信長は自らを神として祀(まつ)ることで天皇を超えようとして、また秀吉は天皇の権威(けんい)を利用して関白(かんぱく)となりましたが、家康は自分の本拠地(ほんきょち)が東国の江戸であることも考えて、かつての鎌倉幕府や室町幕府のように自身が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になることで政治を行うことにしました。
征夷大将軍になるためには源頼朝(みなもとのよりとも)や足利尊氏(あしかがたかうじ)のように源氏(げんじ)の血を引いている必要がありましたが、そこは抜(ぬ)け目のない家康は、自分が源氏の子孫であることを以前から朝廷に公認されていたのです。
かくして1603年、家康は朝廷から征夷大将軍に任じられて江戸幕府(えどばくふ)を開きました。しかしながら、この頃にはまだ豊臣家に従う大名も少なくなかったので、家康は以後も時間をかけて徳川家による安定した天下への道を進むことになります。




いつも有難うございます。
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なおまゆ 家康は、歴史をよく学んでいたみたいですね。
それ故に、安定政権を作れたんでしょうね。
、家康の行動を見ていると歴史を学ぶ意味がよく分かります。
豊臣秀頼を殺し、その子国松も処刑したのは残酷という評価もありますが、平清盛の温情が平家を滅ぼしたことを教訓としていますし、部下の使い方は、先輩大名を参考にしていると思えます。
歴史は本当に教訓に満ちて素晴らしい。
「歴史っていいなあ」と思います。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
昨年8月の第17回歴史講座でも紹介しましたが、家康ほど歴史に学んだ人物はいないでしょう。
安定政権には大きな理由がある、ということですね。
だからこそ、歴史は流れでとらえないといけないんです。
偉大なる平凡人
青田です。 黒田先生、なおまゆさん
こんにちは
青田です。
私は、徳川家康は、本当は、かなり、勝負師
だったと思います。
◆ 三ヶ原の戦いでは、劣勢なのに武田信玄に
戦いを挑んで、負ける。
武田の抑えとして、その後も武田の相手をしなければいけない。
◆ 徳川家康が5カ国を領有する天正壬午の乱では、北条氏53000vs徳川10000
◆ 小牧・長久手の戦いでは、
結果的には、徳川軍が勝っていますが
羽柴軍11万にたいして、織田・徳川18000
私は、徳川家康は、石橋を叩いても渡らない忍の
イメージがあったのですが
豊臣秀吉の臣下になるまでは、いつも、少数の徳川軍で、大きな相手と戦っています。
徳川家康の癖は、『爪を噛む』ことであり、
馬の鞍を殴っていたことだと聞いたことが
ありますが
もの凄い、ストレスに耐えていたんでしょうね。
普通にヒトなら、完全にうつ病になりますね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
一見慎重に見える家康も、実は博打的な要素を持っており、生死の境をさまよわなければいけないことが多かったのです。
よくぞ70を過ぎるまで耐え抜きましたよね。
幼少の頃からの悲惨な境遇が、ストレスをやり過ごすテクニックを自然と身につけさせていたのかもしれません。
それ故に、安定政権を作れたんでしょうね。
、家康の行動を見ていると歴史を学ぶ意味がよく分かります。
豊臣秀頼を殺し、その子国松も処刑したのは残酷という評価もありますが、平清盛の温情が平家を滅ぼしたことを教訓としていますし、部下の使い方は、先輩大名を参考にしていると思えます。
歴史は本当に教訓に満ちて素晴らしい。
「歴史っていいなあ」と思います。
昨年8月の第17回歴史講座でも紹介しましたが、家康ほど歴史に学んだ人物はいないでしょう。
安定政権には大きな理由がある、ということですね。
だからこそ、歴史は流れでとらえないといけないんです。
こんにちは
青田です。
私は、徳川家康は、本当は、かなり、勝負師
だったと思います。
◆ 三ヶ原の戦いでは、劣勢なのに武田信玄に
戦いを挑んで、負ける。
武田の抑えとして、その後も武田の相手をしなければいけない。
◆ 徳川家康が5カ国を領有する天正壬午の乱では、北条氏53000vs徳川10000
◆ 小牧・長久手の戦いでは、
結果的には、徳川軍が勝っていますが
羽柴軍11万にたいして、織田・徳川18000
私は、徳川家康は、石橋を叩いても渡らない忍の
イメージがあったのですが
豊臣秀吉の臣下になるまでは、いつも、少数の徳川軍で、大きな相手と戦っています。
徳川家康の癖は、『爪を噛む』ことであり、
馬の鞍を殴っていたことだと聞いたことが
ありますが
もの凄い、ストレスに耐えていたんでしょうね。
普通にヒトなら、完全にうつ病になりますね。
一見慎重に見える家康も、実は博打的な要素を持っており、生死の境をさまよわなければいけないことが多かったのです。
よくぞ70を過ぎるまで耐え抜きましたよね。
幼少の頃からの悲惨な境遇が、ストレスをやり過ごすテクニックを自然と身につけさせていたのかもしれません。