しかし、我が国の両派は外国からの支援は喜んで受けたものの、身に余(あま)る過剰(かじょう)な肩入れは断りました。幕府を、あるいは討幕派を倒す際に外国の力を頼り過ぎると、事後に外国からの法外な干渉を受ける可能性があることが分かっていたからです。
こうした諸外国との絶妙なバランス感覚が、幕府が倒れた後も我が国が西欧諸国の植民地になることなく、明治維新を迎えることができた大きな要因となりました。また、それ以前に実は我が国の領土が他国によって占領される危機があったのですが、高杉晋作によって回避(かいひ)されているという事実は意外と知られていません。
四国艦隊下関砲撃事件の後の交渉で、イギリスは関門海峡(かんもんかいきょう)の入り口にあって、軍事的にも重要な彦島(ひこしま)の租借(そしゃく、他国の領土の一部を一定の期間を限って借りることだが、事実上の占領を意味する)を迫りましたが、晋作は粘(ねば)り強く交渉して、ついに撤回(てっかい)させることに成功しました。
もし晋作の功績がなかったら、彦島が中国における香港(ホンコン)のような存在になったばかりでなく、これをきっかけに我が国の植民地化が進んだ可能性も十分に考えられます。高杉晋作のまさに命がけの行動のおかげで、現在の私たちが存在しているといっても過言ではないでしょう。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
仰るとおり、外国に頼りきってしまうと
後々の様々な要求を呑まなければいけない羽目に
なりますものね。後がこわいですね(^^A
高杉晋作は、そんな重要な役割を担っていたのですか!
存じませんでした・というか、彦島という島の存在すら初めて聞きました(@@
お恥ずかしい事です

しかしながら、こういう地道な活動が後々大きな功績となりうるものですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > そうですよね。
> 仰るとおり、外国に頼りきってしまうと
> 後々の様々な要求を呑まなければいけない羽目に
> なりますものね。後がこわいですね(^^A
そのとおりです。
外国の過剰な援助は、その後の無茶な要求がからむことが多いですからね。
見返りを積極的に求めない外国なんて、お人よしの我が国ぐらいのものです。
> 高杉晋作は、そんな重要な役割を担っていたのですか!
> 存じませんでした・というか、彦島という島の存在すら初めて聞きました(@@
> お恥ずかしい事です

> しかしながら、こういう地道な活動が後々大きな功績となりうるものですね。
知らないところで我が国の危機を救ったというのはよくある話です。
そんなエピソードを地道に掘り起こして公表することで、先人の功績と私たちとの深いつながりを知ることも歴史教育にとって重要ですからね。
黒田先生
風早 りら 高杉晋作のお話
昨日より 期待していました
イギリスとの彼の賢い交渉
行動は 日本の誇りですね
素晴らしいと思います
明日 期待しています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 高杉晋作のお話
> 昨日より 期待していました
> イギリスとの彼の賢い交渉
> 行動は 日本の誇りですね
> 素晴らしいと思います
> 明日 期待しています
高杉晋作の命がけの行為が、結果として我が国を救いました。
また、そんな晋作の姿勢に畏(おそ)れたからこそ、相手国も身を引いたのでしょう。
毅然とした態度が外国相手には絶対に必要ですね。
関東の誠 戊辰戦争に対して英仏の代理戦争のような感じ方をしていました。また明治期に入った後、元新選組斎藤一の写真と言われる軍服はアメリカの北軍にそっくり、この流れの中、仰る通りバランス感覚を感じていました。 遡れば16~17世紀にかけての日本はカトリックとプロテスタントとの接し方も絶妙だったように思っています。
現代より歴史の中の日本の方が情報網が発達していたのでは?と言いたくなってしまう事実です。
関東の誠さんへ
黒田裕樹 > 戊辰戦争に対して英仏の代理戦争のような感じ方をしていました。また明治期に入った後、元新選組斎藤一の写真と言われる軍服はアメリカの北軍にそっくり、この流れの中、仰る通りバランス感覚を感じていました。 遡れば16~17世紀にかけての日本はカトリックとプロテスタントとの接し方も絶妙だったように思っています。
> 現代より歴史の中の日本の方が情報網が発達していたのでは?と言いたくなってしまう事実です。
そうですね。
幕末の時期も、また16~17世紀の時期も、国民や為政者が「生きるか死ぬか」の瀬戸際に立たされていました。
それだけにバランス感覚も鋭くなっていたのでしょう。現代のような「平和ボケ」とは比較にならないと思います。
なおまゆ 今の日本にこそ高杉晋作のような交渉術が必要ですね。
彦島は、小さな島です。
下関と短い一本の橋で繋がっています。
古くは壇ノ浦の合戦の時、平家の基地だったところです。瀬戸内海の入り口に当たるので航海の要衝には違いありません。
でも住んでる人達は、島の重要性、歴史を知りません。若者は次々と島を出て行きます。
故郷に愛着を持つためにも歴史に学ぶことは重要ですよね。
黒田さんの講座を読むと、その気持ちが強まる一方です。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、歴史の断絶が見えてくるエピソードですね。
見た目は小さな島でも、それがどれだけの大きな意味を持っているのか。
実際に暮らす人も、また周囲の人々もその意味を理解しなければ、やがては国土の喪失=民族の滅亡へとつながってしまうでしょう。
歴史の流れは重要です。
木戸孝允
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
ドラマや小説では、『木戸孝允』は
あまり、カッコ良く描かれませんが
調べてみると、この『木戸孝允』は
凄い人物ですね。
今まで、知らなかったのですが
リベラルであり、人情家である彼が大好きです。
<リベラルな面>
三権分立、教育制度の改革、議会制民主制度
憲法設立の必要性、廃藩置県
は、彼の構想力です。
<人情家>
◆秩禄処分のよる士族の困窮を心配して反対していた。
◆地租改正による農民の暮らしの心配をしていた。
◆ 会津戦争の会津の武士のことも心配していた。
◆ 幕臣の函館戦争で、死んだ、中島三郎助を心配していた。
幕臣である中島三郎助が戦死した時、慟哭した。
高杉晋作、西郷隆盛が有名ですが、木戸孝允も
明治政府に必要な人物だったと思います。
ただ、明治政府の中で、精神的苦悩が絶えず、
病気がちだったようですが。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、木戸孝允はあまり目立ちませんが、新政府の様々な政策に関係しており、なくてはならない人物でした。それだけに若くして亡くなったことが、残された伊藤博文らにとって重圧になったと思われます。
活かされていない教訓
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
高杉晋作は、彦島という小さな島が外国のものに
なるのを、戦争に負けたのに、交渉力で、防ぎました。
しかし、現代は
◆ 竹島は、韓国が領有を主張。
◆ 尖閣諸島は、中国が領有権を主張。
◆ 北方領土は、ロシアが実効支配。
をしています。
それなのに、そのことでは、大規模なデモは
起こらないのに、『反原発』のデモは、起きています。
この『平和ボケ』は、幕末の江戸幕府の平和ボケで、外国と不平等条約を結んだことと似ていますね。
妙に、平和で、静かな日本の社会に不気味なものを感じてしまいます。
青田さんへ その2
黒田裕樹 私も同感です。
領土問題
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
高杉晋作は
彦島という小さな島の租借を命懸けで、阻止しました。
それは
高杉晋作は、上海で、領土を奪われることがどれだけ、惨めで、不幸なことか、観てきたからでしょうね。
さらに、松下村塾で、当時のアジアの状況を知り、
押せば引く国と外国に思われると、どんどん、植民地化されていくという世界常識も知っていたことも大きいと思います。
そう考えると、現代の政治家(元総理)や
日本の国民が、反原発で、デモをするのに
竹島問題、尖閣諸島で、大規模なデモにならないのは、領土を奪われた国の悲惨さを知らないからかもしれませんね。
(平和ボケ、豊かさボケ、平等ボケ)
これは、私の考えですが、歴史から、学ぶという意味において、
日本人も、中国に、領土を奪われたチベット自治区やパレスチナ難民を観ないとわからないかもしれませんね。
ただ、日本の領土問題に興味ない人間に限って
お花畑思考の海外旅行しかしないんでしょうが。。
青田さんへ その3
黒田裕樹 仰るとおりかと私も思います。
そうですよね。
仰るとおり、外国に頼りきってしまうと
後々の様々な要求を呑まなければいけない羽目に
なりますものね。後がこわいですね(^^A
高杉晋作は、そんな重要な役割を担っていたのですか!
存じませんでした・というか、彦島という島の存在すら初めて聞きました(@@
お恥ずかしい事です

しかしながら、こういう地道な活動が後々大きな功績となりうるものですね。
応援凸
> 仰るとおり、外国に頼りきってしまうと
> 後々の様々な要求を呑まなければいけない羽目に
> なりますものね。後がこわいですね(^^A
そのとおりです。
外国の過剰な援助は、その後の無茶な要求がからむことが多いですからね。
見返りを積極的に求めない外国なんて、お人よしの我が国ぐらいのものです。
> 高杉晋作は、そんな重要な役割を担っていたのですか!
> 存じませんでした・というか、彦島という島の存在すら初めて聞きました(@@
> お恥ずかしい事です

> しかしながら、こういう地道な活動が後々大きな功績となりうるものですね。
知らないところで我が国の危機を救ったというのはよくある話です。
そんなエピソードを地道に掘り起こして公表することで、先人の功績と私たちとの深いつながりを知ることも歴史教育にとって重要ですからね。
昨日より 期待していました
イギリスとの彼の賢い交渉
行動は 日本の誇りですね
素晴らしいと思います
明日 期待しています
> 昨日より 期待していました
> イギリスとの彼の賢い交渉
> 行動は 日本の誇りですね
> 素晴らしいと思います
> 明日 期待しています
高杉晋作の命がけの行為が、結果として我が国を救いました。
また、そんな晋作の姿勢に畏(おそ)れたからこそ、相手国も身を引いたのでしょう。
毅然とした態度が外国相手には絶対に必要ですね。
現代より歴史の中の日本の方が情報網が発達していたのでは?と言いたくなってしまう事実です。
> 現代より歴史の中の日本の方が情報網が発達していたのでは?と言いたくなってしまう事実です。
そうですね。
幕末の時期も、また16~17世紀の時期も、国民や為政者が「生きるか死ぬか」の瀬戸際に立たされていました。
それだけにバランス感覚も鋭くなっていたのでしょう。現代のような「平和ボケ」とは比較にならないと思います。
彦島は、小さな島です。
下関と短い一本の橋で繋がっています。
古くは壇ノ浦の合戦の時、平家の基地だったところです。瀬戸内海の入り口に当たるので航海の要衝には違いありません。
でも住んでる人達は、島の重要性、歴史を知りません。若者は次々と島を出て行きます。
故郷に愛着を持つためにも歴史に学ぶことは重要ですよね。
黒田さんの講座を読むと、その気持ちが強まる一方です。
見た目は小さな島でも、それがどれだけの大きな意味を持っているのか。
実際に暮らす人も、また周囲の人々もその意味を理解しなければ、やがては国土の喪失=民族の滅亡へとつながってしまうでしょう。
歴史の流れは重要です。
こんばんは
青田です。
ドラマや小説では、『木戸孝允』は
あまり、カッコ良く描かれませんが
調べてみると、この『木戸孝允』は
凄い人物ですね。
今まで、知らなかったのですが
リベラルであり、人情家である彼が大好きです。
<リベラルな面>
三権分立、教育制度の改革、議会制民主制度
憲法設立の必要性、廃藩置県
は、彼の構想力です。
<人情家>
◆秩禄処分のよる士族の困窮を心配して反対していた。
◆地租改正による農民の暮らしの心配をしていた。
◆ 会津戦争の会津の武士のことも心配していた。
◆ 幕臣の函館戦争で、死んだ、中島三郎助を心配していた。
幕臣である中島三郎助が戦死した時、慟哭した。
高杉晋作、西郷隆盛が有名ですが、木戸孝允も
明治政府に必要な人物だったと思います。
ただ、明治政府の中で、精神的苦悩が絶えず、
病気がちだったようですが。
こんばんは
青田です。
高杉晋作は、彦島という小さな島が外国のものに
なるのを、戦争に負けたのに、交渉力で、防ぎました。
しかし、現代は
◆ 竹島は、韓国が領有を主張。
◆ 尖閣諸島は、中国が領有権を主張。
◆ 北方領土は、ロシアが実効支配。
をしています。
それなのに、そのことでは、大規模なデモは
起こらないのに、『反原発』のデモは、起きています。
この『平和ボケ』は、幕末の江戸幕府の平和ボケで、外国と不平等条約を結んだことと似ていますね。
妙に、平和で、静かな日本の社会に不気味なものを感じてしまいます。
こんばんは
青田です。
高杉晋作は
彦島という小さな島の租借を命懸けで、阻止しました。
それは
高杉晋作は、上海で、領土を奪われることがどれだけ、惨めで、不幸なことか、観てきたからでしょうね。
さらに、松下村塾で、当時のアジアの状況を知り、
押せば引く国と外国に思われると、どんどん、植民地化されていくという世界常識も知っていたことも大きいと思います。
そう考えると、現代の政治家(元総理)や
日本の国民が、反原発で、デモをするのに
竹島問題、尖閣諸島で、大規模なデモにならないのは、領土を奪われた国の悲惨さを知らないからかもしれませんね。
(平和ボケ、豊かさボケ、平等ボケ)
これは、私の考えですが、歴史から、学ぶという意味において、
日本人も、中国に、領土を奪われたチベット自治区やパレスチナ難民を観ないとわからないかもしれませんね。
ただ、日本の領土問題に興味ない人間に限って
お花畑思考の海外旅行しかしないんでしょうが。。