儒教(じゅきょう)に由来し、主君に絶対の忠誠を誓うとともに上下の秩序(ちつじょ)を重んじる学問であった朱子学(しゅしがく)は、室町時代には五山(ござん)の学僧が学んでいましたが、江戸幕府の公的な学問として採用されたことで大きな広がりを見せました。
朱子学は京都の相国寺(しょうこくじ)の禅僧(ぜんそう)であった藤原惺窩(ふじわらせいか)によって広められ、惺窩の門人(もんじん、弟子のこと)である林羅山(はやしらざん)は徳川家康に招かれ、羅山の子孫は林家(りんけ)と呼ばれて、幕府代々の儒者(じゅしゃ、儒教を学び、研究する学者のこと)として仕えました。
建築では、家康を祀(まつ)るために築かれた日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)をはじめとする霊廟建築(れいびょうけんちく)が広がり、神社建築では精巧(せいこう)かつ豪華(ごうか)な権現造(ごんげんづくり)が用いられました。
また、京都では伝統的建築として数寄屋造(すきやづくり)の桂離宮(かつらりきゅう)が建てられたほか、突き出した舞台が有名な寄棟造(よせむねづくり)の清水寺本堂(きよみずでらほんどう)もこの時代の建築物です。思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」とよく言いますね。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
朱子学が公的な学問として採用されたということが要因で、江戸時代は主君と家来の主従関係がより確立されていったのでしょうか。
間近に東照宮があるのに、実は一度も拝観した事がありません(^_^;)
清水寺は修学旅行の時に、一度だけ行った事があります^^
近いといつでも行けるという思いがあるせいか、
なかなか実現出来ないものですよね(^_^;)
一度歴史的建造物という観点で、見物に行かなければなりませんね(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、朱子学の影響は江戸時代の様々なところに影響しています。
良いところも、悪いところも…。
私も清水寺は小さい頃に一回しか行ったことがありません。
大阪城も滅多に行きませんし。
近いと本当に行かないものですよね(^^ゞ
想像してみました。
徳蒼 唯我 なるほど。
ひょっとすると、今の仕事における人間関係や親子などの関係も、このころに採用された朱子学が影響しているんでしょうか?
まあ、仕事上の人間関係も一昔前に比べたらマシにはなってきているのですが……。
もし信長が天下統一していればどんな世の中になっていたのか想像してみたのですが、アメリカみたいな自由主義な国になっていたのかもしれませんね。
藩校
ろっぽん こちらに有備館という伊達政宗の元本拠地、岩出山にある藩校なのですが。おれの先祖も学んだそうで
朱子学だそうです。
教科書は漢文なのですか、それとも訳した本ですか
徳蒼唯我さんへ
黒田裕樹 朱子学は確かに現代にも様々な場面で影響を与えていますね。
朱子学は徳川幕府にとって都合が良かったからこそ採用されましたからね。
信長だったらおそらく見向きもしなかったでしょう。そうなると、自由主義な国になっているかもしれませんが、同時に日本人の勤勉さも失われていたかもしれません。
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 仙台藩でも朱子学が採用されていたのですね。
教科書はおそらく漢文で、読み下していたのではないでしょうか。
朱子学が公的な学問として採用されたということが要因で、江戸時代は主君と家来の主従関係がより確立されていったのでしょうか。
間近に東照宮があるのに、実は一度も拝観した事がありません(^_^;)
清水寺は修学旅行の時に、一度だけ行った事があります^^
近いといつでも行けるという思いがあるせいか、
なかなか実現出来ないものですよね(^_^;)
一度歴史的建造物という観点で、見物に行かなければなりませんね(^^ゞ
応援凸
良いところも、悪いところも…。
私も清水寺は小さい頃に一回しか行ったことがありません。
大阪城も滅多に行きませんし。
近いと本当に行かないものですよね(^^ゞ
ひょっとすると、今の仕事における人間関係や親子などの関係も、このころに採用された朱子学が影響しているんでしょうか?
まあ、仕事上の人間関係も一昔前に比べたらマシにはなってきているのですが……。
もし信長が天下統一していればどんな世の中になっていたのか想像してみたのですが、アメリカみたいな自由主義な国になっていたのかもしれませんね。
朱子学だそうです。
教科書は漢文なのですか、それとも訳した本ですか
朱子学は徳川幕府にとって都合が良かったからこそ採用されましたからね。
信長だったらおそらく見向きもしなかったでしょう。そうなると、自由主義な国になっているかもしれませんが、同時に日本人の勤勉さも失われていたかもしれません。
教科書はおそらく漢文で、読み下していたのではないでしょうか。