先述した秀吉による兵農分離(へいのうぶんり)の政策は家康によってさらに進められ、士農工商(しのうこうしょう)と呼ばれた身分制度が確立しました。
支配身分たる武士は行政や治安の責任を負う一方で、苗字(みょうじ)と帯刀(たいとう)が許されるなどの特権を持っていました。なお、武士の特権として有名な切捨御免(きりすてごめん)ですが、もし無礼打(ぶれいう)ちをした場合には奉行所などで厳しく取り調べを受け、武士側に少しでも問題があれば切腹させられることから、実際には滅多(めった)に起こりませんでした。
被支配身分としては農民や職人・商人があり、これら以外の身分としては公家(くげ)や僧侶(そうりょ)・神官(しんかん)がありました。なお、士農工商のいわゆる四民とは別に、皮革(ひかく)の加工などを行った穢多(えた)や、受刑者に関する業務を行った非人(ひにん)と呼ばれる賤民(せんみん)の身分がありました。
この他、江戸時代の社会を支えた生活共同体として家制度(いえせいど)があり、家族は家長(かちょう)を中心に団結して協力した一方で、長男が単独相続することが普通でした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ろっぽん 被差別部落は現代でも関西では根強く
飲み屋で郵政の部落の活動家と議論したことがありましたが、
東北大の日本史の教授が言ってましたが
東北では被差別部落はなかった
イヤあるないでケンケンガクガクやったのですが
関西人特に高齢者の方の
部落、在日、東北の蝦夷、北海道のアイヌに対する差別意識は根強く
ホテルマンのとき近畿日本ツーリストの客にこういうことを言われました。「東北は200年遅れてる」とまぁ客なので「そうですか」とうけながしましたが。
まり姫 黒田さんこんにちは☆
明日から留守にしますので3日ほどはお邪魔できません。
帰ってからまたお邪魔させていただきますネσ(゚ー^*)
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 確かに関西ではまだ根強い印象がありますね。
学校においても人権教育は必須ですし。
東北等に対する発言は、関西人としても残念に思います。
自らが優先している、あるいは特権階級と考える発想は、根底に差別意識が存在している証左でもありますからね。
まり姫さんへ
黒田裕樹 了解いたしました。
ブログ上での再会を楽しみにしております(^^♪
ぴーち こんばんは!
映画・ドラマなどではよく「切り捨て御免」というフレーズを耳にしますが、やはり人を殺めた事に対する罪には代わりは無かったのですね。
確かによく考えてみれば、武士が人をむやみに切り捨てて良いという
法はあってはならないですものね(^^ゞ
応援凸
もし、江戸時代の侍が現代にタイムスリップしたら・・。
晴雨堂ミカエル たぶん時代劇を観たら、あまりにも人が斬り殺されるのでビックリするでしょう。
日本の刑事モノやサスペンス劇場などを観てきた中国人が日本に観光に来て日本人の礼儀正しさやホスピタリティに触れて驚くのと同じでしょう。
なにしろ、日本の刑事モノはよく人が殺されますし、中国のテレビで放送される日帝モノでは傲慢不遜で狡猾な日本人しか出てきませんから。
たしか忠臣蔵で有名な元浜奉行不破数右衛門は、家の下男を斬った事で奉行職を解任され、藩にも居れなくなって出奔したとか。
「時代劇」の人権感覚なら、奉行職解任までいかないでしょう。
時間や場所から離れるにつれてデフォルメは激しくなりますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 映画・ドラマなどではよく「切り捨て御免」というフレーズを耳にしますが、やはり人を殺めた事に対する罪には代わりは無かったのですね。
> 確かによく考えてみれば、武士が人をむやみに切り捨てて良いという
> 法はあってはならないですものね(^^ゞ
仰るとおり、江戸時代の侍はむやみやたらに他人を切り捨てていません。
もっとも、幕末の混乱期には血なまぐさい時間が多いので、そのイメージに引きずられているのかもしれませんが…。
娯楽時代劇は功罪の両面がありそうですね。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 確かにデフォルメが極端ですね。
刑事ドラマで殺される人数は、おそらく1クールで年間の殺人事件を上回るのではないでしょうか。
同じ警察署管内での事件としてはあまりにも多すぎます。
不破数右衛門の話にしても、人ひとりを斬っただけで藩を追われるのですから、実際の赤穂事件で吉良家側に16人の死者が出たらしいですが、戦国時代が遠い昔となった時代背景を考えれば、それだけの人数でも十分に大事件だったでしょう。
…映画やテレビドラマでは100人以上切られている印象がありますが(^^ゞ
オバrev なるほど~、斬り捨て御免の真実が分かりましたよ。
江戸時代は、徳川幕府による独裁政権だと思いますが、身分制度以外は意外に民主的だったんですかね?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なるほど~、斬り捨て御免の真実が分かりましたよ。
そういうことなんですよ(^^♪
江戸時代といっても、戦国の遺風が残っていた初期はともかく、綱吉以降はそう簡単に人殺しができなくなった時代でした。
> 江戸時代は、徳川幕府による独裁政権だと思いますが、身分制度以外は意外に民主的だったんですかね?
私はそう考えています。
独裁政権=非民主的、とは限らないですからね。民主的な選挙で選ばれても、独裁政権は誕生し得ることはヒトラーのように歴史が証明しています。そして現在も…。
商人
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
質問なのですが、
江戸時代、商人の力が強くなってきた時に
農民から、商人。
武士から、商人。
になることは、出来たのでしょうか。
また、そういうことは、できたのでしょうか。
青田さんへ
黒田裕樹 身分制度が固定されたといっても決してガチガチだったわけではなく、農民でありながら商行為的なことを行っていた人もいましたし、武士にも商才があれば同じようなことが考えられると思います。
「支配」や「被支配」といった階級闘争めいたものは、後世の特定な史観からであり、現実はもっと緩やかであったと考えられています。
しのぶもじずり 私の先祖は武士でした。
聞いた話なので、確証はありませんが、武士に落ち度がありながら人を斬った場合、切腹さえ許されず、斬首になったそうです。
平和時に、武士が人に向かって刀の鯉口を切るだけでも大変なことだったらしいです。
帯刀している責任は大きかった、という事なのでしょう。
しのぶもじずりさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
戦国時代が遠い昔になった頃には、武士としての身分を明らかにするために帯刀したようなものでした。
それだけ平和であったとともに責任を持っていた、ということなのでしょう。
ただし、あまりにも平和ボケになってしまったがゆえに黒船来航時の大騒ぎになってしまったのは皮肉でしかありませんが…。
飲み屋で郵政の部落の活動家と議論したことがありましたが、
東北大の日本史の教授が言ってましたが
東北では被差別部落はなかった
イヤあるないでケンケンガクガクやったのですが
関西人特に高齢者の方の
部落、在日、東北の蝦夷、北海道のアイヌに対する差別意識は根強く
ホテルマンのとき近畿日本ツーリストの客にこういうことを言われました。「東北は200年遅れてる」とまぁ客なので「そうですか」とうけながしましたが。
明日から留守にしますので3日ほどはお邪魔できません。
帰ってからまたお邪魔させていただきますネσ(゚ー^*)
学校においても人権教育は必須ですし。
東北等に対する発言は、関西人としても残念に思います。
自らが優先している、あるいは特権階級と考える発想は、根底に差別意識が存在している証左でもありますからね。
ブログ上での再会を楽しみにしております(^^♪
映画・ドラマなどではよく「切り捨て御免」というフレーズを耳にしますが、やはり人を殺めた事に対する罪には代わりは無かったのですね。
確かによく考えてみれば、武士が人をむやみに切り捨てて良いという
法はあってはならないですものね(^^ゞ
応援凸
日本の刑事モノやサスペンス劇場などを観てきた中国人が日本に観光に来て日本人の礼儀正しさやホスピタリティに触れて驚くのと同じでしょう。
なにしろ、日本の刑事モノはよく人が殺されますし、中国のテレビで放送される日帝モノでは傲慢不遜で狡猾な日本人しか出てきませんから。
たしか忠臣蔵で有名な元浜奉行不破数右衛門は、家の下男を斬った事で奉行職を解任され、藩にも居れなくなって出奔したとか。
「時代劇」の人権感覚なら、奉行職解任までいかないでしょう。
時間や場所から離れるにつれてデフォルメは激しくなりますね。
> 確かによく考えてみれば、武士が人をむやみに切り捨てて良いという
> 法はあってはならないですものね(^^ゞ
仰るとおり、江戸時代の侍はむやみやたらに他人を切り捨てていません。
もっとも、幕末の混乱期には血なまぐさい時間が多いので、そのイメージに引きずられているのかもしれませんが…。
娯楽時代劇は功罪の両面がありそうですね。
刑事ドラマで殺される人数は、おそらく1クールで年間の殺人事件を上回るのではないでしょうか。
同じ警察署管内での事件としてはあまりにも多すぎます。
不破数右衛門の話にしても、人ひとりを斬っただけで藩を追われるのですから、実際の赤穂事件で吉良家側に16人の死者が出たらしいですが、戦国時代が遠い昔となった時代背景を考えれば、それだけの人数でも十分に大事件だったでしょう。
…映画やテレビドラマでは100人以上切られている印象がありますが(^^ゞ
江戸時代は、徳川幕府による独裁政権だと思いますが、身分制度以外は意外に民主的だったんですかね?
そういうことなんですよ(^^♪
江戸時代といっても、戦国の遺風が残っていた初期はともかく、綱吉以降はそう簡単に人殺しができなくなった時代でした。
> 江戸時代は、徳川幕府による独裁政権だと思いますが、身分制度以外は意外に民主的だったんですかね?
私はそう考えています。
独裁政権=非民主的、とは限らないですからね。民主的な選挙で選ばれても、独裁政権は誕生し得ることはヒトラーのように歴史が証明しています。そして現在も…。
こんばんは
青田です。
質問なのですが、
江戸時代、商人の力が強くなってきた時に
農民から、商人。
武士から、商人。
になることは、出来たのでしょうか。
また、そういうことは、できたのでしょうか。
「支配」や「被支配」といった階級闘争めいたものは、後世の特定な史観からであり、現実はもっと緩やかであったと考えられています。
聞いた話なので、確証はありませんが、武士に落ち度がありながら人を斬った場合、切腹さえ許されず、斬首になったそうです。
平和時に、武士が人に向かって刀の鯉口を切るだけでも大変なことだったらしいです。
帯刀している責任は大きかった、という事なのでしょう。
戦国時代が遠い昔になった頃には、武士としての身分を明らかにするために帯刀したようなものでした。
それだけ平和であったとともに責任を持っていた、ということなのでしょう。
ただし、あまりにも平和ボケになってしまったがゆえに黒船来航時の大騒ぎになってしまったのは皮肉でしかありませんが…。