寺請制度によっていわゆるキリシタンは完全に排除されましたが、その一方で国民が必ずいずれかの寺院の檀家とさせられたことは、同時に個人の信仰の自由を奪(うば)われたことも意味していました。
寺院にとっても、周辺の住民が檀家となることで信者数が固定され、また幕府の保護を受けて経済的な安定を得ることができましたが、それは同時にこれまでのような熱心な布教活動が不要となったことで、仏教の本来の任務に対する情熱を失わせる結果をもたらしました。
このような流れを受け継いだことで、我が国では国民の宗教に対する意識が低下した結果、いわゆる「無神論者(むしんろんしゃ)」が増えており、日本人の宗教観のなさや、宗教に関する無関心さが、宗教を重んじる外国人との間でトラブルを引き起こすなど国内外で問題となっています。
また、政教分離を強調するあまり、我が国古来の風習である「神道との関わり」のすべてが否定される傾向が見られ、総理大臣や知事、市長などの公人(こうじん)が、役職名で神社に参拝したり、あるいは玉ぐし料を支出したりすることなどが憲法違反とみなされています。
我が国における政教分離に至る歴史の流れを理解することは非常に大切なことですが、それと同時に日本人として当然に持つべき宗教観の育成も、我が国にとって重要な課題ではないでしょうか。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
確かに安定、安心は退屈を生むと言いますもんね。それ以上努力する必要が無くなると同時に
向上心も失われる。世の中とはどちらかに傾倒し過ぎると、これもまた問題が生じて来るもので、難しいものですね(^_^;)
所で、信長や秀吉は自分の意見だけを優先させ、それに反対する者の意見は尽く退けていた様ですが、家康は逆に色々な者から意見を聞き、時には意見されることも恥とは思わず、政策に活かして来たからこそ、優れた政策を打ち出す事が出来たとも言われている様ですが、やはり余りに出来過ぎた法案でも、必ずしもオールマイティでは無いという事なんですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、信長や秀吉のデメリットを克服できたはずの家康、その政策を引き継いだ江戸幕府であってもうまくいかないところがある、というのが歴史の教訓でもあります。
万能でないというのであれば、そのメリットを生かして別の方向へと見出す努力をするのが本来の政治の姿なのでしょうね。
確かに安定、安心は退屈を生むと言いますもんね。それ以上努力する必要が無くなると同時に
向上心も失われる。世の中とはどちらかに傾倒し過ぎると、これもまた問題が生じて来るもので、難しいものですね(^_^;)
所で、信長や秀吉は自分の意見だけを優先させ、それに反対する者の意見は尽く退けていた様ですが、家康は逆に色々な者から意見を聞き、時には意見されることも恥とは思わず、政策に活かして来たからこそ、優れた政策を打ち出す事が出来たとも言われている様ですが、やはり余りに出来過ぎた法案でも、必ずしもオールマイティでは無いという事なんですね。
応援凸
万能でないというのであれば、そのメリットを生かして別の方向へと見出す努力をするのが本来の政治の姿なのでしょうね。