まして、ご自身の発せられた言葉が内閣を総辞職させ、首相を死に追いやったかもしれないという結果が、日頃から責任感のお強かった昭和天皇に大きな影響をもたらすことになりました。
この事件以降、昭和天皇はご自身に誓(ちか)われました。
「今後、内閣が私に上奏することは、たとえ自分の考えと反対の意見であったとしても裁可(さいか)を与えることにしよう」。
昭和天皇にとっては、立憲君主というご自身のお立場をお考えになってのご決断でしたが、時代は統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)に関する問題が深刻(しんこく)になっており、陛下のご決断は皮肉にも、結果として軍部の暴走を黙認(もくにん)されることにつながってしまいました。
これ以降、昭和天皇は内閣とは無関係にご自身で政治的な問題に決断されることが2回ありました。そして、その2回ともが我が国の運命を大きく変えることになるのです。
昭和8(1933)年12月23日にご待望の男児である明仁親王(あきひとしんのう、現在の今上天皇=きんじょうてんのう)のご誕生という慶事もありましたが、1回目のご決断の機会は、その2年2ヵ月後に起きた大事件の際に訪れたのでした。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
そうですか。
昭和天皇のお気持ちを思うと
何とも居た堪れなくなるような思いがします。
その当時の日本の軍は天皇のお言葉も聞き入れられない程、それまでの戦争の勝利に酔いしれ、思い上がっていたんですね。
そして天皇の責任感の強さが、飛ぶ鳥も落す勢いの当時の日本には仇となってしまったのはとても残念でした。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですか。
> 昭和天皇のお気持ちを思うと
> 何とも居た堪れなくなるような思いがします。
陛下としては法律を厳格に守ろうとなされると、反対意見でもだまって通さざるを得なくなる。本当にお辛いですよね。
> その当時の日本の軍は天皇のお言葉も聞き入れられない程、それまでの戦争の勝利に酔いしれ、思い上がっていたんですね。
> そして天皇の責任感の強さが、飛ぶ鳥も落す勢いの当時の日本には仇となってしまったのはとても残念でした。
軍部の暴走には、単なる思い上がりだけでなく複雑な理由があります。次回(9日)の更新でその流れや暴走の結果として起きた悲劇について紹介したいと思います。
そうですか。
昭和天皇のお気持ちを思うと
何とも居た堪れなくなるような思いがします。
その当時の日本の軍は天皇のお言葉も聞き入れられない程、それまでの戦争の勝利に酔いしれ、思い上がっていたんですね。
そして天皇の責任感の強さが、飛ぶ鳥も落す勢いの当時の日本には仇となってしまったのはとても残念でした。
応援凸
> 昭和天皇のお気持ちを思うと
> 何とも居た堪れなくなるような思いがします。
陛下としては法律を厳格に守ろうとなされると、反対意見でもだまって通さざるを得なくなる。本当にお辛いですよね。
> その当時の日本の軍は天皇のお言葉も聞き入れられない程、それまでの戦争の勝利に酔いしれ、思い上がっていたんですね。
> そして天皇の責任感の強さが、飛ぶ鳥も落す勢いの当時の日本には仇となってしまったのはとても残念でした。
軍部の暴走には、単なる思い上がりだけでなく複雑な理由があります。次回(9日)の更新でその流れや暴走の結果として起きた悲劇について紹介したいと思います。