そして5月25日から26日にかけて東京が空襲にあった際には皇居にも飛び火し、明治天皇以来の宮殿が焼け落ちると、昭和天皇は「そうか、焼けたか。これでやっとみんなと同じになった」と仰られ、その後は昭和36(1961)年末に新しい御所が完成するまで、防空壕(ぼうくうごう、空襲の際に避難するため地中に造る穴や構築物のこと)としてつくられた御文庫(ごぶんこ)でお過ごしになりました。
後に終戦を迎えても、我が国の経済が回復し、国民の生活が向上するまでは新しい御所の造営をお認めにならなかったのです。国民の安寧な暮らしを常に願われていた昭和天皇の御心をうかがい知ることができるお話ですね。
さて、昭和20年に入ってからも我が国の戦局は悪化するばかりであり、6月23日には沖縄における日本軍の守備隊が全滅しました。そして7月26日にはアメリカ・イギリス・中華民国(実際にはソ連)の3ヵ国によるポツダム宣言が出されました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
昭和天皇とマッカーサー元帥のお話を思い出しながら、拝見させていただきました。
天皇は、「私一人が悪いのであり、日本国民や、軍人が悪いのではありません。責任は私一人にあるのです」と、自分の命と引き換えに平和を願ったという発言も、強ち、眉唾ものの話ではなかったように思いました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昭和天皇とマッカーサー元帥のお話を思い出しながら、拝見させていただきました。
> 天皇は、「私一人が悪いのであり、日本国民や、軍人が悪いのではありません。責任は私一人にあるのです」と、自分の命と引き換えに平和を願ったという発言も、強ち、眉唾ものの話ではなかったように思いました。
仰った話も有名ですね。
後篇で詳しく紹介することになりますので、またご覧いただければと思います。
黒田裕樹さん
風早 りら 「 私は国民とともにここで苦楽を分け合う 」
「 そうか焼けたかこれでやっとみんなと同じになった 」
陛下のこのお言葉 感動しました
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「 私は国民とともにここで苦楽を分け合う 」
> 「 そうか焼けたかこれでやっとみんなと同じになった 」
> 陛下のこのお言葉 感動しました
有難うございます。
真実の話だからこそ、私たちは陛下のお姿に感動できるんですよね。
昭和天皇とマッカーサー元帥のお話を思い出しながら、拝見させていただきました。
天皇は、「私一人が悪いのであり、日本国民や、軍人が悪いのではありません。責任は私一人にあるのです」と、自分の命と引き換えに平和を願ったという発言も、強ち、眉唾ものの話ではなかったように思いました。
応援凸
> 天皇は、「私一人が悪いのであり、日本国民や、軍人が悪いのではありません。責任は私一人にあるのです」と、自分の命と引き換えに平和を願ったという発言も、強ち、眉唾ものの話ではなかったように思いました。
仰った話も有名ですね。
後篇で詳しく紹介することになりますので、またご覧いただければと思います。
「 そうか焼けたかこれでやっとみんなと同じになった 」
陛下のこのお言葉 感動しました
> 「 そうか焼けたかこれでやっとみんなと同じになった 」
> 陛下のこのお言葉 感動しました
有難うございます。
真実の話だからこそ、私たちは陛下のお姿に感動できるんですよね。