は、当時の大陸の影響を強く受けております。
歴史のルーツをたどるのは面白いですよね。
四天が一同に集まる寺の建立ですから凄いものです。
改めて聖徳太子の手腕に脱帽。
応援♪
今から1400年以上も昔の出来事が記録されていて、四天王をまつる寺院のルーツが残されているのは素晴らしいと思います。
聖徳太子が凄いのは、まだ話がこれで終わらないことですね。
応援有難うございます!
言われてみれば、信仰してる聖徳太子からしてみれば反対派の物部氏は敵ですよね。
そのとおりでして、太子がまだ14歳の少年時代の話です。若い頃の命懸けの経験が、その後の政策に何らかの影響を与えたかもしれませんね。
> 言われてみれば、信仰してる聖徳太子からしてみれば反対派の物部氏は敵ですよね。
仏教が禁止されれば、聖徳太子にとっては心の支えを失ったも同然でしょうから、やはり敵だったでしょうね。「和の尊重」も、信仰の自由があればこそかもしれません。
何故か、人の運命って
そんな馬鹿な・・と思うような事態で終息する場合が
ありますよね。さぞや、無念だった事でしょう。。(特に物部氏の味方ではありません)
それにしても、聖徳太子の「有言実行」型の性格は
留まる所を知らないようですね。
素晴らしいです^^
下のお返事の件。
黒田さんのような方に好かれた女性は幸せですねェ~^^
羨ましいです^^
それでは応援です!凸
> そんな馬鹿な・・と思うような事態で終息する場合が
> ありますよね。さぞや、無念だった事でしょう。。(特に物部氏の味方ではありません)
人間の力ではどうすることもできない偶然や必然が、この世にはあると考えます。だからこそ、与えられた天寿を全うしたいと常々思っております。
> それにしても、聖徳太子の「有言実行」型の性格は
> 留まる所を知らないようですね。
> 素晴らしいです^^
そうですね。しかし、まだ「内政」の話しかしておりません。近日中に始まる予定の「外交」で、聖徳太子の本当の「恐ろしいほどの凄さ」を実感していただきたいと思います。
> 下のお返事の件。
> 黒田さんのような方に好かれた女性は幸せですねェ~^^
> 羨ましいです^^
またしても過分なお言葉を頂戴しまして…(^^ゞ
誠に残念ながら、「好いた」ことはいくらでもありますが、「不器用」ゆえか面前で「好かれた」ことはほとんど記憶にありません。普段の「エンターテイメント」ぶりが足を引っ張っているのかもしれませんね。
毎度の応援、有難うございます!
歴史を見ていく上でお寺ってのは貴重ですね。四天王寺には聖徳太子の資料のようなものは何かあるんですか?
京都にも聖徳太子と関係が深いとされるお寺がありますよ。帰化人出身の秦氏(はたし)が、聖徳太子から賜(たまわ)った仏像を安置するために建てたとされる広隆寺(こうりゅうじ)が、東映の映画村でも有名な太秦(うずまさ)にあります。
> 歴史を見ていく上でお寺ってのは貴重ですね。四天王寺には聖徳太子の資料のようなものは何かあるんですか?
残念ながら、度重なる火災もあって「聖徳太子に直接関係する資料」は残存していないようです。ただ、四天王寺の伽藍(がらん)配置は、当時の大陸の影響を強く受けております。