村の運営は村法(そんぽう、別名を村掟=むらおきて)に基(もと)づいて行われ、村の秩序(ちつじょ)を乱す村民に対しては村八分(むらはちぶ)などの制裁(せいさい)を加えました。なお「八分」とは、火事と葬儀(そうぎ)の二つ、すなわち「二分」以外の残り「八分」の関わりを拒否(きょひ)したことが由来(ゆらい)と言われています。
幕府や諸藩(しょはん)は、こうした村の自治組織を頼(たよ)りに年貢の納入や割り当てを実施しました。これを村請制(むらうけせい)と呼び、村民は数戸(すうこ)の農家で五人組(ごにんぐみ)に編成され、年貢の納入、あるいはキリシタンや犯罪などを監視して連帯責任を負うとともに、相互に扶助(ふじょ、助け合うこと)する機能も果たしました。
村内にはいくつかの階層が存在し、検地帳(けんちちょう)に登録されて高請地(たかうけち)と呼ばれた田畑の耕作権を持ち、年貢を負担して村政に参加する本百姓(ほんびゃくしょう、別名を高持百姓=たかもちひゃくしょう)や、田畑を借りて小作(こさく)を営(いとな)む水呑百姓(みずのみひゃくしょう)、本百姓に従属(じゅうぞく)する名子(なご)・被官(ひかん)などに分かれていました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
「村八分」という言葉は存じておりましたが、
本当の謂れは気にも留めておりませんでした!そういう意味だったのですね!
初めて知りました。ありがとうございますm(_ _)m
それにしても五人組制度のしくみは
巧い事考えましたよね。
今でも私の所の様な田舎は、組内と称して
色々な地域の行事には組となって活動する
時があります。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 村八分の由来は、考えてみれば恐ろしいですね。地方では今でもこの風習が残っており、裁判沙汰にまでなっているのがあるようです。
五人組仰るようにに今でも残っていますね。もっとも、こちらは「相互扶助」の一面からか、どちらかといえば好意的に思われているようですが。
「村八分」という言葉は存じておりましたが、
本当の謂れは気にも留めておりませんでした!そういう意味だったのですね!
初めて知りました。ありがとうございますm(_ _)m
それにしても五人組制度のしくみは
巧い事考えましたよね。
今でも私の所の様な田舎は、組内と称して
色々な地域の行事には組となって活動する
時があります。
応援凸
五人組仰るようにに今でも残っていますね。もっとも、こちらは「相互扶助」の一面からか、どちらかといえば好意的に思われているようですが。