海上交通においては古代より発達した瀬戸内海航路に加えて、幕府や藩の年貢米輸送を中心に江戸と大坂とを結ぶ航路が整備されました。17世紀前半からは菱垣廻船(ひがきかいせん)が、18世紀前半には樽廻船(たるかいせん)が南海路(なんかいろ)で定期的に運行され、主に大坂からの物資を江戸に運ぶ役割を果たしました。
また17世紀後半になると、江戸の商人であった河村瑞賢(かわむらずいけん)によって東廻り航路(ひがしまわりこうろ)・西廻り航路(にしまわりこうろ)が整備され、全国的な海上交通網が完成しました。
東廻り航路は東北地方の日本海側から津軽海峡(つがるかいきょう)を経由して江戸へ向かい、西廻り航路は同じ東北地方から下関を通って大坂へ向かう航路でした。両方とも主として奥州や北陸の米の輸送を行い、江戸時代後期の西廻り航路には北前船(きたまえぶね)が就航するようになりました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
周りが海で囲まれている日本だからこそ、こうした水路がいち早く発達して行ったのでしょうね。
この頃にはまだまだ陸上での大量の物資輸送といのは大変でしたでしょうし(車や鉄道などはまだまだ動いておりませんでしょから)地形や自然を上手く利用して、経済面も大幅に活発化していった訳ですね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、水路の発達は我が国の地理的関係も大きな影響を与えていますね。現代のような近代技術が当たり前だと見えてこない歴史の大きな流れだと思います。
紗那 現在でも水運は、日本にとって重要な交通の一つですしね
陸に上がれば山しかないですし、海の方が断然運びやすいという事情もあったのか……
西廻り航路は若干遠く見えてしまうのですが、大坂までしか運ばないことを考えるとどちらもいっしょくらいですかね?
紗那さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、周囲を海に囲まれたうえに山がちな我が国で大量の物資を運ぶためには、現代においても水運の発達が欠かせません。
西廻り航路は江戸へ向かうのであれば遠回りですが、目的地が大坂ですから東廻りと遜色はないですね。
初めまして
ryo 初めてコメントさせていただきます。航路が発達した中で、海賊も勢いを増したことはないのでしょうか。
ryoさんへ
黒田裕樹 はじめまして、お言葉有難うございます。同じ内容のコメントをされておられましたので、片方を削除させていただきましたことをご容赦下さい。
> 航路が発達した中で、海賊も勢いを増したことはないのでしょうか。
中国など海外においては海賊が残っておりましたが、秀吉の時代に海賊停止令が出された影響もあって、国内での海賊は姿を消したと考えられているようです。
周りが海で囲まれている日本だからこそ、こうした水路がいち早く発達して行ったのでしょうね。
この頃にはまだまだ陸上での大量の物資輸送といのは大変でしたでしょうし(車や鉄道などはまだまだ動いておりませんでしょから)地形や自然を上手く利用して、経済面も大幅に活発化していった訳ですね^^
応援凸
陸に上がれば山しかないですし、海の方が断然運びやすいという事情もあったのか……
西廻り航路は若干遠く見えてしまうのですが、大坂までしか運ばないことを考えるとどちらもいっしょくらいですかね?
西廻り航路は江戸へ向かうのであれば遠回りですが、目的地が大坂ですから東廻りと遜色はないですね。
> 航路が発達した中で、海賊も勢いを増したことはないのでしょうか。
中国など海外においては海賊が残っておりましたが、秀吉の時代に海賊停止令が出された影響もあって、国内での海賊は姿を消したと考えられているようです。