綱吉が将軍に就任した頃は、江戸をはじめとする全国でいわゆる「戦国の遺風(いふう)」が未(いま)だに残っており、至(いた)るところで血なまぐさい事件が起こるという殺伐(さつばつ)とした雰囲気(ふんいき)が、我が国全体における道徳心の低下をもたらすという有様(ありさま)でした。
そんな暗い世情(せじょう)を一掃(いっそう)するために、綱吉は先代将軍の家綱の頃からの文治政治を一層強めましたが、そのキーワードとなったのは、彼が生来(せいらい)好んでいた朱子学がもたらす道徳心でした。
綱吉は、まず武士に染(し)み付いた戦国時代の考え方を改めさせるため、1683年の代替わりの武家諸法度(ぶけしょはっと)において、冒頭(ぼうとう)の「弓馬(きゅうば)の道」を「忠孝(ちゅうこう)の道」に改めました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
綱吉と聞くとどうしても晩年の頃に制定された
「生類憐れみの令」が頭に浮かびます。
そして、民衆から悪政だと言われ、「犬公方」だとあだ名がついた事くらいしか存じておりませんでしたが、お若い頃は国の事を思い、治安を良くしていこうと、正義感を燃していたんですね。
今後の知られざる(詳しく知らないのは、私だけですがw)綱吉のお話を読ませてくださいね^^
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 就任の頃に世の中が乱れているとすれば、立て直すしかないですからね。
綱吉の政治とは果たしてどのようなものだったのか?
これからの展開にご期待下さい!
価値観
ろっぽん 価値観を変えるのは、現代でも難しいですからね
本当は師の教え黒でも白と教えられれば白すれば問題はおきないという長いものには巻かれろという考えは朱子学の大衆化だろう
武士のメンツがつぶされる立腹しすぐ切りすてる
そういう単細胞侍が多かったのだろう
世の中は現在も同じだが整理し論理的に考えないと危険極まらないものなんだ
右も左も単純な奴が多すぎる。
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 確かに、現代にもつながる問題点が多そうですね。
綱吉の政治について、今後もじっくりと振り返ってみたいと思います。
綱吉と聞くとどうしても晩年の頃に制定された
「生類憐れみの令」が頭に浮かびます。
そして、民衆から悪政だと言われ、「犬公方」だとあだ名がついた事くらいしか存じておりませんでしたが、お若い頃は国の事を思い、治安を良くしていこうと、正義感を燃していたんですね。
今後の知られざる(詳しく知らないのは、私だけですがw)綱吉のお話を読ませてくださいね^^
それでは応援凸
綱吉の政治とは果たしてどのようなものだったのか?
これからの展開にご期待下さい!
本当は師の教え黒でも白と教えられれば白すれば問題はおきないという長いものには巻かれろという考えは朱子学の大衆化だろう
武士のメンツがつぶされる立腹しすぐ切りすてる
そういう単細胞侍が多かったのだろう
世の中は現在も同じだが整理し論理的に考えないと危険極まらないものなんだ
右も左も単純な奴が多すぎる。
綱吉の政治について、今後もじっくりと振り返ってみたいと思います。