翌1597年に秀吉は再び朝鮮半島を攻めました。これを慶長の役(けいちょうのえき)といいますが、日本軍は当初から苦戦を強いられました。その後、1598年に秀吉が亡くなったことで休戦となり、我が国は朝鮮半島から撤退(てったい)しました。
秀吉の二度にわたる朝鮮出兵は、当初の「唐入り」の目的を果たせなかったばかりか、朝鮮半島へ多大な影響を及ぼしたのみならず、我が国にも豊臣家を始めとして多数の損害をもたらした結果となってしまいました。
ところで、秀吉の朝鮮への出兵については「理解不能な最大の愚行(ぐこう)」「晩年の秀吉が正常な感覚を失ったことによる妄想(もうそう)」などといった扱(あつか)いを受けることが多いですが、これまで述べてきたように、イスパニアに明を攻め取られることによって我が国が侵略されるのを防ぐために明を先制攻撃しようと計画し、その前提として朝鮮半島から攻め込んだという目的が存在しています。
これらの事実は、最近の教科書に記載されることが多くなった「朝鮮侵略」という誤解についても同じことが言えるのです。




いつも有難うございます。
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風早 りら 「秀吉の朝鮮への出兵については「理解不能な最大の愚行(ぐこう)」「晩年の秀吉が正常な感覚を失ったことによる妄想」
私も今まで そう思っていました
ドラマ等では いつもそのような
筋立てになったいます
教えて頂いて 有難う御座います
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 「秀吉の朝鮮への出兵については「理解不能な最大の愚行(ぐこう)」「晩年の秀吉が正常な感覚を失ったことによる妄想」
> 私も今まで そう思っていました
> ドラマ等では いつもそのような
> 筋立てになったいます
> 教えて頂いて 有難う御座います
こちらこそ、お言葉有難うございます。
一般的なドラマとは全く異なる、歴史の真実をぜひご覧になっていただければと思います。
ぴーち こんばんは!
もしも朝鮮出兵の結果が日本国にとって
良好な結果として終わったのなら、世間からのこれ程の言葉を浴びせられなかったのでしょうね。(^^ゞ
秀吉ともあろう人が、どうしてだろう?という落胆した気持ちが込められた言葉の様にも受け取れました。
何事も理由も無く突発的に物事は起こるのではなく、必ずそこには原因が存在するものだという事ですね!
世間からの秀吉に対する濡れ衣を黒田さんがこの記事で事実を明らかにしてくれていることに対して、当の秀吉が一番感謝しているかもしれませんね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私の気持ちまでお察し下さって有難うございます。
仰るとおり、秀吉の朝鮮出兵の失敗は、彼のそれまでの評価を一気に貶(おとし)める結果となったのが残念でなりません。
とはいえ公正な目で歴史を評価しなければいけませんから、まずは失敗の原因やその結果を冷静に判断させていただきました。
次回(25日)からは朝鮮出兵の真実に迫ってみたいと思います。
ナオ ということは 秀吉の朝鮮出兵の理由は 大東亜戦争を始めた理由と同じではないですか! 歴史は繰り返すですね。
ナオさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
地政学的なものなど戦争をするには様々な要因がありますが、少なくとも一方的な侵略というのは我が国にはほとんど考えられません。
私も今まで そう思っていました
ドラマ等では いつもそのような
筋立てになったいます
教えて頂いて 有難う御座います
> 私も今まで そう思っていました
> ドラマ等では いつもそのような
> 筋立てになったいます
> 教えて頂いて 有難う御座います
こちらこそ、お言葉有難うございます。
一般的なドラマとは全く異なる、歴史の真実をぜひご覧になっていただければと思います。
もしも朝鮮出兵の結果が日本国にとって
良好な結果として終わったのなら、世間からのこれ程の言葉を浴びせられなかったのでしょうね。(^^ゞ
秀吉ともあろう人が、どうしてだろう?という落胆した気持ちが込められた言葉の様にも受け取れました。
何事も理由も無く突発的に物事は起こるのではなく、必ずそこには原因が存在するものだという事ですね!
世間からの秀吉に対する濡れ衣を黒田さんがこの記事で事実を明らかにしてくれていることに対して、当の秀吉が一番感謝しているかもしれませんね^^
応援凸
仰るとおり、秀吉の朝鮮出兵の失敗は、彼のそれまでの評価を一気に貶(おとし)める結果となったのが残念でなりません。
とはいえ公正な目で歴史を評価しなければいけませんから、まずは失敗の原因やその結果を冷静に判断させていただきました。
次回(25日)からは朝鮮出兵の真実に迫ってみたいと思います。
地政学的なものなど戦争をするには様々な要因がありますが、少なくとも一方的な侵略というのは我が国にはほとんど考えられません。