つまり、長い江戸時代の中で新田開発や農業技術の進歩によって米の収穫量が大きく増えたとしても、昔の収穫高を基準にして年貢率を決めているのですから、農民にとってこれほど「おいしい」話はありませんし、これとは別に商品作物を栽培してそこからの利益もあったのですから、経済的に余裕があったと考えた方が自然なのです。
もちろん、農作物は環境に左右されますから、飢饉(ききん)が起きた際には餓死者(がししゃ)も出ますし、それまでの低い年貢率がいきなり高くなれば、不満を持った農民が一揆(いっき)を起こすこともありました。
しかし、その一方で二宮尊徳(にのみやそんとく)のような農民出身の学者も多く出ていますし、また幕末(ばくまつ)の新選組(しんせんぐみ)を組織した近藤勇(こんどういさみ)や土方歳三(ひじかたとしぞう)も農民の出身です。近藤や土方が相当な剣の使い手になったのも、子供の頃から武家以上に剣術に励むだけの経済力があったからこそでしょう。
歴史に関する研究は、真実の姿が明らかになることによって変化することも十分考えられます。これまで私たちが当たり前と思っていたいわゆる「貧農史観(ひんのうしかん)」を見直すことで、新たな発見を知る喜びを私たちは分かち合うことができるのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
確かに歴史は既に過去の出来事であるから
そこには変えようもない事実が存在するものだという固定観念を持ってしまいがちですが、
それでもそんな中、いつの時代も自分の都合の良いように事実をねじ曲げ、それがそのまま、実しやかに言い伝えられてしまうという危険が史実と言われる事にも孕んでいるという事ですね。
現時点の原発事故問題に関しても
国や東電の発表に食い違いが見られ、事実が二転三転して伝えられたりしています。今日のニュースでも4号機の内部の爆発はなんだったのか分からないという発表まであり、まだまだ謎に包まれた問題となりそうですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに原発事故のその後や真実は心配ですね。
今回の「貧農史観からの脱却」のような「真実を知る楽しみ」とはかけ離れた結果だけは避けてほしいのですが…。
仙臺藩などは
ろっぽん 名目は60万石と言われておりますが
最高で250万石飢饉の時でも100万石あったそうでとにかくシャカリキになって藩の方針として石高Upしてたわけです。
わからんのですが
幕府が各藩に年貢を納めさせなかったのはなぜなんでしょうね。天領、金銀鉱山の直轄、あったとしても?
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 仰るような、名目上の石高と実質上の石高とは相当な開きが各藩にあったようですね。
後者につきましては、現在の中央集権とは違って幕藩体制は独立採算制でしたから、公共工事の「お手伝い」という名の強制的な労役はあっても、それ以上の税は課せなかったからかもしれません。
確かに歴史は既に過去の出来事であるから
そこには変えようもない事実が存在するものだという固定観念を持ってしまいがちですが、
それでもそんな中、いつの時代も自分の都合の良いように事実をねじ曲げ、それがそのまま、実しやかに言い伝えられてしまうという危険が史実と言われる事にも孕んでいるという事ですね。
現時点の原発事故問題に関しても
国や東電の発表に食い違いが見られ、事実が二転三転して伝えられたりしています。今日のニュースでも4号機の内部の爆発はなんだったのか分からないという発表まであり、まだまだ謎に包まれた問題となりそうですね。
応援凸
今回の「貧農史観からの脱却」のような「真実を知る楽しみ」とはかけ離れた結果だけは避けてほしいのですが…。
最高で250万石飢饉の時でも100万石あったそうでとにかくシャカリキになって藩の方針として石高Upしてたわけです。
わからんのですが
幕府が各藩に年貢を納めさせなかったのはなぜなんでしょうね。天領、金銀鉱山の直轄、あったとしても?
後者につきましては、現在の中央集権とは違って幕藩体制は独立採算制でしたから、公共工事の「お手伝い」という名の強制的な労役はあっても、それ以上の税は課せなかったからかもしれません。