翌1635年には新たな武家諸法度となる寛永令(かんえいれい)を発布(はっぷ)して、諸大名に妻子を江戸に残して人質としたうえで、江戸と国元(くにもと)とを1年おきに往復する参勤交代(さんきんこうたい)を義務づけました。
参勤交代は大勢の供(とも)を連れて長い道中を移動しなければならず、水陸交通の発達などをうながす一方で、諸大名は多大な出費を負担しなければいけませんでした。この他にも、普請役(ふしんやく)として江戸城などの修築や各地の河川(かせん)などの土木工事を幕府が強要したことによって、多くの大名が経済的な負担に苦しむようになりました。
これは、諸大名に多大な負担を押し付けることによって倒幕への軍備などを整えさせないようにするための、江戸幕府による作戦でもありました。こうして、家光の頃までには将軍と諸大名との主従関係が確立しました。なお、将軍と大名、すなわち幕府と藩(はん)によって全国を支配する体制を幕藩体制(ばくはんたいせい)といいます。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
幕府も考えるものですねぇ。
主従関係と独裁政治は同義語だったのかしら・・と錯覚を起してしまいそうになりました(^^ゞ
それにしても、諸大名からは経済的に苦しむようになっても、不平不満は出なかったのでしょうか。
凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 幕府も考えるものですねぇ。
> 主従関係と独裁政治は同義語だったのかしら・・と錯覚を起してしまいそうになりました(^^ゞ
確かに間違えそうですね(´・ω・`)
平和のためとはいえ、ここまでやりますか…。
> それにしても、諸大名からは経済的に苦しむようになっても、不平不満は出なかったのでしょうか。
もちろん出たと思います。
しかしながら、幕府の武力には誰も逆らえません。
そう、武力がにらみを利かしている間は。しかし、それが無くなれば…。
HANA子 中央政府の統制がきいている間はよし
その統制と強制力が弱まった時には・・・
それは日本のみならず世界中の歴史が示しているところですものね
日本においては、それが幕末──黒船の来航であったとされていますが、実の所「黒船来航」はその引き金に過ぎず、幕末の足音はそれ以前から忍び寄りつつあった……と考えています
先生のその辺の考察も伺ってみたいな~と
それはさておき、その後260年も続いた幕藩体制の土台というか、そのものが既に初期の段階でほぼ完成しているということには、やはり家康からの徳川三代の凄さが際立つというものですね
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 中央政府の統制がきいている間はよし
> その統制と強制力が弱まった時には・・・
> それは日本のみならず世界中の歴史が示しているところですものね
> 日本においては、それが幕末──黒船の来航であったとされていますが、実の所「黒船来航」はその引き金に過ぎず、幕末の足音はそれ以前から忍び寄りつつあった……と考えています
> 先生のその辺の考察も伺ってみたいな~と
仰るとおり、世界の歴史がこの流れを証明していますね。
政権発足当時は将来の統制の緩みをなかなか想像できないものです。
幕末については以前に本物の歴史講座で断片的に紹介してきましたが、通史でもいずれ紹介しますよ。
ただ、いつごろできるが定かではありませんが…。
> それはさておき、その後260年も続いた幕藩体制の土台というか、そのものが既に初期の段階でほぼ完成しているということには、やはり家康からの徳川三代の凄さが際立つというものですね
これも仰るとおりです。
家康のみならず、秀忠と家光の功績(老中に政治を任せたことも含む)は大きいものがありますね。
幕府も考えるものですねぇ。
主従関係と独裁政治は同義語だったのかしら・・と錯覚を起してしまいそうになりました(^^ゞ
それにしても、諸大名からは経済的に苦しむようになっても、不平不満は出なかったのでしょうか。
凸
> 主従関係と独裁政治は同義語だったのかしら・・と錯覚を起してしまいそうになりました(^^ゞ
確かに間違えそうですね(´・ω・`)
平和のためとはいえ、ここまでやりますか…。
> それにしても、諸大名からは経済的に苦しむようになっても、不平不満は出なかったのでしょうか。
もちろん出たと思います。
しかしながら、幕府の武力には誰も逆らえません。
そう、武力がにらみを利かしている間は。しかし、それが無くなれば…。
その統制と強制力が弱まった時には・・・
それは日本のみならず世界中の歴史が示しているところですものね
日本においては、それが幕末──黒船の来航であったとされていますが、実の所「黒船来航」はその引き金に過ぎず、幕末の足音はそれ以前から忍び寄りつつあった……と考えています
先生のその辺の考察も伺ってみたいな~と
それはさておき、その後260年も続いた幕藩体制の土台というか、そのものが既に初期の段階でほぼ完成しているということには、やはり家康からの徳川三代の凄さが際立つというものですね
> その統制と強制力が弱まった時には・・・
> それは日本のみならず世界中の歴史が示しているところですものね
> 日本においては、それが幕末──黒船の来航であったとされていますが、実の所「黒船来航」はその引き金に過ぎず、幕末の足音はそれ以前から忍び寄りつつあった……と考えています
> 先生のその辺の考察も伺ってみたいな~と
仰るとおり、世界の歴史がこの流れを証明していますね。
政権発足当時は将来の統制の緩みをなかなか想像できないものです。
幕末については以前に本物の歴史講座で断片的に紹介してきましたが、通史でもいずれ紹介しますよ。
ただ、いつごろできるが定かではありませんが…。
> それはさておき、その後260年も続いた幕藩体制の土台というか、そのものが既に初期の段階でほぼ完成しているということには、やはり家康からの徳川三代の凄さが際立つというものですね
これも仰るとおりです。
家康のみならず、秀忠と家光の功績(老中に政治を任せたことも含む)は大きいものがありますね。