秀吉は1598年に病気のため死の床に就(つ)きましたが、彼の実子である秀頼(ひでより)はまだ6歳と幼少だったこともあり、家康などに秀頼の行末(ゆくすえ)を依頼(いらい)する直筆(じきひつ)の書状(しょじょう)が残されています。
間もなく秀吉は「露(つゆ)と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」という辞世(じせい)の句を残して62歳でこの世を去りましたが、秀頼と豊臣家の将来を託(たく)されて笑顔で応(こた)えた家康は、内心でこう思っていました。
「太閤殿、貴殿が織田家に対してそうなさったように、今度は自分が豊臣家を出し抜いて天下を取る番ですな」。
[※明日(2月28日)からは第23回歴史講座の内容の更新を開始します。]




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オバrev 実子が幼い秀頼のだったことや、甥の秀次を切腹させたことなど後継問題は秀吉のアキレス腱だったとも言えますか。
でも何故秀吉は若い頃に側室を持たなかったのか疑問に思います。
それにしてもその後の結果を見れば明らかですが、家康は目の前で信長や秀吉という手本を見ながらしっかり学んだんでしょうねぇ。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 実子が幼い秀頼のだったことや、甥の秀次を切腹させたことなど後継問題は秀吉のアキレス腱だったとも言えますか。
> でも何故秀吉は若い頃に側室を持たなかったのか疑問に思います。
秀吉が晩年にたくさんの側室を持っていたことは有名ですが、若い頃にはおね一筋だったのでしょうか?
いずれにしても不思議な話ですが、壮年の子供がいなかったのが仰るとおり致命傷になりましたね。
> それにしてもその後の結果を見れば明らかですが、家康は目の前で信長や秀吉という手本を見ながらしっかり学んだんでしょうねぇ。
以前の講座にも書きましたが、家康ほど「歴史に学んだ平和主義者」はいないでしょう。
しばらく本編からは遠ざかりますが、いずれ家康について詳しく紹介できると思います。
寧々は悪女という説も。
晴雨堂ミカエル 時代劇では良妻賢母型キャラで描かれる北政所ですが、本当は独占欲の強い悪女という説があります。
もっぱら、寧々の牙は政治には向けられず家庭の中だけでしたから、家臣や大名の評判は悪くなく、豊臣恩顧の大名たちには親しみのある女将みたいなもの、家康に至っては親密な仲だったとか。
寧々の残酷さは、秀吉に近付く女や側室に向けられ、子ができると奪い取って殺したという。
根拠の薄い説ですが、可能性としては有り得る話です。女好きで名高い秀吉のわりに側室をもたず、子宝に恵まれないのが不自然。。人為的妨害が働いていても不思議ではありません。
それに家康が天下を握ったので、敗れた淀君が悪女になり、家康と友好関係にある北政所のスキャンダルは闇に葬られるのは有りそうな話です。
寧々を悪妻にするとツジツマが合いますね。それに江戸時代のように家制度が厳しくありませんし、その江戸時代でさえヨーロッパの諸侯のような厳格な血統主義ではなく、長子でも馬鹿なら廃嫡になり、遠縁の賢い子を擁立する事は多々ありました。
寧々に実子がいれば豊臣家存続に気を配ったでしょうが、自分の血筋が継がない豊臣にはあまり執着がなく、妾腹の子が天下を握る
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、北政所の陰謀ですか。確かにつじつまが合いそうですね。
これが本当の「おんな太閤記」でしょうか。
いずれにせよおねに実子がいれば、その後の歴史も大きく変わったことでしょう。
でも何故秀吉は若い頃に側室を持たなかったのか疑問に思います。
それにしてもその後の結果を見れば明らかですが、家康は目の前で信長や秀吉という手本を見ながらしっかり学んだんでしょうねぇ。
> でも何故秀吉は若い頃に側室を持たなかったのか疑問に思います。
秀吉が晩年にたくさんの側室を持っていたことは有名ですが、若い頃にはおね一筋だったのでしょうか?
いずれにしても不思議な話ですが、壮年の子供がいなかったのが仰るとおり致命傷になりましたね。
> それにしてもその後の結果を見れば明らかですが、家康は目の前で信長や秀吉という手本を見ながらしっかり学んだんでしょうねぇ。
以前の講座にも書きましたが、家康ほど「歴史に学んだ平和主義者」はいないでしょう。
しばらく本編からは遠ざかりますが、いずれ家康について詳しく紹介できると思います。
もっぱら、寧々の牙は政治には向けられず家庭の中だけでしたから、家臣や大名の評判は悪くなく、豊臣恩顧の大名たちには親しみのある女将みたいなもの、家康に至っては親密な仲だったとか。
寧々の残酷さは、秀吉に近付く女や側室に向けられ、子ができると奪い取って殺したという。
根拠の薄い説ですが、可能性としては有り得る話です。女好きで名高い秀吉のわりに側室をもたず、子宝に恵まれないのが不自然。。人為的妨害が働いていても不思議ではありません。
それに家康が天下を握ったので、敗れた淀君が悪女になり、家康と友好関係にある北政所のスキャンダルは闇に葬られるのは有りそうな話です。
寧々を悪妻にするとツジツマが合いますね。それに江戸時代のように家制度が厳しくありませんし、その江戸時代でさえヨーロッパの諸侯のような厳格な血統主義ではなく、長子でも馬鹿なら廃嫡になり、遠縁の賢い子を擁立する事は多々ありました。
寧々に実子がいれば豊臣家存続に気を配ったでしょうが、自分の血筋が継がない豊臣にはあまり執着がなく、妾腹の子が天下を握る
これが本当の「おんな太閤記」でしょうか。
いずれにせよおねに実子がいれば、その後の歴史も大きく変わったことでしょう。