幕府の継飛脚にならって、やがて各大名は江戸と国元の間に大名飛脚(だいみょうびきゃく)を置くようになり、また町人も町飛脚(まちびきゃく)の業務を開始するようになって、書状や小荷物を扱(あつか)う飛脚問屋(ひきゃくどいや)ができました。
陸上交通では幕府や大名の御用通行(ごようつうこう)が優先されましたが、これらに使用される人馬は宿場の町人や農民が準備しました。これを伝馬役(てんまやく)といいます。なお、人馬が不足した際には助郷(すけごう)と呼ばれた村から補充(ほじゅう)しましたが、これは助郷役(すけごうやく)といわれました。
街道が整備されたことで宿場町はにぎわいを見せ、やがて伊勢参(いせまい)りなどの庶民の旅行が盛(さか)んとなりましたが、その一方で幕府は治安維持(ちあんいじ)の目的から箱根(はこね)など各街道に関所を設け、江戸への武器の搬入(はんにゅう)や江戸から大名の妻子が帰国しないかどうかを厳しく見張りました。いわゆる「入鉄砲(いりてっぽう)に出女(でおんな)」ですね。
また、多くの兵が江戸へ攻め寄せることを防ぐために川に橋をかけないことも多く、特に大井川(おおいがわ)は船の移動も禁止されたため、川越人足(かわごえにんそく)による人力移動の手段しか認められませんでした。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という言葉が今でも知られています。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
修学旅行で箱根に出向いた時に、
入り鉄砲と出女の様子を分かりやすく蝋人形かなにか?(マネキンだったのかしら?w)で見たことがあります^^
今でも伝馬町などという地名が残る場所は、昔の名残を引き継いでいるんですね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 修学旅行で箱根に出向いた時に、
> 入り鉄砲と出女の様子を分かりやすく蝋人形かなにか?(マネキンだったのかしら?w)で見たことがあります^^
そうなんですね。
箱根の関所越えは厳しかったようですので、歴史的な展示としては分かりやすそうです。
> 今でも伝馬町などという地名が残る場所は、昔の名残を引き継いでいるんですね^^
そうですね。東京の大伝馬町・小伝馬町が有名ですが、東京の場合は牢獄があったことの方が知られているかもしれません(^^ゞ
街道や宿場町といえば・・。
晴雨堂ミカエル 小学生のころ、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が好きでよく読んでいました。
あれは文化文政期の東海道の状況や食べ物の物価が詳しく載っていた様に記憶しています。
物語は楽天的で飄々として明るいのですが、実際の十返舎一九は苦虫潰したような顔で口数が少なく近寄り難い雰囲気だったようですね。いつも帳面と筆を持ち歩いていて、何やら常にメモを取っているというメモ魔だったとか。
紗那 中央がいろいろするようになると、地方あるいは民間もそれを真似するようになる……
飛脚の話を見ていると、現代にも通じるところがあるなと思ってしまいます
助郷役も言葉だけ中学の時にやったきがしますが、こういうことだったのですね。やはりここまで知らないと、意味が無いと感じました
入鉄砲に出女も単独で覚えていましたけど、こうやってみると全部流れがあるんですね……!なんだか感動です!
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 貴重な情報を有難うございます。
読者をわくわくさせる優秀な作家であっても、実像は必ずしも同じとは限らないみたいですね。
私の場合はどうでしょうか…?(^^ゞ
紗那さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、何事もないようなことであってもしっかりと流れが存在するものなんですよ。
だからこそ「流れで覚える」のが歴史なんです。
受験勉強が中心の学習ではつかむことが難しい「歴史の流れ」を、当講座では今後も続けられるよう努力しますよ(^^♪
あらためババァ
ろっぽん 「焼け野わらび39改め婆」URL参照は新潟大非常勤講師金森敦子さんの
「関所ぬけ江戸の女たちの冒険(昌文社)」を元に創作しました。
それを読むと秋田の商家の女将がお伊勢参りのほぼ本州一周するくらいの長旅日記です。
女の旅が怪しまれる時代にあって珍しいことです。
まぁ非合法の関所ぬけを繰り返す旅ですが、
北前船の豪商の女将で賄賂に次ぐ賄賂でやり遂げた旅ですけど。
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 ご紹介有難うございます。
色々な条件が組み合わさっての日記ですね。
なおまゆ 手続きをきちんとすれば、自由に旅ができた時代なんですよね?伊勢神宮などへ参拝する庶民が結構いたと聞いています。
教科書では、どうも自由のない貧しい暗い時代という印象しかもてなかったのですが。
「貧しいが貧困ではない時代」結構心豊かな時代だったんだなあという実感をしています。
勿論、それだけでなく飢饉とか疫病とか大変なことも多かった時代ですが、それだけではないですよね。『カムイ伝』という劇画はどちらかといえば暗黒の部分に着目していました。
先生はお読みになったことがありますか?
なおまゆさんへ
黒田裕樹 仰るとおり「貧しさ」と「貧困」を一緒にしているがゆえの思い違いがよく見られますよね。
「カムイ伝」は残念ながら未見ですが、一方的な記述ばかりを見るのは何かとありそうな気がします。
幕藩体制の治外法権
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
質問があります。
よく、時代劇などを観ると
江戸で、犯罪を犯した人間が、江戸から、旅立つシーンや
『遠山の金さん』などで、『江戸所払い。』と金さんが言うシーンがあります。
実際、犯罪を犯した人間は、他の藩の領内に行くと治外法権で、それ以外の藩、江戸幕府は、手を出せない状況だったのでしょうか。
私の記憶が正しければ、たしか、高野長英も
逃亡経験があったと思うのですが。。。
青田さんへ
黒田裕樹 基本的にそのとおりです。
江戸時代は各藩に地方自治が任されており、警察組織も藩ごとで行われていました。清水次郎長などがほとぼりが冷めるまでは旅に出ていたのもそのためです。
これ以上は内容違いになりますので…(笑)。
修学旅行で箱根に出向いた時に、
入り鉄砲と出女の様子を分かりやすく蝋人形かなにか?(マネキンだったのかしら?w)で見たことがあります^^
今でも伝馬町などという地名が残る場所は、昔の名残を引き継いでいるんですね^^
応援凸
> 入り鉄砲と出女の様子を分かりやすく蝋人形かなにか?(マネキンだったのかしら?w)で見たことがあります^^
そうなんですね。
箱根の関所越えは厳しかったようですので、歴史的な展示としては分かりやすそうです。
> 今でも伝馬町などという地名が残る場所は、昔の名残を引き継いでいるんですね^^
そうですね。東京の大伝馬町・小伝馬町が有名ですが、東京の場合は牢獄があったことの方が知られているかもしれません(^^ゞ
あれは文化文政期の東海道の状況や食べ物の物価が詳しく載っていた様に記憶しています。
物語は楽天的で飄々として明るいのですが、実際の十返舎一九は苦虫潰したような顔で口数が少なく近寄り難い雰囲気だったようですね。いつも帳面と筆を持ち歩いていて、何やら常にメモを取っているというメモ魔だったとか。
飛脚の話を見ていると、現代にも通じるところがあるなと思ってしまいます
助郷役も言葉だけ中学の時にやったきがしますが、こういうことだったのですね。やはりここまで知らないと、意味が無いと感じました
入鉄砲に出女も単独で覚えていましたけど、こうやってみると全部流れがあるんですね……!なんだか感動です!
読者をわくわくさせる優秀な作家であっても、実像は必ずしも同じとは限らないみたいですね。
私の場合はどうでしょうか…?(^^ゞ
だからこそ「流れで覚える」のが歴史なんです。
受験勉強が中心の学習ではつかむことが難しい「歴史の流れ」を、当講座では今後も続けられるよう努力しますよ(^^♪
「関所ぬけ江戸の女たちの冒険(昌文社)」を元に創作しました。
それを読むと秋田の商家の女将がお伊勢参りのほぼ本州一周するくらいの長旅日記です。
女の旅が怪しまれる時代にあって珍しいことです。
まぁ非合法の関所ぬけを繰り返す旅ですが、
北前船の豪商の女将で賄賂に次ぐ賄賂でやり遂げた旅ですけど。
色々な条件が組み合わさっての日記ですね。
教科書では、どうも自由のない貧しい暗い時代という印象しかもてなかったのですが。
「貧しいが貧困ではない時代」結構心豊かな時代だったんだなあという実感をしています。
勿論、それだけでなく飢饉とか疫病とか大変なことも多かった時代ですが、それだけではないですよね。『カムイ伝』という劇画はどちらかといえば暗黒の部分に着目していました。
先生はお読みになったことがありますか?
「カムイ伝」は残念ながら未見ですが、一方的な記述ばかりを見るのは何かとありそうな気がします。
こんばんは
青田です。
質問があります。
よく、時代劇などを観ると
江戸で、犯罪を犯した人間が、江戸から、旅立つシーンや
『遠山の金さん』などで、『江戸所払い。』と金さんが言うシーンがあります。
実際、犯罪を犯した人間は、他の藩の領内に行くと治外法権で、それ以外の藩、江戸幕府は、手を出せない状況だったのでしょうか。
私の記憶が正しければ、たしか、高野長英も
逃亡経験があったと思うのですが。。。
江戸時代は各藩に地方自治が任されており、警察組織も藩ごとで行われていました。清水次郎長などがほとぼりが冷めるまでは旅に出ていたのもそのためです。
これ以上は内容違いになりますので…(笑)。