陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、陸相は「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」と一喝(いっかつ)しました。
その後の閣議では昭和天皇による「終戦の詔書」の内容についても審議されましたが、阿南陸相は黙って閣議の決定に従いました。そして鈴木首相に別れの挨拶を告げると、すべての責任を取って翌8月15日午前4時40分、昭和天皇から拝領(はいりょう)したワイシャツを身に着けて割腹(かっぷく)しました。
想像を絶する痛みや苦しみのなか、阿南陸相は介錯(かいしゃく、とどめを刺して楽にすること)を断り、午前7時10分に絶命しました。以下は血染めの遺書に残された阿南陸相の最期の言葉です。
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉(たてまつ)ル 神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ」




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
腸は「第二の脳」などと言われる位に、脳と同じ様に重要な器官でもあり、例え脳死状態に陥っても、腸だけはしっかりと正常な動きが出来るといいますが、昔の人はその事を知っていたのでしょうか。断腸の思いなどという言葉は非常に苦しい様子を表す言葉ですが、それ程に「割腹」をするという事は非常に苦しく、痛々しい状況であった事でしょうね(><)
自分の命を持ってして、この国を存続させていきたいという切実な思いが、割腹という形と共に表現された場面はその場に居合わせた人物の脳裏には強烈なメッセージとなった事でしょうが、
昔の軍人さんは、常に死と隣合わせでいたためか、覚悟が違いますね・非常に壮絶な話ですが・・。
応援凸
mochimochi 涙なしに読めませんでした。。。
”神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ”
大変重い言葉だと思います。
私も神州は美しいので守っていきたいと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、陸相は「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」と一喝(いっかつ)しました
このお話も初めて聴きました
阿南陸相には よく言ってくれたと
伝えたい気持ちです
ぴーちさんへ
黒田裕樹 すべての責任を取って割腹した阿南陸相。
いくら死と隣り合わせの軍人とはいえ、仰るとおり壮絶な話ですね。
そんな陸相の思いは、別の意味で我が国を救うことになります。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 涙なしに読めませんでした。。。
> ”神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ”
> 大変重い言葉だと思います。
> 私も神州は美しいので守っていきたいと思います。
割腹してまで我が国の未来を託した阿南陸相。
仰るとおり、私たちが守っていかなければいけませんね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 >> 陸軍の強硬派は戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、陸相は「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」と一喝(いっかつ)しました
> このお話も初めて聴きました
> 阿南陸相には よく言ってくれたと
> 伝えたい気持ちです
私もそう思います。
阿南陸相の決死の思いが我が国を救ったという事実の重さを、私たちはしっかりと受け止めなければいけませんね。
HANA子 阿南惟幾陸相は確かにあまり知られていないのが惜しい人物なんですよね
平凡な人物とされながらも、誠実な人柄は多くの人に慕われていたと聞きます
226事件の際にも決起将校たちに
「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」
と軍人は政治に関わるべきではないという自説を叫んでいましたし
陸相自身は抗戦派だったようですが、抗戦を主張する青年将校たちの決起を押し留めていたことも鑑みるに、最後まで天皇陛下の臣であることをを貫かれたのでしょうね
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 阿南惟幾陸相は確かにあまり知られていないのが惜しい人物なんですよね
> 平凡な人物とされながらも、誠実な人柄は多くの人に慕われていたと聞きます
> 226事件の際にも決起将校たちに
> 「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」
> と軍人は政治に関わるべきではないという自説を叫んでいましたし
仰るとおり、人望の厚い立派な人物でしたようですね。
このことが、彼の死後に一つの大きな実を結ぶことになるのですが。
> 陸相自身は抗戦派だったようですが、抗戦を主張する青年将校たちの決起を押し留めていたことも鑑みるに、最後まで天皇陛下の臣であることをを貫かれたのでしょうね
私もそう思います。
軍人としてよりも、天皇陛下に対する忠臣、すなわち国家のために殉じる覚悟を持っておられた。
それゆえの割腹自害だったのでしょう。本当に惜しい人物です。
今でも根強い誤解
青田 黒田先生
青田です。
私の父親は、80歳なのですが、
終戦の時、14歳でした。
今でも、父親は、口にするのは
『もっと、早く、天皇陛下が戦争を終わらせていたら、こんなことにならなかったのに。』と言いだします。
私が、明治憲法について、説明しようとすると
???になります。
戦後教育には、もちろん、問題はありますが、
今の70代は、戦争中、戦争直後は、小学生、中学生なので、真実を知らない老人も多いですね。
特攻隊の平均年齢が19歳ですから、
本当は、今、生きている真実を知るその世代が
次の世代に真実を語り継ぎ、真実を風化させないようにしないといけなかったと思います。
(私は、小学生の時、実際に戦争に行った叔父から、真実を聞きました。ただ、学校で、また、洗脳されましたが)
あの戦争を知っている世代が、どんどん亡くなって、違う方向に歪められているのが、今の日本ですから
青田さんへ
黒田裕樹 確かにその通りですね。
ただ、現在はネットという手段がありますし、真実を広める手段はまだまだあると思います。
腸は「第二の脳」などと言われる位に、脳と同じ様に重要な器官でもあり、例え脳死状態に陥っても、腸だけはしっかりと正常な動きが出来るといいますが、昔の人はその事を知っていたのでしょうか。断腸の思いなどという言葉は非常に苦しい様子を表す言葉ですが、それ程に「割腹」をするという事は非常に苦しく、痛々しい状況であった事でしょうね(><)
自分の命を持ってして、この国を存続させていきたいという切実な思いが、割腹という形と共に表現された場面はその場に居合わせた人物の脳裏には強烈なメッセージとなった事でしょうが、
昔の軍人さんは、常に死と隣合わせでいたためか、覚悟が違いますね・非常に壮絶な話ですが・・。
応援凸
”神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ”
大変重い言葉だと思います。
私も神州は美しいので守っていきたいと思います。
このお話も初めて聴きました
阿南陸相には よく言ってくれたと
伝えたい気持ちです
いくら死と隣り合わせの軍人とはいえ、仰るとおり壮絶な話ですね。
そんな陸相の思いは、別の意味で我が国を救うことになります。
> ”神州(しんしゅう)不滅ヲ確信シツツ”
> 大変重い言葉だと思います。
> 私も神州は美しいので守っていきたいと思います。
割腹してまで我が国の未来を託した阿南陸相。
仰るとおり、私たちが守っていかなければいけませんね。
> このお話も初めて聴きました
> 阿南陸相には よく言ってくれたと
> 伝えたい気持ちです
私もそう思います。
阿南陸相の決死の思いが我が国を救ったという事実の重さを、私たちはしっかりと受け止めなければいけませんね。
平凡な人物とされながらも、誠実な人柄は多くの人に慕われていたと聞きます
226事件の際にも決起将校たちに
「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」
と軍人は政治に関わるべきではないという自説を叫んでいましたし
陸相自身は抗戦派だったようですが、抗戦を主張する青年将校たちの決起を押し留めていたことも鑑みるに、最後まで天皇陛下の臣であることをを貫かれたのでしょうね
> 平凡な人物とされながらも、誠実な人柄は多くの人に慕われていたと聞きます
> 226事件の際にも決起将校たちに
> 「農民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」
> と軍人は政治に関わるべきではないという自説を叫んでいましたし
仰るとおり、人望の厚い立派な人物でしたようですね。
このことが、彼の死後に一つの大きな実を結ぶことになるのですが。
> 陸相自身は抗戦派だったようですが、抗戦を主張する青年将校たちの決起を押し留めていたことも鑑みるに、最後まで天皇陛下の臣であることをを貫かれたのでしょうね
私もそう思います。
軍人としてよりも、天皇陛下に対する忠臣、すなわち国家のために殉じる覚悟を持っておられた。
それゆえの割腹自害だったのでしょう。本当に惜しい人物です。
青田です。
私の父親は、80歳なのですが、
終戦の時、14歳でした。
今でも、父親は、口にするのは
『もっと、早く、天皇陛下が戦争を終わらせていたら、こんなことにならなかったのに。』と言いだします。
私が、明治憲法について、説明しようとすると
???になります。
戦後教育には、もちろん、問題はありますが、
今の70代は、戦争中、戦争直後は、小学生、中学生なので、真実を知らない老人も多いですね。
特攻隊の平均年齢が19歳ですから、
本当は、今、生きている真実を知るその世代が
次の世代に真実を語り継ぎ、真実を風化させないようにしないといけなかったと思います。
(私は、小学生の時、実際に戦争に行った叔父から、真実を聞きました。ただ、学校で、また、洗脳されましたが)
あの戦争を知っている世代が、どんどん亡くなって、違う方向に歪められているのが、今の日本ですから
ただ、現在はネットという手段がありますし、真実を広める手段はまだまだあると思います。