例えば江戸幕府の初期においては七公三民という厳しい税率となりましたが、これは江戸の町の開発や各地の交通の整備などのインフラのために使用されました。やがて開発がひと段落すると一転して減税となり、幕府が直轄(ちょっかつ)する天領(てんりょう)では、一説によれば三公七民以下にまで落ち込んだとされています。
年貢率に関しては、その年の収穫(しゅうかく)に応じて決める検見法(けみほう)と、豊作や凶作(きょうさく)に関係なく一定の期間に同じ税率を続ける定免法(じょうめんほう)がありました。
なお、年貢の種類としては、本百姓が所有する田畑や屋敷に課せられた本途物成(ほんとものなり)の他に山林などからの収益にかけられる小物成(こものなり)、一国単位で課せられる河川の土木工事での労働である国役(くにやく)、街道(かいどう)付近の農村で宿場(しゅくば)に人馬を差し出す伝馬役(てんまやく)などがありました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
江戸時代は随分ときつい税率だったんですねぇ~!(^^ゞ
現代の北欧地方の消費税率だとて25%は凄いなと思っていましたのに^^;
やはり税率は変動性のある検見法の方が親切ですね。定免法と検見法は地方によって違うのですか?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 江戸時代は随分ときつい税率だったんですねぇ~!(^^ゞ
> 現代の北欧地方の消費税率だとて25%は凄いなと思っていましたのに^^;
確かにそうですね。
もっとも、本文にあるように当初はインフラ整備という名目があったことや、やがては税率がどんどん下がっていったということもあり、江戸時代の農民は必ずしも貧しくはなかったという一面もあります。このあたりはいずれ改めて紹介します。
> やはり税率は変動性のある検見法の方が親切ですね。定免法と検見法は地方によって違うのですか?
当初は検見法が多かったのですが、やがて安定した税率を求めて、吉宗の時代に定免法が採用されるに至ったという流れがあります。
ほうー
ろっぽん 土木工事の国役という労役も年貢すなわち年貢だったんですね
宮城、仙臺藩は江戸期、覇権で領地が広げないので、河川の改修や干拓、今度の仙台平野の津波で被害を受けた地域は干拓地でもともとは海だった地域です。そうやって耕作地を増やしていったんです。それには国役だというのを聞いたことがあります。
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
人口の急増に対応するために海を干拓して耕地を広げました。時が流れて宮城県は我が国有数の米どころとなったのですが、今度の震災で…。
先人の努力を生かすためにも、復興をお祈りしております。
農民の暮らし
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
テレビ時代劇で、江戸時代の農民の生活は
生き地獄にように描かれていたので
てっきり、農民の暮らしは、悲惨なだけと思っていました。
(水戸黄門など)
そして、商人が勘定奉行と癒着し、米の値段を釣り上げて、吉原で、遊んでいる。
というイメージを持っていました。
ただ、農民の暮らしが、本当に悲惨なだけだったら、人口が増えませんね。
このあたり、時代劇とは、違う真実を知りたいです。
青田さんへ
黒田裕樹 そのとおりです。
時代劇はあくまでドラマであり、史実とかけ離れているところはたくさんあります。
農民の暮らしの真実について、これから時間をかけて迫りますので、ご期待下さい!
江戸時代は随分ときつい税率だったんですねぇ~!(^^ゞ
現代の北欧地方の消費税率だとて25%は凄いなと思っていましたのに^^;
やはり税率は変動性のある検見法の方が親切ですね。定免法と検見法は地方によって違うのですか?
応援凸
> 現代の北欧地方の消費税率だとて25%は凄いなと思っていましたのに^^;
確かにそうですね。
もっとも、本文にあるように当初はインフラ整備という名目があったことや、やがては税率がどんどん下がっていったということもあり、江戸時代の農民は必ずしも貧しくはなかったという一面もあります。このあたりはいずれ改めて紹介します。
> やはり税率は変動性のある検見法の方が親切ですね。定免法と検見法は地方によって違うのですか?
当初は検見法が多かったのですが、やがて安定した税率を求めて、吉宗の時代に定免法が採用されるに至ったという流れがあります。
宮城、仙臺藩は江戸期、覇権で領地が広げないので、河川の改修や干拓、今度の仙台平野の津波で被害を受けた地域は干拓地でもともとは海だった地域です。そうやって耕作地を増やしていったんです。それには国役だというのを聞いたことがあります。
人口の急増に対応するために海を干拓して耕地を広げました。時が流れて宮城県は我が国有数の米どころとなったのですが、今度の震災で…。
先人の努力を生かすためにも、復興をお祈りしております。
こんにちは
青田です。
テレビ時代劇で、江戸時代の農民の生活は
生き地獄にように描かれていたので
てっきり、農民の暮らしは、悲惨なだけと思っていました。
(水戸黄門など)
そして、商人が勘定奉行と癒着し、米の値段を釣り上げて、吉原で、遊んでいる。
というイメージを持っていました。
ただ、農民の暮らしが、本当に悲惨なだけだったら、人口が増えませんね。
このあたり、時代劇とは、違う真実を知りたいです。
時代劇はあくまでドラマであり、史実とかけ離れているところはたくさんあります。
農民の暮らしの真実について、これから時間をかけて迫りますので、ご期待下さい!