この禁令によって農民が土地を捨てて離(はな)れるのを防ごうとしましたが、実際には「質入れ」というかたちで田畑は売買されていました。また、1673年には分地制限令(ぶんちせいげんれい)を出して、田畑の分割相続(ぶんかつそうぞく)を制限し、耕地の細分化(さいぶんか)によって農民が零細化(れいさいか)されて没落(ぼつらく)するのを防ごうとしました。
また、五穀(ごこく)と呼ばれた米・麦・黍(きび)・粟(あわ)・豆以外のたばこや木綿(もめん)、菜種(なたね)などの商品作物(しょうひんさくもつ)の自由な栽培(さいばい)を禁止する田畑勝手作りの禁(でんぱたかってづくりのきん)を出しましたが、やがて農民の間にも貨幣経済(かへいけいざい)が浸透(しんとう)し、儲(もう)かる商品作物の栽培が盛(さか)んとなると守られなくなりました。
この他、1642年に寛永の大飢饉(かんえいのだいききん)が起きた後に、農民の暮らしに細かな指示を与える目的で1649年に慶安の御触書(けいあんのおふれがき)が出されたとされるなど、幕府は農民に対してあれこれと細かい規定を設(もう)けていましたが、江戸時代を通じての農民の暮らしぶりは果たしてどのようなものだったのでしょうか?




いつも有難うございます。
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クラチー 自分は田んぼとかの法の話を聞くと、
「墾田永年私財法」ばっかり頭に浮かびますね。
あと、田沼…。←
なぜ「墾」は書けるのに、夏目漱石の「漱」とかは書けなかったんだ、
中学・高校時代の自分…!
(TДT)
ぴーち こんばんは!
へぇ~そうだったんですか。
ということは、現在、「たばこ」「菜種」「木綿」などを栽培している農家さん達は、江戸時代の禁止令を無視し栽培し続けて来ているという事なのでしょうか(少々、語弊のある言い方で、申し訳ありませんが(*_*;)
次第に人口が増えてくるとおのずと法律が細分化され、それに従って農業も幕府によって
制約が厳しくなり、窮屈な思いを強いられていったのですね。
応援凸
クラチーさんへ
黒田裕樹 なるほど、墾田永年私財法は有名ですからね。
田沼意次は…単独講座ではかつてやりましたが、通史ではもっと後になりますね(^^ゞ
自分の得意分野なら漢字もお手の物ですよ。
私も近畿の駅名で難しいのばかり覚えていましたから(爆)。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 幕府や藩からしてみれば「農民は米を最優先につくってほしい」ですからね。
もっとも、当初は厳しく設けた規制も、時代が流れるにつれて緩やかになっていったようです。
そのあたりも含めて、次回からの更新ですね(^^♪
HANA子 江戸時代の農民の暮らしというと、確かにあまりこれといった知識が思い浮かびません
そういえば、農民の暮らしってどんなんだったかなって
思い浮かぶのは悪代官や悪商人に搾取されてむせび泣く農民……なんて水戸黄門他の時代劇のステロタイプな農民の姿ばかりですしw
次回も期待してお待ちしております!
HANA子さんへ
黒田裕樹 時代劇をよく見ていた私も、農民に関するイメージは仰るとおりだったのですが、歴史研究を始めてからようやく気が付きました。
ご期待いただければと思います(^^♪
ろっぽん 仙臺藩、なんか開田を半農半士にやらせました
当時の人口の2割が武士だと言われます
ほとんどが名目だけ武士の半農半士でした。
そういう武士に開拓させ、失敗すると
おとりつぶしいわいる首階級を奪うわけですね
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 なるほど、武士の面目をかけた新田開発だったのですね。
藩によっては色々と厳しい制度があるということですか。
有難うございます。
しのぶもじずり 現代でも、農協や農水省が、うるさい事を言ってくるという不満を聞く事がありますが、食料自給率の低下を考えると、国全体から農業を考える必要はあるはず。
「田畑勝手作りの禁」も分かる気がします。やる気と統制、どうバランスを取るか。う~ん、まつりごとは、難しい。
しのぶもじずりさんへ
黒田裕樹 確かに食糧自給率を維持することは我が国の生命線ですからね。
農業への手厚い保護もわかりますが過ぎたるは及ばざるがごとしですし、仰るとおりバランスが難しいところです。
「墾田永年私財法」ばっかり頭に浮かびますね。
あと、田沼…。←
なぜ「墾」は書けるのに、夏目漱石の「漱」とかは書けなかったんだ、
中学・高校時代の自分…!
(TДT)
へぇ~そうだったんですか。
ということは、現在、「たばこ」「菜種」「木綿」などを栽培している農家さん達は、江戸時代の禁止令を無視し栽培し続けて来ているという事なのでしょうか(少々、語弊のある言い方で、申し訳ありませんが(*_*;)
次第に人口が増えてくるとおのずと法律が細分化され、それに従って農業も幕府によって
制約が厳しくなり、窮屈な思いを強いられていったのですね。
応援凸
田沼意次は…単独講座ではかつてやりましたが、通史ではもっと後になりますね(^^ゞ
自分の得意分野なら漢字もお手の物ですよ。
私も近畿の駅名で難しいのばかり覚えていましたから(爆)。
もっとも、当初は厳しく設けた規制も、時代が流れるにつれて緩やかになっていったようです。
そのあたりも含めて、次回からの更新ですね(^^♪
そういえば、農民の暮らしってどんなんだったかなって
思い浮かぶのは悪代官や悪商人に搾取されてむせび泣く農民……なんて水戸黄門他の時代劇のステロタイプな農民の姿ばかりですしw
次回も期待してお待ちしております!
ご期待いただければと思います(^^♪
当時の人口の2割が武士だと言われます
ほとんどが名目だけ武士の半農半士でした。
そういう武士に開拓させ、失敗すると
おとりつぶしいわいる首階級を奪うわけですね
藩によっては色々と厳しい制度があるということですか。
有難うございます。
「田畑勝手作りの禁」も分かる気がします。やる気と統制、どうバランスを取るか。う~ん、まつりごとは、難しい。
農業への手厚い保護もわかりますが過ぎたるは及ばざるがごとしですし、仰るとおりバランスが難しいところです。