しかしながら、秀吉が朝鮮半島へ攻め込んだのは李氏朝鮮が我が国の方針に反対したからであり、可能性の有無(うむ)はともかくとして、仮に李氏朝鮮が我が国の「唐入り」に協力していれば、秀吉から攻められることはなかったでしょう。
秀吉の最終目標はあくまで明を征服することであり、朝鮮半島そのものを侵略するという概念はなかったといえます。それなのに、秀吉の行為を「朝鮮侵略」と断定することは、秀吉の真意を見誤るのみならず、歴史的にも正しい表現とはいえません。従って、ここはやはり「朝鮮出兵」と表現すべきなのです。
また、秀吉に対する評価についても、朝鮮半島の人々の思いを受け止める一方で、世界史の原則である「ある民族にとっての英雄は、他民族にとっての虐殺者(=戦争勝利者)である」という視点からも眺(なが)める必要があるのではないでしょうか。




いつも有難うございます。
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風早 りら 朝鮮半島の方々の秀吉への恨みは 今でも根強いようですね
お互い過去の事にとらわれるよりも 未来の隣人としての信頼関係を築く方に心を持って行った方がいいと思います
ぴーち こんばんは!
確かに今でも朝鮮半島に住む人達は
秀吉の行動を恨んでいらっしゃるようですね。
秀吉の真意は黒田さんからこうして教えていただいたので、これまで誤解していた部分
を理解させていただきました。
ありがとうございましたm(_ _)m
人間がそのように考えるように
なってしまう理由には必ずそれなりの原因が
あるという法則に当てはめて考えてみますと、
朝鮮半島の人々が秀吉の思わぬ行動に恐れをなしたというのは、例えば、今、いきなり宇宙人が日本上空に現れたとして、得体のしれないものだけに恐怖や不安を感じ、「これは絶対攻撃される!殺されてしまう!侵略されてしまう!」と思われても仕方がないでしょう。
いきなり外国人が現れ、理由も判らないまま、
攻撃されたり、攻められたりされたら、恐怖心や、不信感ばかりが募る事でしょう。
けっして朝鮮半島の方達の肩を持つわけではありませんが、
朝鮮半島に住む人達が十分にその理由を後からでも理解していたのなら、きっともっと秀吉の行動の表現は緩んだのではないかと思いました。
(私も表現の仕方が下手で申し訳ありませんm(_ _)m
応援凸
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 朝鮮半島の方々の秀吉への恨みは 今でも根強いようですね
> お互い過去の事にとらわれるよりも 未来の隣人としての信頼関係を築く方に心を持って行った方がいいと思います
全くもってそのとおりだと思います。
恨(ハン)の精神が朝鮮半島の伝統とはいえ、国際関係ではお互いに歩み寄ることができるところを見つけてほしいものですが…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに攻め込むまでとはいかずとも通行させてほしいというのであれば、もう少し上手な方法があっても良かったかもしれません。
ただ、当時の国際的な関係では、軍事力が抜きんでた我が国と、明を宗主国として仰いでいた李氏朝鮮という立場の違いがありましたから、(あくまでも当時の関係としては)秀吉が強気に出る思いも分からないことはありません。
以上は秀吉の肩を持つのではなく、国際関係から冷静に判断したものではありますが、現在の関係とは全く異なるだけに難しいところではありますね。
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なおまゆ そうなんですよね。朝鮮は通り道だったんですよね。秀吉は、天皇の上になろうとしていましたね。だから、征夷大将軍にならずに、それより上位の関白になったんですよね。
明を征服し、皇帝になり、正しく『革命』を行い、血脈に関係なく国を実質支配したかったんじゃないかなと思ってます。
日本に居る限り、天皇家に代わることは不可能ですから。
もう一つは武士の失業対策の視点もあったと思っています。秀吉は、武士達を冷酷に切り捨てられなかった『熱い心』を持っていたと思います。
黒田さんはいかがお考えでしょうか?
なおまゆさんへ
黒田裕樹 朝鮮出兵のもう一つの説ですね。
秀吉は皇室をそのまま残して、自分は明において新たに「皇帝」となることで皇室を超えようとしたという「秀吉の野望」です。
後半は秀吉の「唐入り」が当時の武士たちに好意的に受け入れられた証拠ですね。ところが出兵に失敗したことによって、武士たちの間で戦争に対する嫌悪感が広がってしまう。皮肉なものですね。
お互い過去の事にとらわれるよりも 未来の隣人としての信頼関係を築く方に心を持って行った方がいいと思います
確かに今でも朝鮮半島に住む人達は
秀吉の行動を恨んでいらっしゃるようですね。
秀吉の真意は黒田さんからこうして教えていただいたので、これまで誤解していた部分
を理解させていただきました。
ありがとうございましたm(_ _)m
人間がそのように考えるように
なってしまう理由には必ずそれなりの原因が
あるという法則に当てはめて考えてみますと、
朝鮮半島の人々が秀吉の思わぬ行動に恐れをなしたというのは、例えば、今、いきなり宇宙人が日本上空に現れたとして、得体のしれないものだけに恐怖や不安を感じ、「これは絶対攻撃される!殺されてしまう!侵略されてしまう!」と思われても仕方がないでしょう。
いきなり外国人が現れ、理由も判らないまま、
攻撃されたり、攻められたりされたら、恐怖心や、不信感ばかりが募る事でしょう。
けっして朝鮮半島の方達の肩を持つわけではありませんが、
朝鮮半島に住む人達が十分にその理由を後からでも理解していたのなら、きっともっと秀吉の行動の表現は緩んだのではないかと思いました。
(私も表現の仕方が下手で申し訳ありませんm(_ _)m
応援凸
> お互い過去の事にとらわれるよりも 未来の隣人としての信頼関係を築く方に心を持って行った方がいいと思います
全くもってそのとおりだと思います。
恨(ハン)の精神が朝鮮半島の伝統とはいえ、国際関係ではお互いに歩み寄ることができるところを見つけてほしいものですが…。
ただ、当時の国際的な関係では、軍事力が抜きんでた我が国と、明を宗主国として仰いでいた李氏朝鮮という立場の違いがありましたから、(あくまでも当時の関係としては)秀吉が強気に出る思いも分からないことはありません。
以上は秀吉の肩を持つのではなく、国際関係から冷静に判断したものではありますが、現在の関係とは全く異なるだけに難しいところではありますね。
明を征服し、皇帝になり、正しく『革命』を行い、血脈に関係なく国を実質支配したかったんじゃないかなと思ってます。
日本に居る限り、天皇家に代わることは不可能ですから。
もう一つは武士の失業対策の視点もあったと思っています。秀吉は、武士達を冷酷に切り捨てられなかった『熱い心』を持っていたと思います。
黒田さんはいかがお考えでしょうか?
秀吉は皇室をそのまま残して、自分は明において新たに「皇帝」となることで皇室を超えようとしたという「秀吉の野望」です。
後半は秀吉の「唐入り」が当時の武士たちに好意的に受け入れられた証拠ですね。ところが出兵に失敗したことによって、武士たちの間で戦争に対する嫌悪感が広がってしまう。皮肉なものですね。