しかし、綱吉の治世の頃までにはインフラが一段落したことで次第に減税となり、人々の暮(く)らしに余裕が生まれ、その中から人々の多くが「遊び」を求めるようになり、ニーズに応える形で様々な文化が生まれました。この当時の文化を元禄文化(げんろくぶんか)といいます。
また、生活の余裕はそれまでの自給自足から消費経済、さらには貨幣経済の暮らしへと変化していったことで好景気をもたらし、結果として都市の人口が急増しましたが、それに見合うだけの物資がそろわず、供給(きょうきゅう)が追いつかなかったために物価が上昇してインフレーションが発生していたのです。
つまり、インフレの真の原因は物資の供給不足にあり、元禄小判とは直接の関係はありませんでした。また、仮にインフレで物価が上昇しても、景気が良ければ賃金(ちんぎん)なども一緒に上がりますから、庶民のダメージは大きくなかったどころか、全体の金回りが良くなったことによって生活の余裕がさらに生まれ、元禄文化が栄えたもう一つの原因となりました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
世の中が安定し、平和になってくると人口も増え、それ故に物資が無いのに、それを求める消費者、いわゆる供給が多ければ、確かに物価が上昇するのは当然ですよね。
元禄文化が花開いたのはそういう経緯だったんですね!
勉強になりましたm(_ _)m
応援凸
インフレの真の原因
ろっぽん インフレの真の原因は物資の供給不足にあり
とありましたが、これはどういうことでしょうか
もう少し詳しく説明していただけませんか。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
物資の供給が追いつかなくなれば、需要と供給の関係から価格が上がるのは当然です。
そして、国や国民に体力があれば需要の増加に耐えられるだけの供給も伴いますから、物価の上昇は景気を刺激して、その結果文化も栄えるということですね(^^)v
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 > インフレの真の原因は物資の供給不足にあり
> とありましたが、これはどういうことでしょうか
> もう少し詳しく説明していただけませんか。
大規模な戦乱が起きなくなった江戸時代は、結果として人口の増加をもたらしました。
人口が増加すれば、それだけ食糧や生活必需品などの物資も必要となりますが、それらを満たすだけの量はそう簡単にはそろえることができません。
その結果、物資が不足することで「需要超過=供給不足」となります。
需要と供給の関係からすれば、供給が不足すれば少ない商品を多くの人間で分け合うのですから、物の値段が上がっても人々は買い求めようとします。したがって、物価が上がる素地を作ることになります。
一方、供給が過剰となれば、人々は安くなければあえてその商品を買おうとはしません。したがって物の値段が下落する原因となるのです。
今回の場合は「需要超過」ですから物価が上がる原因となり、元禄小判の発効以前からインフレの傾向がありました。小判の発行後も引き続き物の値段は上がりましたが、いわゆる「ハイパーインフレ」レベルの値上がりではなく、本文にもあるように全体の金回りが良くなって景気を刺激して、物価の上昇に耐えられるだけの財力を保ったことで好景気が持続したのです。
ちなみに、この理論は戦後の高度経済成長にも同じことが言えます。
ろっぽん うーんなるほど!
①でもこれらの分析は鎖国時代、西洋の経済学理論が伝わらない状況化でも経済理論化が独自にわかったのですか?
②現代の歴史学者が分析した推理ですか
③金回りがよくなって自然解消したのですか
④ハイパーインフレと言うと世界史の1次大戦後のドイツの状況で、パンを買うために荷馬車にお札を積んでる口絵の写真を思い出すのですが、あの時のドイツと言うのは
大戦の戦後保障のために中央銀行がお札を増刷ために起こったのですよね
⑤生産が増え、物の値段が安くなり売れて金が出回り安定したのですが、現代でも読めない分析をやったと言うのは大したものだ。
⑥確かに、科学が入らなくても日本独自に平賀源内がエレキテルの模型を作ったりしています。そういった経済理論を考えだす。人物もいたのでしょうね
しかし、こういうように???を考えだすと勉強って面白いですね。
ろっぽんさんへ その2
黒田裕樹 私の愚考の末の意見として申し上げます。
①荻原重秀が西洋の意見を参考にしたという証拠を私は耳にしたことがありません。ただし、明日(11日)の重秀の証言は朱子学者の太宰春台が記録に残しており、重秀と反対の立場の人物が記録したという事実が信憑性を高めていると思います。
②村井淳志氏の著書を参考にしています。歴史学者というよりは、社会科教育に携われておられるといった方が良いかもしれません。もちろん、だからと言って村井氏の評価が下がるということはありません。
③④村井氏の研究によれば、それまで貯蓄を目的として小判を貯めていた富裕層が、元禄小判の流通で価値が半減する前に貯蓄から投資へと方針を転換したことでハイパーとは次元の異なる緩やかなインフレに転じたということです。高度経済成長の実態を検証すれば、同じことであると私も判断して本日の記事を更新しています。
⑤⑥鎖国状態に陥った我が国ですが、個人の才覚は決して引けを取らなかったと思います。西洋に先駆けて商品先物取引を行った堂島の米市場や、仰るとおりエレキテルを駆使した平賀源内、幕末にアームストロング砲をそのまま真似てつくった田中久重など、我が国の科学や経済学は西洋と決して引けを取らなかったのですから。
むしろ、江戸時代を暗黒の時代と一方的に決めつけている現代の史観に問題があると思います。
オバrev 緩やかなインフレは、理想的な経済状態ですよね。ただそれは何時までも維持できるものではなく、需要があれば自然と供給も増え、やがては供給過剰でデフレになる、なんてことにはならなかったんですか?
それにしても、江戸時代って大きな戦争がない平和な時代でしたから、その経済運営は、現代から見て物凄く参考になるんじゃないでしょうか。
なおまゆ 他の国家との外交がなく(ごくわずかありましたが)国内政治に没頭できた江戸時代はある意味幸福だったでしょうね。幕府は、直接には江戸と直轄領のみ運営していたのでしょうか?
全国各地には大名がいて統治していますよね。
全国的にいわゆる好景気がおきていたのでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 緩やかなインフレは、理想的な経済状態ですよね。ただそれは何時までも維持できるものではなく、需要があれば自然と供給も増え、やがては供給過剰でデフレになる、なんてことにはならなかったんですか?
仰るとおり、好景気はいつまでも続くものではありません。ただし、綱吉の治世においてはその終わり方があまりにも悲劇的なものでした…。
> それにしても、江戸時代って大きな戦争がない平和な時代でしたから、その経済運営は、現代から見て物凄く参考になるんじゃないでしょうか。
私もそう思います。歴史に学ぶ、という言葉の重みを感じますね。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、内政のみの幕府政治は運営が楽だったと思います。もっとも、そのツケは後世に思いっきり払わされますが…。
この頃の藩は独立採算制でしたから、江戸幕府の政策とは直接の関係がありませんでした。ただし、元禄小判の発行による影響は全国共通なので、同じような景気であったと思われます。
世の中が安定し、平和になってくると人口も増え、それ故に物資が無いのに、それを求める消費者、いわゆる供給が多ければ、確かに物価が上昇するのは当然ですよね。
元禄文化が花開いたのはそういう経緯だったんですね!
勉強になりましたm(_ _)m
応援凸
とありましたが、これはどういうことでしょうか
もう少し詳しく説明していただけませんか。
物資の供給が追いつかなくなれば、需要と供給の関係から価格が上がるのは当然です。
そして、国や国民に体力があれば需要の増加に耐えられるだけの供給も伴いますから、物価の上昇は景気を刺激して、その結果文化も栄えるということですね(^^)v
> とありましたが、これはどういうことでしょうか
> もう少し詳しく説明していただけませんか。
大規模な戦乱が起きなくなった江戸時代は、結果として人口の増加をもたらしました。
人口が増加すれば、それだけ食糧や生活必需品などの物資も必要となりますが、それらを満たすだけの量はそう簡単にはそろえることができません。
その結果、物資が不足することで「需要超過=供給不足」となります。
需要と供給の関係からすれば、供給が不足すれば少ない商品を多くの人間で分け合うのですから、物の値段が上がっても人々は買い求めようとします。したがって、物価が上がる素地を作ることになります。
一方、供給が過剰となれば、人々は安くなければあえてその商品を買おうとはしません。したがって物の値段が下落する原因となるのです。
今回の場合は「需要超過」ですから物価が上がる原因となり、元禄小判の発効以前からインフレの傾向がありました。小判の発行後も引き続き物の値段は上がりましたが、いわゆる「ハイパーインフレ」レベルの値上がりではなく、本文にもあるように全体の金回りが良くなって景気を刺激して、物価の上昇に耐えられるだけの財力を保ったことで好景気が持続したのです。
ちなみに、この理論は戦後の高度経済成長にも同じことが言えます。
①でもこれらの分析は鎖国時代、西洋の経済学理論が伝わらない状況化でも経済理論化が独自にわかったのですか?
②現代の歴史学者が分析した推理ですか
③金回りがよくなって自然解消したのですか
④ハイパーインフレと言うと世界史の1次大戦後のドイツの状況で、パンを買うために荷馬車にお札を積んでる口絵の写真を思い出すのですが、あの時のドイツと言うのは
大戦の戦後保障のために中央銀行がお札を増刷ために起こったのですよね
⑤生産が増え、物の値段が安くなり売れて金が出回り安定したのですが、現代でも読めない分析をやったと言うのは大したものだ。
⑥確かに、科学が入らなくても日本独自に平賀源内がエレキテルの模型を作ったりしています。そういった経済理論を考えだす。人物もいたのでしょうね
しかし、こういうように???を考えだすと勉強って面白いですね。
①荻原重秀が西洋の意見を参考にしたという証拠を私は耳にしたことがありません。ただし、明日(11日)の重秀の証言は朱子学者の太宰春台が記録に残しており、重秀と反対の立場の人物が記録したという事実が信憑性を高めていると思います。
②村井淳志氏の著書を参考にしています。歴史学者というよりは、社会科教育に携われておられるといった方が良いかもしれません。もちろん、だからと言って村井氏の評価が下がるということはありません。
③④村井氏の研究によれば、それまで貯蓄を目的として小判を貯めていた富裕層が、元禄小判の流通で価値が半減する前に貯蓄から投資へと方針を転換したことでハイパーとは次元の異なる緩やかなインフレに転じたということです。高度経済成長の実態を検証すれば、同じことであると私も判断して本日の記事を更新しています。
⑤⑥鎖国状態に陥った我が国ですが、個人の才覚は決して引けを取らなかったと思います。西洋に先駆けて商品先物取引を行った堂島の米市場や、仰るとおりエレキテルを駆使した平賀源内、幕末にアームストロング砲をそのまま真似てつくった田中久重など、我が国の科学や経済学は西洋と決して引けを取らなかったのですから。
むしろ、江戸時代を暗黒の時代と一方的に決めつけている現代の史観に問題があると思います。
それにしても、江戸時代って大きな戦争がない平和な時代でしたから、その経済運営は、現代から見て物凄く参考になるんじゃないでしょうか。
全国各地には大名がいて統治していますよね。
全国的にいわゆる好景気がおきていたのでしょうか?
仰るとおり、好景気はいつまでも続くものではありません。ただし、綱吉の治世においてはその終わり方があまりにも悲劇的なものでした…。
> それにしても、江戸時代って大きな戦争がない平和な時代でしたから、その経済運営は、現代から見て物凄く参考になるんじゃないでしょうか。
私もそう思います。歴史に学ぶ、という言葉の重みを感じますね。
この頃の藩は独立採算制でしたから、江戸幕府の政策とは直接の関係がありませんでした。ただし、元禄小判の発行による影響は全国共通なので、同じような景気であったと思われます。