なお、1596年にイスパニアの商船が土佐(現在の高知県)に漂着(ひょうちゃく)した際に、乗組員が「イスパニアは領土征服の第一歩として宣教師を送り込んでいる」ことを世界地図を示して誇ったという出来事があり(これをサン=フェリペ号事件といいます)、激怒した秀吉が京都の宣教師と信徒を捕えて長崎で処刑するという結果につながりました(これ26聖人殉教=せいじんじゅんきょう、といいます)。
さて、秀吉が気づいたイスパニアによる我が国侵略の野望ですが、実際にイスパニアやイエズス会はどう動いたのでしょうか。全国統一によって当時の我が国は数十万の兵力や鉄砲による強大な火薬力を持っていたこともあり、イスパニアは直ちに我が国を侵略することは現実的には難しいと考えていました。
そこでイスパニアは勢力の衰えていた明に着目し、我が国での布教に成功したキリシタン大名を利用して彼らの兵力で明を征服すれば、返す刀で我が国を攻めることで侵略も可能になる、と考えました。つまり、明がイスパニアによって滅ぼされれば、次は我が国が確実に狙われるということなのです。
この構図は鎌倉時代に起きた元寇(げんこう)そのものでもあり、イスパニアの動きをつかんでいた秀吉にとっても気が気ではありませんでした。明がイスパニアによって征服されるのを黙って見ているわけにはいかないとすれば、秀吉にはどのような策があるのでしょうか―。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 朝鮮学校では、この事はけっこう学校の授業で取り上げているようです。もちろん、黒田氏のように秀吉側の立場では考察していませんが、ヨーロッパ人の侵略と布教はセットである事とキリスト教の脅威は教えているみたいですね。
日本は宗教批判を行うと、宗教弾圧だとか保守反動などと拡大解釈されかねないので、あまり踏み込めないのでしょう。
踏み込めないから学校教育では教えられない、だから誤った認識と無知が定着してしまう。
コロンブスのアメリカ侵略500周年に日本人がサンタ・マリア号復元船に乗って航海に出たなんて話を聞いたとき、「馬鹿か、こいつら」と思いました。
ところで、来月5日に映画「アレクサンドリア」が封切られます。大阪では難波パークスですか。キリスト教徒によって虐殺された女性科学者ヒュパティアの物語です。
多くの人がみて宗教の恐ろしさを認識してほしいものです。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 朝鮮半島側からしても、自分たちが結果として「攻められた」根本的な原因ですからね。
しっかり学ぶことは重要だと思いますし、むしろ我が国の教育が一方的なのが問題だと思います。
宗教は時として恐ろしい一面を持っていますからね。能天気に受け入れるだけでなく、歴史上においても真剣な考察が必要だと思います。少なくとも仰るような「無知から来る大失敗」だけは避けなければいけませんからね。
ぴーち こんばんは!
ふと秀吉の行動を考えたのですが、
こうしてイスパニアに侵略される以前に
秀吉の朝鮮出兵という行動は、行き過ぎた行動だったのではないか(本当に明を侵略する必要があったのか)という疑問が浮かびました。
勿論、それ以前の信長の意思を受け継いでの
事だったのでしょうけれど、野望を持ち、外国を支配しようとする気持ちにはやはり外国からも狙われるという諸刃の剣的なデメリットもあるという覚悟が秀吉には無かったのでしょうか。
応援凸
黒田裕樹さん
風早 りら いつの時代でも 世界中 宗教戦争はありますよね
日本が 宗教の名の元に
他国に侵略されなかったことが 幸いです
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰る思い、よく分かります。
外国を支配するということは、別の外国から狙われる口実を与えること。
戦いが戦いを、さらには憎しみが憎しみを生み、憎しみの連鎖はいつかは断ち切らないと永遠に続く。
しかしながら、当時の状況は平和よりも侵略が当然とされていた時代でした。
我が国が狙わなかったとしても、よその国がいつか必ず狙うことになる。
仮に我が国が平和を望んでいても、その思いに応えられる土壌があったかどうか。
なぜ秀吉が明を侵略する決意をしたのか、そしてそれは無茶な行動だったのか。
次回(22日)以降の更新で明らかにしたいと思います。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > いつの時代でも 世界中 宗教戦争はありますよね
> 日本が 宗教の名の元に
> 他国に侵略されなかったことが 幸いです
私もそう思います。
政教分離は信長が築いた財産ですが、秀吉もしっかりと受け継ぎ、家康が完成させました。
我が国の平和の大きな理由の一つですから、大事にしていきたいですね。
- 朝鮮の王国のひとつ、百済王家の末裔である
「摂関家」が、故郷の奪還をはかった
というのが真相だと見る方もおられるようです。
名無し(?)さんへ
黒田裕樹 > 朝鮮の王国のひとつ、百済王家の末裔である
> 「摂関家」が、故郷の奪還をはかった
> というのが真相だと見る方もおられるようです。
そういう見方もあるのですか。
参考にさせていただきます。有難うございました。
日本は宗教批判を行うと、宗教弾圧だとか保守反動などと拡大解釈されかねないので、あまり踏み込めないのでしょう。
踏み込めないから学校教育では教えられない、だから誤った認識と無知が定着してしまう。
コロンブスのアメリカ侵略500周年に日本人がサンタ・マリア号復元船に乗って航海に出たなんて話を聞いたとき、「馬鹿か、こいつら」と思いました。
ところで、来月5日に映画「アレクサンドリア」が封切られます。大阪では難波パークスですか。キリスト教徒によって虐殺された女性科学者ヒュパティアの物語です。
多くの人がみて宗教の恐ろしさを認識してほしいものです。
しっかり学ぶことは重要だと思いますし、むしろ我が国の教育が一方的なのが問題だと思います。
宗教は時として恐ろしい一面を持っていますからね。能天気に受け入れるだけでなく、歴史上においても真剣な考察が必要だと思います。少なくとも仰るような「無知から来る大失敗」だけは避けなければいけませんからね。
ふと秀吉の行動を考えたのですが、
こうしてイスパニアに侵略される以前に
秀吉の朝鮮出兵という行動は、行き過ぎた行動だったのではないか(本当に明を侵略する必要があったのか)という疑問が浮かびました。
勿論、それ以前の信長の意思を受け継いでの
事だったのでしょうけれど、野望を持ち、外国を支配しようとする気持ちにはやはり外国からも狙われるという諸刃の剣的なデメリットもあるという覚悟が秀吉には無かったのでしょうか。
応援凸
日本が 宗教の名の元に
他国に侵略されなかったことが 幸いです
外国を支配するということは、別の外国から狙われる口実を与えること。
戦いが戦いを、さらには憎しみが憎しみを生み、憎しみの連鎖はいつかは断ち切らないと永遠に続く。
しかしながら、当時の状況は平和よりも侵略が当然とされていた時代でした。
我が国が狙わなかったとしても、よその国がいつか必ず狙うことになる。
仮に我が国が平和を望んでいても、その思いに応えられる土壌があったかどうか。
なぜ秀吉が明を侵略する決意をしたのか、そしてそれは無茶な行動だったのか。
次回(22日)以降の更新で明らかにしたいと思います。
> 日本が 宗教の名の元に
> 他国に侵略されなかったことが 幸いです
私もそう思います。
政教分離は信長が築いた財産ですが、秀吉もしっかりと受け継ぎ、家康が完成させました。
我が国の平和の大きな理由の一つですから、大事にしていきたいですね。
「摂関家」が、故郷の奪還をはかった
というのが真相だと見る方もおられるようです。
> 「摂関家」が、故郷の奪還をはかった
> というのが真相だと見る方もおられるようです。
そういう見方もあるのですか。
参考にさせていただきます。有難うございました。