母親が臨月(りんげつ)の際に馬小屋の前で産気づいたため、生まれた後に厩戸皇子(うまやどのおうじ)と名付けられたという話は有名ですが、「馬小屋の前で産気づいた」といえば、西洋の偉人である「イエス=キリスト」にも似たような伝説がありますね。
また、聖徳太子の他の有名なエピソードとしては、幼少時から抜群に有能であったために、10人の全く別々の話を同時に聞き分けることができた、というのもあります。
この他にも聖徳太子には様々な伝説があり、現実の世界でも内政や外交に大活躍するのですが(これから紹介していきます)、それらがあまりにも浮世離(うきよばな)れしているということで、最近では「聖徳太子は実在しなかった」とか「聖徳太子の業績は大半がつくり話だ」などという学説も出てきています。
さらには「聖徳太子」という彼の名前の呼び方についても、最近では意見が分かれています。



いつも有難うございます。
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およよのよ まあ作り話でしょうな。
この前に法隆寺へ行った時、手に取った資料の聖徳太子伝説にびっくり。
確かに聖徳太子は凄い人だったんだろうけど信者が広めた偽伝説だと思っております。
大体なんでもできる超人ってのはどこか欠けてないとだめなんですよ。魅力半減なんですよ。
曹操、ナポレオン=ちびとか。
およよのよさんへ
黒田裕樹 > まあ作り話でしょうな。
> この前に法隆寺へ行った時、手に取った資料の聖徳太子伝説にびっくり。
> 確かに聖徳太子は凄い人だったんだろうけど信者が広めた偽伝説だと思っております。
仰るとおり、伝説にはいわゆる「尾ひれ」がつくものです。ただ、聖徳太子が我が国に与えた良い意味での影響が大きかったことで、ここまで「ふくらんだ」伝説がつくられたのでしょう。
> 大体なんでもできる超人ってのはどこか欠けてないとだめなんですよ。魅力半減なんですよ。
> 曹操、ナポレオン=ちびとか。
確かにそういう面はありますね。
だから「ギャ○○ンガ○和」の聖徳太子があれだけ人気があるのかな?(^^ゞ
ぴーち こんばんは!いつもお世話になっています^^
穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。
こんな長い名前を昔は呼んでいたんですね~。
途中で、舌噛みそうにならなかったかしら(笑
それと、確かに聖徳太子は10人の別の方の話を聞きわけたというのは、有名な話ですよね^^
日本に初めて仏教を広めた人も、聖徳太子だと聞きました。
まあ大昔の話なので、その業績が本当に正しかったという確証は確かに難しいですよね。
生き証人が居ないんですもんね^^
それでは、応援凸
また、為になるお話を聞かせてくださいね^^
ヒロキ 聖徳太子の伝説は有名ですよね!
確かに美化されてると思うことはありますが、
昔の人の伝説なんて皆そんなものですよね(笑
もしいないとしたら聖徳太子絡みのものはどうなるんでしょうね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!いつもお世話になっています^^
こちらこそいつも有難うございます!(^o^)丿
> 穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。
> こんな長い名前を昔は呼んでいたんですね~。
> 途中で、舌噛みそうにならなかったかしら(笑
確かに舌を噛みそうな名前です(^^ゞ
1400年以上前の日本語の発音はどうなっていたんでしょうね?
> 日本に初めて仏教を広めた人も、聖徳太子だと聞きました。
仏教が本格的に広まったのは、仰るとおりこの時代からです。
いずれこの講座で紹介しますね。
> まあ大昔の話なので、その業績が本当に正しかったという確証は確かに難しいですよね。
> 生き証人が居ないんですもんね^^
「証拠は?」と問いつめられると確かにありません。しかし、これらの聖徳太子伝説がすべて虚構の世界だというのなら、何の理由でこんなに大きな話をでっち上げる必要があるのでしょうか?
「どうして本当なのか?」と問う前に「でっち上げ」と決め付ける明確な根拠を知りたいものです。
> また、為になるお話を聞かせてくださいね^^
為になるかどうかは分かりませんが…宜しくお願いしますm(_ _)m
ヒロキさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、昔の人の伝説というものは大なり小なり美化されるものです。
そんな美化された伝説の中に潜んでいる真実を突き止める作業も、歴史研究の醍醐味のひとつといえるでしょう。
「聖徳太子虚構説」を唱える人の中には、奈良時代のある政治家(いずれ紹介します)が業績をでっち上げたとしていますが、だとすれば中国の歴史書等に載っている「事実」はどう根拠付けるんでしょうね。
真実を知っているのは
オバrev 聖徳太子のやった政治改革の実績を見ると、桁外れに優秀な人物だったことは想像できますが、10人の人の話を同時に聞くなど、ちょっとホンマかいなと思う所はあります。
日本書紀は藤原不比等が編纂にタッチしていたと思うのですが、藤原氏や当時の天皇を美化するような内容になっているでしょうから、その中に出てくる聖徳太子も、どこまでが本当でどこからが嘘かは、不比等のみぞ知る?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 聖徳太子のやった政治改革の実績を見ると、桁外れに優秀な人物だったことは想像できますが、10人の人の話を同時に聞くなど、ちょっとホンマかいなと思う所はあります。
優秀な人物だったゆえに、「聖徳太子ならそれくらいのことができたであろう」と、美化されたところは正直言ってあると思います。ただ、それは太子の政治が肯定されているからこそなんですよね。物事を否定する場合に、良く言う人はいませんし。
> 日本書紀は藤原不比等が編纂にタッチしていたと思うのですが、藤原氏や当時の天皇を美化するような内容になっているでしょうから、その中に出てくる聖徳太子も、どこまでが本当でどこからが嘘かは、不比等のみぞ知る?
今となってはそうですね。藤原不比等がどこまで手を加えているかは正直分かりませんが、少なくとも「でっち上げ」は有り得ません。他の歴史書とも組み合わせたり、史跡に残された当時の評価などを総合的に考える必要があると思います。それなのに、最近は聖徳太子を否定的に見る学説が定着した感があり、私自身は非常に違和感を感じています。そのあたりを今日(5日)の講座でふれてみたいと思います。
この前に法隆寺へ行った時、手に取った資料の聖徳太子伝説にびっくり。
確かに聖徳太子は凄い人だったんだろうけど信者が広めた偽伝説だと思っております。
大体なんでもできる超人ってのはどこか欠けてないとだめなんですよ。魅力半減なんですよ。
曹操、ナポレオン=ちびとか。
> この前に法隆寺へ行った時、手に取った資料の聖徳太子伝説にびっくり。
> 確かに聖徳太子は凄い人だったんだろうけど信者が広めた偽伝説だと思っております。
仰るとおり、伝説にはいわゆる「尾ひれ」がつくものです。ただ、聖徳太子が我が国に与えた良い意味での影響が大きかったことで、ここまで「ふくらんだ」伝説がつくられたのでしょう。
> 大体なんでもできる超人ってのはどこか欠けてないとだめなんですよ。魅力半減なんですよ。
> 曹操、ナポレオン=ちびとか。
確かにそういう面はありますね。
だから「ギャ○○ンガ○和」の聖徳太子があれだけ人気があるのかな?(^^ゞ
穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。
こんな長い名前を昔は呼んでいたんですね~。
途中で、舌噛みそうにならなかったかしら(笑
それと、確かに聖徳太子は10人の別の方の話を聞きわけたというのは、有名な話ですよね^^
日本に初めて仏教を広めた人も、聖徳太子だと聞きました。
まあ大昔の話なので、その業績が本当に正しかったという確証は確かに難しいですよね。
生き証人が居ないんですもんね^^
それでは、応援凸
また、為になるお話を聞かせてくださいね^^
確かに美化されてると思うことはありますが、
昔の人の伝説なんて皆そんなものですよね(笑
もしいないとしたら聖徳太子絡みのものはどうなるんでしょうね^^
こちらこそいつも有難うございます!(^o^)丿
> 穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。
> こんな長い名前を昔は呼んでいたんですね~。
> 途中で、舌噛みそうにならなかったかしら(笑
確かに舌を噛みそうな名前です(^^ゞ
1400年以上前の日本語の発音はどうなっていたんでしょうね?
> 日本に初めて仏教を広めた人も、聖徳太子だと聞きました。
仏教が本格的に広まったのは、仰るとおりこの時代からです。
いずれこの講座で紹介しますね。
> まあ大昔の話なので、その業績が本当に正しかったという確証は確かに難しいですよね。
> 生き証人が居ないんですもんね^^
「証拠は?」と問いつめられると確かにありません。しかし、これらの聖徳太子伝説がすべて虚構の世界だというのなら、何の理由でこんなに大きな話をでっち上げる必要があるのでしょうか?
「どうして本当なのか?」と問う前に「でっち上げ」と決め付ける明確な根拠を知りたいものです。
> また、為になるお話を聞かせてくださいね^^
為になるかどうかは分かりませんが…宜しくお願いしますm(_ _)m
そんな美化された伝説の中に潜んでいる真実を突き止める作業も、歴史研究の醍醐味のひとつといえるでしょう。
「聖徳太子虚構説」を唱える人の中には、奈良時代のある政治家(いずれ紹介します)が業績をでっち上げたとしていますが、だとすれば中国の歴史書等に載っている「事実」はどう根拠付けるんでしょうね。
日本書紀は藤原不比等が編纂にタッチしていたと思うのですが、藤原氏や当時の天皇を美化するような内容になっているでしょうから、その中に出てくる聖徳太子も、どこまでが本当でどこからが嘘かは、不比等のみぞ知る?
優秀な人物だったゆえに、「聖徳太子ならそれくらいのことができたであろう」と、美化されたところは正直言ってあると思います。ただ、それは太子の政治が肯定されているからこそなんですよね。物事を否定する場合に、良く言う人はいませんし。
> 日本書紀は藤原不比等が編纂にタッチしていたと思うのですが、藤原氏や当時の天皇を美化するような内容になっているでしょうから、その中に出てくる聖徳太子も、どこまでが本当でどこからが嘘かは、不比等のみぞ知る?
今となってはそうですね。藤原不比等がどこまで手を加えているかは正直分かりませんが、少なくとも「でっち上げ」は有り得ません。他の歴史書とも組み合わせたり、史跡に残された当時の評価などを総合的に考える必要があると思います。それなのに、最近は聖徳太子を否定的に見る学説が定着した感があり、私自身は非常に違和感を感じています。そのあたりを今日(5日)の講座でふれてみたいと思います。