なぜなら、我が国では憲法十七条(けんぽうじゅうしちじょう)での「和の精神」に象徴(しょうちょう)されるように、何事も多数の人間の話し合いで決めるという慣習が昔から存在するからです。多数決の論理が我が国でもてはやされる一方で、独裁政治が長続きすることが好まれないということが、過去の歴史から学んだ家康には分かっていました。
そこで、家康は将軍の下に数人の年寄(としより)を置いて、彼らの合議制(ごうぎせい)によって政治上の重要な決裁(けっさい)を行う方式を考案し、やがて家光の頃までには、年寄が老中(ろうじゅう)と名を変えて定着しました。
このシステムによって、将軍は老中が決めたことを承認するだけで済み、将軍自身の資質に関係なく幕政がうまく機能するようになったのです。家康の没後に始められた「独裁者を出さないシステム」が定着したことで、幕政の安定化が図(はか)られることになりました。
なお、老中の上には臨時職として大老(たいろう)が置かれることもあり、通常は重要事項の決定のみ合議に参加しました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
現代の政治体制も元はといえば、聖徳太子の「十七条憲法」からの和の精神を脈々と受け継いで来ている訳だったんですね!
そして家康の時代に「独裁者を出さないシステム」理論が出来上がったのですか。
確かに独裁政治は、さして苦労なくすぐに法案が成立してしまうというメリットはあるでしょう。けれど、何事も多人数の意見を聞いて法案を決定させようとすると、なかなか決まりづらいデメリットはあるものの、大勢の異なる角度からの意見で推し進めるという事は慎重に論議された分、失敗も少なく済みますものね。
それが本当の意味の前向きな論議であって欲しいですけれど(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国の風土には合議制の方があっていますね。
ただ、今回のような非常時の場合には、多少は強引であっても独裁政治のような即決の方が良いかもしれません。
もっとも、即決した事案に問題があってはもっと大事(おおごと)になってしまいますが…。
J時永 合議制と日本古来の和の精神を結びつけるとは流石です!なるほど!やっぱり根付いたやり方でやった方が長く続くんですね。
合議制の良い点は複数人で決めるのでそれぞれの有利不利が極端にならないところですかね。その反面決断を出すのに時間がかかる、という短所もあります。
一代目はそのカリスマ性で独裁政治を行い、二代目以降は将軍の資質を考慮して合議制…こう思うと鎌倉幕府の政治体制を思い出します。鎌倉幕府は実朝の代で終わってしまったので北条氏の力が大きくなってしまいましたが、徳川家は嫡流だけでなく御三家御三卿もあったのでそれが旗本御家人の進出をある程度抑え込んだのかと思います。こうした幅広い「部下に対する対策」が260年の歴史を生み出したのでしょう。途中で少し狂ったりしましたが・・・。
現在では…確かに時間も迫ってますしトップの即決力が必要ですね!どうなるんでしょうねー。
それでは!
J時永さんへ
黒田裕樹 有難うございます。
我が国に根付いた手法は、仰るとおり組織を長持ちさせますからね。
鎌倉幕府は頼朝亡き後の源氏がガタガタだったのが響きました。徳川家は家康が鬼籍に入るころまでに盤石になっていましたから、この差は大きいと思います。
現状の場合は、やはりトップの迅速かつ的確な判断が待たれるところですね。
合議制
青田です。 黒田先生、J時永さんへ
こんばんは
青田です。
私は、合議制について、非常にネガティブな
イメージを今まで持っていました。
日本の組織で、
根回し、談合、癒着、無責任、派閥
これらを、よく、観るからです。
しかし、民意を反映させるというのは、
やはり、合議制ですね。
合議制は、時間もかかるし、面倒なことも
多くあります。
しかし、組織を長続きさせるには、最適なんでしょうね。
青田さんへ
黒田裕樹 合議制は根回しに通じますから、確かにネガティブなイメージがありますね。
ところが、いざ自分がその場に立つと「事前に聞いていない」と拒否反応を示すことになる。
日本人の特性がよく表れていると思います。
HANA子 日本と古代ローマの奇妙な類似性については塩野七生先生の著書以外にもよく聞かれる説ですが、
ここでもそれを強く感じるように思います。
巨大な国家の運営をしていく中で、一人の人物に多大な権限と責任が重くのしかかる状況を回避する仕組みということで、帝政ローマと徳川幕藩体制は似ていないでしょうか?
徳川家は記事の通り年寄り(後老中)の合議制によって将軍を補佐する仕組みを作り、その下に巨大な官僚組織を作って国家全体を見通す仕組みを構築していきました。
帝政ローマは共和制ローマの仕組みを上手く使い、元老院・官僚組織をより時代にあわせて構築しなおして、元首=皇帝を頂く仕組みをつくって巨大な国土を運営していきました、と
ま、殆ど人の受け売りの話なんですが悪くないんじゃないかなと。
そうそう、全然関係ないですが、古代ローマ人と日本人って温泉好きって共通項もあるんだそうですw
HANA子さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、確かに共通点が多いですね。
いくら歴史に学んだ家康でも、まさか古代ローマのことは知っているとは思えませんから、過去の失敗から学んだ人間がたどり着く道が同じだったということかもしれません。
現代の政治体制も元はといえば、聖徳太子の「十七条憲法」からの和の精神を脈々と受け継いで来ている訳だったんですね!
そして家康の時代に「独裁者を出さないシステム」理論が出来上がったのですか。
確かに独裁政治は、さして苦労なくすぐに法案が成立してしまうというメリットはあるでしょう。けれど、何事も多人数の意見を聞いて法案を決定させようとすると、なかなか決まりづらいデメリットはあるものの、大勢の異なる角度からの意見で推し進めるという事は慎重に論議された分、失敗も少なく済みますものね。
それが本当の意味の前向きな論議であって欲しいですけれど(^^ゞ
応援凸
ただ、今回のような非常時の場合には、多少は強引であっても独裁政治のような即決の方が良いかもしれません。
もっとも、即決した事案に問題があってはもっと大事(おおごと)になってしまいますが…。
合議制の良い点は複数人で決めるのでそれぞれの有利不利が極端にならないところですかね。その反面決断を出すのに時間がかかる、という短所もあります。
一代目はそのカリスマ性で独裁政治を行い、二代目以降は将軍の資質を考慮して合議制…こう思うと鎌倉幕府の政治体制を思い出します。鎌倉幕府は実朝の代で終わってしまったので北条氏の力が大きくなってしまいましたが、徳川家は嫡流だけでなく御三家御三卿もあったのでそれが旗本御家人の進出をある程度抑え込んだのかと思います。こうした幅広い「部下に対する対策」が260年の歴史を生み出したのでしょう。途中で少し狂ったりしましたが・・・。
現在では…確かに時間も迫ってますしトップの即決力が必要ですね!どうなるんでしょうねー。
それでは!
我が国に根付いた手法は、仰るとおり組織を長持ちさせますからね。
鎌倉幕府は頼朝亡き後の源氏がガタガタだったのが響きました。徳川家は家康が鬼籍に入るころまでに盤石になっていましたから、この差は大きいと思います。
現状の場合は、やはりトップの迅速かつ的確な判断が待たれるところですね。
こんばんは
青田です。
私は、合議制について、非常にネガティブな
イメージを今まで持っていました。
日本の組織で、
根回し、談合、癒着、無責任、派閥
これらを、よく、観るからです。
しかし、民意を反映させるというのは、
やはり、合議制ですね。
合議制は、時間もかかるし、面倒なことも
多くあります。
しかし、組織を長続きさせるには、最適なんでしょうね。
ところが、いざ自分がその場に立つと「事前に聞いていない」と拒否反応を示すことになる。
日本人の特性がよく表れていると思います。
ここでもそれを強く感じるように思います。
巨大な国家の運営をしていく中で、一人の人物に多大な権限と責任が重くのしかかる状況を回避する仕組みということで、帝政ローマと徳川幕藩体制は似ていないでしょうか?
徳川家は記事の通り年寄り(後老中)の合議制によって将軍を補佐する仕組みを作り、その下に巨大な官僚組織を作って国家全体を見通す仕組みを構築していきました。
帝政ローマは共和制ローマの仕組みを上手く使い、元老院・官僚組織をより時代にあわせて構築しなおして、元首=皇帝を頂く仕組みをつくって巨大な国土を運営していきました、と
ま、殆ど人の受け売りの話なんですが悪くないんじゃないかなと。
そうそう、全然関係ないですが、古代ローマ人と日本人って温泉好きって共通項もあるんだそうですw
いくら歴史に学んだ家康でも、まさか古代ローマのことは知っているとは思えませんから、過去の失敗から学んだ人間がたどり着く道が同じだったということかもしれません。