大正8(1919)年、アメリカのウィルソン大統領(だいとうりょう)の民族自決(みんぞくじけつ、各民族が自らの意志によって、その帰属や政治組織、あるいは政治的運命を決定し、他民族や他国家の干渉を認めないとする集団的権利のこと)に関する宣言に触発(しょくはつ、何らかの刺激を与えられて行動の意欲を起こさせること)された朝鮮人によって、3月1日に京城(けいじょう、現在のソウル)を中心に各地で集会が行われました。
集会では「独立万歳(ばんざい)」の声が上がり、やがて示威(しい、威力や気勢を他に示すこと。いわゆるデモのこと)行為が朝鮮全土に広がったことによって警察との衝突(しょうとつ)が起こり、最後には軍隊も出動して流血の惨事(さんじ)となってしまいました。
これを三・一事件(さん・いちじけん)、あるいは万歳事件といいます。三・一事件は不幸な出来事でしたが、その後の裁判によって死刑を宣告(せんこく)された人間は一人もいませんでした。当時の朝鮮総督である斎藤実(さいとうまこと)が融和策(ゆうわさく)をとったからです。斎藤総督はその後も集会や言論、あるいは出版に一定の自由を認めるなど、事件の反省を受けて朝鮮半島における統治政策を緩和(かんわ)しました。
一方、我が国は朝鮮の王室を滅亡(めつぼう)させませんでした。大正10(1921)年には我が国の皇族の梨本宮方子妃殿下(なしもとのみやまさこひでんか)が朝鮮王室の李垠(り・ぎん)王世子(おうせいし、皇太子のこと)と結婚され、方子妃殿下は「日韓の架(か)け橋」として、1989(平成元)年に亡くなられるまで多くの韓国人から慕(した)われました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
日本人よりも大陸の方達の方が、自尊心や
誇りというのはより強く感じているのかも知れませんね。
大陸に住んでいると国境を堺にすぐに隣は他の国ですので、常に自分達の存在を主張していかなければいけないだろうし、自然と自国を守ろうとうする気持ちや、敵対心は旺盛になるのでしょうね。
それにしても王室を滅亡させなかった事は朝鮮の為でもあったでしょうけれど、日本にとっても救いだったのではないでしょうか^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうですね。
我が国のように周りを海に囲まれていると、自己主張をしなくても国を護っていける分だけ、他国の人々の気持ちが理解できないのかもしれません。
王室は我が国に限らず国の宝ですからね。
自国で大切さが分かっている分、外国にも配慮できたのでしょう。
サクラ 王室を滅亡させなかったのですか。
じゃあ、そのまま(実権はないけれど)朝鮮王室を存続させたのですか?
それとも、「王室」という肩書は取り去って、爵位を与えたのでしょうか?
そういえば親日派の金完燮氏が、「終戦後朝鮮の王朝が復活しなかったのは変な話だ」と言ってました。
そうなれば、王室をなくしたのは他ならぬ韓国・朝鮮人ということになりますが。
矢次質問してすみません。
サクラさんへ
黒田裕樹 > 王室を滅亡させなかったのですか。
> じゃあ、そのまま(実権はないけれど)朝鮮王室を存続させたのですか?
> それとも、「王室」という肩書は取り去って、爵位を与えたのでしょうか?
本文にもありますように、梨本宮方子妃殿下とのご結婚によって皇族に準じた扱いを受けることになりました。
しかしながら我が国の終戦後に日本国憲法が施行され、貴族を認めなくなったことでその身分を失ってしまいます。
> そういえば親日派の金完燮氏が、「終戦後朝鮮の王朝が復活しなかったのは変な話だ」と言ってました。
> そうなれば、王室をなくしたのは他ならぬ韓国・朝鮮人ということになりますが。
日本国憲法の施行後に故郷への帰国を試みましたが、当時の韓国の李承晩大統領の妨害などがあって長らくかないませんでした。その意味では仰るとおりになるかもしれませんね。
> 矢次質問してすみません。
いえいえ、また何でもご質問下さい。
HANA子 まずは高校教諭就任おめでとうございます!
ますますのご活躍をお祈りしていますね^^
確か併合条約の項目の中で既に李王家に「皇族の礼」と「殿下」の尊称が使われることが定められていたように覚えています。
前回の朝鮮半島政策についてもそうですが、どうして日本はそこまで朝鮮半島に気を使うの? などとわたしは思ってしまいます。
それにしても、現在の韓国における「李王家の復興を」という声が、
「日本にも王室(皇室)があるんだから、韓国にも王室があるべきだ。そうだ、李王家を復興しようぜ!」
という次元の低い理由でってのには呆れます。
正直、日本の不幸は海を隔てた隣にこの半島が・・・・・・と言うのは言いすぎなんでしょうか
HANA子さんへ
黒田裕樹 > まずは高校教諭就任おめでとうございます!
> ますますのご活躍をお祈りしていますね^^
有難うございます。これからも頑張ります!
> 確か併合条約の項目の中で既に李王家に「皇族の礼」と「殿下」の尊称が使われることが定められていたように覚えています。
> 前回の朝鮮半島政策についてもそうですが、どうして日本はそこまで朝鮮半島に気を使うの? などとわたしは思ってしまいます。
確かにそうですね。相手を根絶やしにするという発想がないというのは、やはり近代国家として周囲の目を気にしていたのでしょうか。
それに加えて、残虐でない国民性もあったとは思いますが。
> それにしても、現在の韓国における「李王家の復興を」という声が、
> 「日本にも王室(皇室)があるんだから、韓国にも王室があるべきだ。そうだ、李王家を復興しようぜ!」
> という次元の低い理由でってのには呆れます。
> 正直、日本の不幸は海を隔てた隣にこの半島が・・・・・・と言うのは言いすぎなんでしょうか
HANA子さんのご意見も道理だと思います。
王室が滅びるというのは悲しいことなんでしょうね。我が国では有り得ない(と信じたい)のですが。
選挙権について
青田 黒田先生
青田です。
ふっと気になったのですが、
この当時、朝鮮半島の人達には、
選挙権は、与えられていたのでしょうか。
本を読んでいたら
時々、帝国議会において、韓国系議員、
台湾系議員というのを、
出てくるのですが、選挙権については、
どうも、はっきり書かれた資料が、見つかりません。
青田さんへ
黒田裕樹 青田さんほどのご見識をお持ちであればご自身で十分お調べのなられると思われますが…。
当時の選挙権の線引きは「内地(=日本)に住んでいるか、あるいは外地=(朝鮮、台湾、樺太)に住んでいるか」という点でした。
すなわち、本土在住であれば朝鮮人などにも選挙権があり、逆に外地であれば本土出身であっても選挙権がなかったということです。
有難うございます
青田 黒田先生
青田です。
有難うございます。
つまり、内地にいる場合、朝鮮人も同じ日本人なのだから、選挙権を与えるということなんですね。
かなり、理屈が通っていますし、憲法の基の平等の権利ですね。
この事実が
現代、時々問題になっている『外国人地方参政権』が理屈に通ってないことが、さらに明確になる気がしますが。。
青田さんへ その2
黒田裕樹 確かにそうですね。
日本人よりも大陸の方達の方が、自尊心や
誇りというのはより強く感じているのかも知れませんね。
大陸に住んでいると国境を堺にすぐに隣は他の国ですので、常に自分達の存在を主張していかなければいけないだろうし、自然と自国を守ろうとうする気持ちや、敵対心は旺盛になるのでしょうね。
それにしても王室を滅亡させなかった事は朝鮮の為でもあったでしょうけれど、日本にとっても救いだったのではないでしょうか^^
応援凸
我が国のように周りを海に囲まれていると、自己主張をしなくても国を護っていける分だけ、他国の人々の気持ちが理解できないのかもしれません。
王室は我が国に限らず国の宝ですからね。
自国で大切さが分かっている分、外国にも配慮できたのでしょう。
じゃあ、そのまま(実権はないけれど)朝鮮王室を存続させたのですか?
それとも、「王室」という肩書は取り去って、爵位を与えたのでしょうか?
そういえば親日派の金完燮氏が、「終戦後朝鮮の王朝が復活しなかったのは変な話だ」と言ってました。
そうなれば、王室をなくしたのは他ならぬ韓国・朝鮮人ということになりますが。
矢次質問してすみません。
> じゃあ、そのまま(実権はないけれど)朝鮮王室を存続させたのですか?
> それとも、「王室」という肩書は取り去って、爵位を与えたのでしょうか?
本文にもありますように、梨本宮方子妃殿下とのご結婚によって皇族に準じた扱いを受けることになりました。
しかしながら我が国の終戦後に日本国憲法が施行され、貴族を認めなくなったことでその身分を失ってしまいます。
> そういえば親日派の金完燮氏が、「終戦後朝鮮の王朝が復活しなかったのは変な話だ」と言ってました。
> そうなれば、王室をなくしたのは他ならぬ韓国・朝鮮人ということになりますが。
日本国憲法の施行後に故郷への帰国を試みましたが、当時の韓国の李承晩大統領の妨害などがあって長らくかないませんでした。その意味では仰るとおりになるかもしれませんね。
> 矢次質問してすみません。
いえいえ、また何でもご質問下さい。
ますますのご活躍をお祈りしていますね^^
確か併合条約の項目の中で既に李王家に「皇族の礼」と「殿下」の尊称が使われることが定められていたように覚えています。
前回の朝鮮半島政策についてもそうですが、どうして日本はそこまで朝鮮半島に気を使うの? などとわたしは思ってしまいます。
それにしても、現在の韓国における「李王家の復興を」という声が、
「日本にも王室(皇室)があるんだから、韓国にも王室があるべきだ。そうだ、李王家を復興しようぜ!」
という次元の低い理由でってのには呆れます。
正直、日本の不幸は海を隔てた隣にこの半島が・・・・・・と言うのは言いすぎなんでしょうか
> ますますのご活躍をお祈りしていますね^^
有難うございます。これからも頑張ります!
> 確か併合条約の項目の中で既に李王家に「皇族の礼」と「殿下」の尊称が使われることが定められていたように覚えています。
> 前回の朝鮮半島政策についてもそうですが、どうして日本はそこまで朝鮮半島に気を使うの? などとわたしは思ってしまいます。
確かにそうですね。相手を根絶やしにするという発想がないというのは、やはり近代国家として周囲の目を気にしていたのでしょうか。
それに加えて、残虐でない国民性もあったとは思いますが。
> それにしても、現在の韓国における「李王家の復興を」という声が、
> 「日本にも王室(皇室)があるんだから、韓国にも王室があるべきだ。そうだ、李王家を復興しようぜ!」
> という次元の低い理由でってのには呆れます。
> 正直、日本の不幸は海を隔てた隣にこの半島が・・・・・・と言うのは言いすぎなんでしょうか
HANA子さんのご意見も道理だと思います。
王室が滅びるというのは悲しいことなんでしょうね。我が国では有り得ない(と信じたい)のですが。
青田です。
ふっと気になったのですが、
この当時、朝鮮半島の人達には、
選挙権は、与えられていたのでしょうか。
本を読んでいたら
時々、帝国議会において、韓国系議員、
台湾系議員というのを、
出てくるのですが、選挙権については、
どうも、はっきり書かれた資料が、見つかりません。
当時の選挙権の線引きは「内地(=日本)に住んでいるか、あるいは外地=(朝鮮、台湾、樺太)に住んでいるか」という点でした。
すなわち、本土在住であれば朝鮮人などにも選挙権があり、逆に外地であれば本土出身であっても選挙権がなかったということです。
青田です。
有難うございます。
つまり、内地にいる場合、朝鮮人も同じ日本人なのだから、選挙権を与えるということなんですね。
かなり、理屈が通っていますし、憲法の基の平等の権利ですね。
この事実が
現代、時々問題になっている『外国人地方参政権』が理屈に通ってないことが、さらに明確になる気がしますが。。