目付は若年寄の下に置かれて旗本・御家人を監察し、大目付は老中の下に置かれて大名を監察するのが業務でした。この二つは区別が非常にややこしいので注意が必要です。
幕政における実務の処理は、老中の下に置かれた寺社奉行(じしゃぶぎょう)・江戸の町奉行(まちぶぎょう)・勘定奉行(かんじょうぶぎょう)のいわゆる三奉行(さんぶぎょう)が担当しました。
これらの幕府の役職には原則として数名の譜代大名や旗本らが就任し、1ヵ月で交代する月番交代制(つきばんこうたいせい)で政務が行われました。また重要な政務事項については、評定所(ひょうじょうしょ)において役職をまたいで合議されました。
なお、地方の組織としては京都所司代(きょうとしょしだい)を置いて朝廷の統制や西国大名の監視を行い、大坂や駿府(すんぷ、現在の静岡)には城代(じょうだい)が置かれました。また長崎や奈良・佐渡・日光(にっこう)などの要地には遠国奉行(おんごくぶぎょう)が配置され、天領には関東・飛騨(ひだ)・美濃(みの)などに郡代(ぐんだい)が、その他には代官(だいかん)が置かれました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
そうですね(^^ゞ
頭が固い私は
既に冒頭の部分で、訳が判らなくなってしまったので、ご説明に沿って図式にしてみましたら、何とか理解出来ましたm(_ _)m
日光は今でこそ、そう遠くない所ですが、当時としては随分と遠い場所として認識されていたんでしょうね。
それでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですね(^^ゞ
> 頭が固い私は
> 既に冒頭の部分で、訳が判らなくなってしまったので、ご説明に沿って図式にしてみましたら、何とか理解出来ましたm(_ _)m
申し訳ございませんm(_ _)m
図式が難しいのがブログの欠点ですね。
私にもう少し絵の才能があれば…。
> 日光は今でこそ、そう遠くない所ですが、当時としては随分と遠い場所として認識されていたんでしょうね。
遠国奉行の意味は、天領のうち重要な場所の奉行の総称だったようです。
もっとも、ぴーちさんの仰るように遠くて目の届かない場所だからこそ、奉行職を置く必要があったと考えられますね。
十三人の刺客
晴雨堂ミカエル 昨秋、「十三人の刺客」リメイクが封切られました。
チャンバラ・アクション娯楽大作なので、時代考証云々をいっても野暮なのですが、やはり気になる点は多々あります。
その一つに、主人公は御目付役の旗本なのですが、老中に呼び出されて某藩主の暗殺を命じられる場面があります。
目付の支配は若年寄なのに、若年寄の頭越しに老中が命じた例は史実にありますか?
また主人公は知行七百石、たしか目付は役料千石のはず、これもありえますか?
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、時代考証の細かいところは結構いい加減なところがありますよね。
事例のお話も、いずれも通常では有り得ない話です。ただし、後者は足高の制が適用されていれば考えられないこともないですが…。
HANA子 こうして見ると、これまでの鎌倉・足利幕府のころの体制の足りない部分をキチンとカバーしているところがよくわかりますね。
ある程度地方の裁量の自由を認めつつ、力を蓄えて反抗に出るようなことのないよう目を光らせる監視体制を図っているところなど特に。
それにしても、江戸時代の日本って封建体制であると同時にガッチガチの官僚国家でもあったんですね~
HANA子さんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと私も思います。歴史に学んだ家康の終着点が今回のような体制を作ったといえるでしょう。
官僚国家についてもそのとおりだと思います。思えば我が国は昔から官僚支配に慣れているからこそ、55年体制が長続きしたのかもしれませんね。
柳生宗矩
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
時代劇で、有名な柳生宗矩は、一介の剣法指南役から
大目付にまで、出世したのは、異例のことですね。
しかも、門弟は、全国の大名の剣法指南役です。
まるで、江戸時代のCIAですね。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに柳生宗矩は大出世ですね。
武断政治が色濃く残っていた時代ならではでしょう。
大目付という言葉がピッタリな気がします。
そうですね(^^ゞ
頭が固い私は
既に冒頭の部分で、訳が判らなくなってしまったので、ご説明に沿って図式にしてみましたら、何とか理解出来ましたm(_ _)m
日光は今でこそ、そう遠くない所ですが、当時としては随分と遠い場所として認識されていたんでしょうね。
それでは応援凸
> 頭が固い私は
> 既に冒頭の部分で、訳が判らなくなってしまったので、ご説明に沿って図式にしてみましたら、何とか理解出来ましたm(_ _)m
申し訳ございませんm(_ _)m
図式が難しいのがブログの欠点ですね。
私にもう少し絵の才能があれば…。
> 日光は今でこそ、そう遠くない所ですが、当時としては随分と遠い場所として認識されていたんでしょうね。
遠国奉行の意味は、天領のうち重要な場所の奉行の総称だったようです。
もっとも、ぴーちさんの仰るように遠くて目の届かない場所だからこそ、奉行職を置く必要があったと考えられますね。
チャンバラ・アクション娯楽大作なので、時代考証云々をいっても野暮なのですが、やはり気になる点は多々あります。
その一つに、主人公は御目付役の旗本なのですが、老中に呼び出されて某藩主の暗殺を命じられる場面があります。
目付の支配は若年寄なのに、若年寄の頭越しに老中が命じた例は史実にありますか?
また主人公は知行七百石、たしか目付は役料千石のはず、これもありえますか?
事例のお話も、いずれも通常では有り得ない話です。ただし、後者は足高の制が適用されていれば考えられないこともないですが…。
ある程度地方の裁量の自由を認めつつ、力を蓄えて反抗に出るようなことのないよう目を光らせる監視体制を図っているところなど特に。
それにしても、江戸時代の日本って封建体制であると同時にガッチガチの官僚国家でもあったんですね~
官僚国家についてもそのとおりだと思います。思えば我が国は昔から官僚支配に慣れているからこそ、55年体制が長続きしたのかもしれませんね。
こんばんは
青田です。
時代劇で、有名な柳生宗矩は、一介の剣法指南役から
大目付にまで、出世したのは、異例のことですね。
しかも、門弟は、全国の大名の剣法指南役です。
まるで、江戸時代のCIAですね。
武断政治が色濃く残っていた時代ならではでしょう。
大目付という言葉がピッタリな気がします。