1864年に起きた池田屋事件(いけだやじけん)によって追いつめられた長州藩は、京都で薩摩・会津の両藩と激しく戦いましたが敗れ(これを禁門の変=きんもんのへん、または蛤御門の変=はまぐりごもんのへん、といいます)、その後の幕府による第一次長州征伐(だいいちじちょうしゅうせいばつ)によって、長州藩の藩論は保守的な思想が中心となりました。
そんな長州藩に追い打ちをかけるように、長州藩外国船砲撃事件への報復としてイギリス・アメリカ・フランス・オランダの4ヵ国が下関を砲撃して占領(せんりょう)するという事件が起きました。これを四国艦隊下関砲撃事件(しこくかんたいしものせきほうげきじけん)といいます。
まさにボロボロの状態となった長州藩ですが、砲撃事件によって武力による攘夷の不可能を悟(さと)った長州藩は外国から学びながら力を蓄(たくわ)える道を選択し、後に高杉晋作によって奇兵隊(きへいたい)が結成されると、藩論を再び討幕へと導くことに成功しました。
ちなみに、外国からの攻撃を受けて攘夷の方針を転換したところは、薩英戦争を経験した薩摩藩と同じ路線をたどっています。いつの世も、人間は実際に経験しないと本質が理解できないのが宿命なのかもしれませんね。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
最後の一節だけに反応して、恐縮ですが^^;
仰るとおり、自分が経験してみないと納得出来ないというのは世の常なんでしょうね。
親がいくら口で駄目だと説得しても、子供は自分でそれを経験してみないことには、判ろうとしないという所でしょうか(苦笑)
応援凸
なおまゆ 楽しく読ませて頂いています。
実は、私は長州人です。
明治維新では、長州の出番が多く、少し、自慢で少し、恥ずかしく思ってます。
長州藩の藩論を転回させた絵堂の戦いは、高杉晋作主導の小さな戦いでした。
彼は、きっと首脳部は経験しなければ分からないと読んでいたのでしょう。
わずかな兵で決起した高杉晋作の「確かな見通し」がなければ長州藩は、維新の中心に居なかったかもしれません。歴史のアヤを感じます。
黒田先生
風早 りら 高杉晋作によって奇兵隊結成されるまでの
由縁を 詳しく 学ぶことが 出来
大変 有意義な 日となりました
彼のことは 以前より 興味がありましたので
今夜は特に楽しく 勉強させて
頂きました
有難う御座います
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 最後の一節だけに反応して、恐縮ですが^^;
> 仰るとおり、自分が経験してみないと納得出来ないというのは世の常なんでしょうね。
> 親がいくら口で駄目だと説得しても、子供は自分でそれを経験してみないことには、判ろうとしないという所でしょうか(苦笑)
確かにそのとおりですね。
小さなケガならまだ大丈夫なんですが、大ケガしてからでは遅い…。
長州藩の苦労話が一つの教訓になってくれればよいのですが。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > 楽しく読ませて頂いています。
> 実は、私は長州人です。
> 明治維新では、長州の出番が多く、少し、自慢で少し、恥ずかしく思ってます。
そうなんですね。
地元の活躍は喜ばしいことです。
> 長州藩の藩論を転回させた絵堂の戦いは、高杉晋作主導の小さな戦いでした。
> 彼は、きっと首脳部は経験しなければ分からないと読んでいたのでしょう。
> わずかな兵で決起した高杉晋作の「確かな見通し」がなければ長州藩は、維新の中心に居なかったかもしれません。歴史のアヤを感じます。
仰るとおり、高杉晋作の活躍がなければ現在の我が国の体制はあり得なかったでしょう。
幕末の人材の豊富さは、今更ながらものすごいものがありますね。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 高杉晋作によって奇兵隊結成されるまでの
> 由縁を 詳しく 学ぶことが 出来
> 大変 有意義な 日となりました
> 彼のことは 以前より 興味がありましたので
> 今夜は特に楽しく 勉強させて
> 頂きました
> 有難う御座います
こちらこそ有難うございます。
高杉晋作については、この講座であと一回出てきます。
今回のことも、次回のことも、いずれも我が国の歴史を形づくった「隠れた偉業」だったと思います。
恐るべし長州藩
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
この時代の長州藩は、あらゆる面で、特別だったと思います。
◆ 攘夷運動の中心だったのに、伊藤博文、井上馨らの若者を英国に密航させて、留学させる。
◆ 身分の低い人間が、中心的なリーダーになる。
伊藤博文は、足軽出身、山縣有朋は、中間の出身、久坂玄瑞は医者の息子、大村益次郎は医者
桂小五郎は、医者の息子。
リーダー核で、上士は、高杉晋作くらいです。
◆ 奇兵隊だけではなく、力士隊、遊撃隊などを
即席で創り、それが実際の戦いで、活躍できた。
◆ 第二次長州征伐(四境戦争)で、幕府軍15万VS長州藩5000で、長州藩が勝ってしまう。
いくら、平和ボケの幕府であっても15万
それにたいしても、いくら必死であっても、
元々武士ではない人間を即席の訓練で、兵士に
変えた長州藩。
どう考えても、奇跡としか考えられません。
長州立場で、考えると、ボロボロになりながら
常に逆転満塁ホームランの連続を繰り返していた気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 この当時の長州藩は、いわば「不運のどん底」と「幸運の女神」が同時であったと思われます。
その根にあるのは、記事で紹介したとおりの「徳川家に対する恨み」でしょう。
恨みは人を動かし、どんな不運をもはねのけて、最終的に奇跡の勝利を成し遂げる。
考えてみれば、背筋が寒くなるほど恐ろしいことですね。
復讐劇(西南戦争)
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
恨みと言えば、
西南戦争の時、政府軍の抜刀隊を
政府は、官軍に恨みのある会津藩出身の武士が
多く集めたという話を聞いたことがあります。
その政府軍の抜刀隊が、田原坂の戦いの勝敗を
決めました。
本当に未来は、どうなるか、わかりませんね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 本当にそうですね。
物事はどんな場面で功を奏したり、また裏目に出たりするか分かりません。
だからこそ、私たちは人生の教訓として歴史に学ばなければならないのです。
高杉晋作の魂
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
高杉晋作の生き方で、私が見習いことは
『それでも、決して、あきらめない。』の精神です。
今の日本でも、すぐネガティブな現実を取れ上げて、
日本から、出ろということをいう某評論家がいますが、
幕末の日本の現実、長州の現実で、もし、『だから、あきらめる。』人間しかいなかったら、
明治維新は、なかったと思います。
それにしても、
高杉晋作は、目の前の巨大な現実にたいして
『それでも、あきらめない。』の精神は、
本当に素晴らしいですね。
青田さんへ その3
黒田裕樹 先週(平成23年4月13日)のヒストリアで高杉晋作を特集していましたね。
暴れ牛の名に恥じない豪傑ぶりでしたが、仰るように「決してあきらめない」彼の精神が世の中を動かしたかと思うと感慨深いものがあります。
歴史のif
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
結果的に高杉晋作のクーデターが成功したので、
楽勝だと考えがちですが、
功山寺の決起の時、伊藤博文の力士隊しか、当初は、参加しませんでした。
誰もが、高杉晋作の決起が無謀で、失敗すると思ったからです。
もし、仮に、この高杉晋作の決起が失敗していたとしたら、その後の歴史がどうなるかを考えてみました。
① 高杉晋作、伊藤博文は、処刑される。
(日本の後の総理大臣ではなくなる。)
② 奇兵隊は、解散。
(山県有朋は、世の中に出ない。)
③ 桂小五郎は、但馬で、ひっそりと余生を暮らす。
④ 長州藩は、保守が幕府の言いなりになり、領地没収。
⑤ 薩摩は、討幕運動か、公武合体で、揺れ動く。
⑥ 幕府を存続するか、幕府中心の新政府軍が出来る。
⑦ 徳川家茂が延命するのでは。。
(長州征伐の敗北によるストレスで、急死したという説がある。)
ここからが、問題で、この状態で、果たして、史実のような近代化への道が進んだかということですね。
■ 四民平等が実現したか?
■ 武士の秩禄処分をなくせたか?
■ 廃藩置県を実現できたか?
■ 近代的な海軍・陸軍を創れたか?
■ 明治憲法を創り、議会を開設できたか?
もちろん、幕府内にも優秀な人物は、大勢いたとは、思いますが、幕府中心の新政府で、そこまで
思い切った政策を打ち出せたかが、?ですね。
青田さんへ その4
黒田裕樹 仰るとおり、高杉晋作のクーデターの成功が我が国の歴史を大きく変えたといえるでしょう。
田沼意次のような開明派が存在しない限りは、幕府主導による近代化には確かに疑問符が付きますね。
内憂外患
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
この時のボロボロの長州藩をなぜか、今の日本の
ことを考えてしまいます。
それは、内憂外患の状態が今の日本の状態と
だぶるからです。
【内優】
・ デフレ不況
・ 電力不足
・ 原子力事故
・ 東北地震
【外患】
・ ギリシア危機による世界同時不況。
・ 日本の領土を狙う周辺地域。
・ 基地問題でのアメリカとの同盟関係が希薄になる。
・ アメリカと韓国が自由貿易協定を結ぶ。
さらに来年は、1年間で、世界の指導者が大幅に変わります。
アメリカ大統領選、韓国の大統領選、フランスの大統領選、中国も指導者が変わり、ロシアもプーチンに指導者が変わる(終身になりそうですが)
平和な時なら、民主党の派閥政治も仕方ないですが、こういう内優外患の時には、高杉晋作のような強力なリーダーが必要ですね。
青田さんへ その5
黒田裕樹 仰るとおりの混迷究める世の中ですから、真のリーダーに我が国を任せてみたいですね。非常時ですから話し合いではまとめ切れないと思います。
この頃の長州藩は、今の日本ような気がします。
青田です。 黒田先生
青田です。
この時の長州藩と江戸幕府を観ると
今の日本の、近未来を観ている気がします。
(江戸幕府)のように過去の栄光で、平和ボケになり、亡びるか
あるいは
(長州藩)のように『財政改革』と『教育力』で
ボロボロになりながらも、外国からの侵略に立ち向かうか?
青田さんへ その6
黒田裕樹 確かにそうですね。
我が国が滅びないように、長州藩出身(?)の現首相に頑張ってもらうしかないのかもしれません。
勇気をもらいます
青田です。 黒田先生
青田です。
この高杉晋作の行動は、『人生、気合いと根性で何とかなる。』という意味で、『勇気』をもらいます。
というのも、戦後教育で、『精神主義』、『根性主義』は、完全に否定されました。
「そんな無謀な考えが、日本が大東亜戦争を敗北に導びいたと。。」
たしかに、長州v幕府、世界中(イギリス、フランス、アメリカ、オランダ)は、無謀だと思いますが、
今でいえば、山口県vsイギリス、フランス、オランダ、アメリカです。
高杉晋作の「功山寺の決起」は、(たった一人で、決起して、やってきたのは伊藤博文だけ)
「完全自殺マニュアル」あるいは「SF」の世界です。
(高杉晋作をサポートしていた豪商の白石征一郎も
決起する時、『とうとう気が狂った。』と呆れて止めたそうです。)
しかも、それでも、仲間が増えたとはいえ、
高杉軍200vs長州藩の俗論派3000
で、6.5倍の兵力差ですが、勝ってしまいます。
後付けで、いろんなことを言いますが、
正直、『気合いと根性』だけで、何とかするのが長州人の底力だと思いました。
現政権の安倍晋三の「晋」から、由来しているそうです。
長州人の心意気をみせてもらえることを期待しています。
私は、兵庫県民ですが、「気合いと根性」で、人生を切り拓きます。(笑)
青田さんへ その7
黒田裕樹 確かに仰るとおりですね。
私の好きなシーン
青田です。 黒田先生
青田です。
昔、小説で、この【禁門の変】の前に
桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作の3人の会話に
惚れました。(フィクションだとは、思いますが)
久坂玄瑞:「わしは、みんなを止めることができなかった。」
〇
高杉晋作:「久坂~おぬしは狂うたのか~。」
〇
久坂玄瑞:「一人一人の目を観ると、わしも、みんなと一緒に死んでやらないと
いけないと思った。高杉、後のことは頼む。」
〇
桂小五郎:「一番、美しく死にたい奴に貧乏クジを引かしてしもうた~な。」
「久坂、最後にわしに何か出来ることはないか?」
〇
久坂玄瑞:「桂さん、最後に3人で、酒を飲みたいです。
桂さん、酒を飲まして下さい。」
〇
桂小五郎:「よし、今夜は、三人で、飲み明かそう。」
青田さんへ その8
黒田裕樹 日本人なら有り得そうなシチュエーションだからこそ、印象に残るのでしょうね。
最後の一節だけに反応して、恐縮ですが^^;
仰るとおり、自分が経験してみないと納得出来ないというのは世の常なんでしょうね。
親がいくら口で駄目だと説得しても、子供は自分でそれを経験してみないことには、判ろうとしないという所でしょうか(苦笑)
応援凸
実は、私は長州人です。
明治維新では、長州の出番が多く、少し、自慢で少し、恥ずかしく思ってます。
長州藩の藩論を転回させた絵堂の戦いは、高杉晋作主導の小さな戦いでした。
彼は、きっと首脳部は経験しなければ分からないと読んでいたのでしょう。
わずかな兵で決起した高杉晋作の「確かな見通し」がなければ長州藩は、維新の中心に居なかったかもしれません。歴史のアヤを感じます。
由縁を 詳しく 学ぶことが 出来
大変 有意義な 日となりました
彼のことは 以前より 興味がありましたので
今夜は特に楽しく 勉強させて
頂きました
有難う御座います
> 仰るとおり、自分が経験してみないと納得出来ないというのは世の常なんでしょうね。
> 親がいくら口で駄目だと説得しても、子供は自分でそれを経験してみないことには、判ろうとしないという所でしょうか(苦笑)
確かにそのとおりですね。
小さなケガならまだ大丈夫なんですが、大ケガしてからでは遅い…。
長州藩の苦労話が一つの教訓になってくれればよいのですが。
> 実は、私は長州人です。
> 明治維新では、長州の出番が多く、少し、自慢で少し、恥ずかしく思ってます。
そうなんですね。
地元の活躍は喜ばしいことです。
> 長州藩の藩論を転回させた絵堂の戦いは、高杉晋作主導の小さな戦いでした。
> 彼は、きっと首脳部は経験しなければ分からないと読んでいたのでしょう。
> わずかな兵で決起した高杉晋作の「確かな見通し」がなければ長州藩は、維新の中心に居なかったかもしれません。歴史のアヤを感じます。
仰るとおり、高杉晋作の活躍がなければ現在の我が国の体制はあり得なかったでしょう。
幕末の人材の豊富さは、今更ながらものすごいものがありますね。
> 由縁を 詳しく 学ぶことが 出来
> 大変 有意義な 日となりました
> 彼のことは 以前より 興味がありましたので
> 今夜は特に楽しく 勉強させて
> 頂きました
> 有難う御座います
こちらこそ有難うございます。
高杉晋作については、この講座であと一回出てきます。
今回のことも、次回のことも、いずれも我が国の歴史を形づくった「隠れた偉業」だったと思います。
こんばんは
青田です。
この時代の長州藩は、あらゆる面で、特別だったと思います。
◆ 攘夷運動の中心だったのに、伊藤博文、井上馨らの若者を英国に密航させて、留学させる。
◆ 身分の低い人間が、中心的なリーダーになる。
伊藤博文は、足軽出身、山縣有朋は、中間の出身、久坂玄瑞は医者の息子、大村益次郎は医者
桂小五郎は、医者の息子。
リーダー核で、上士は、高杉晋作くらいです。
◆ 奇兵隊だけではなく、力士隊、遊撃隊などを
即席で創り、それが実際の戦いで、活躍できた。
◆ 第二次長州征伐(四境戦争)で、幕府軍15万VS長州藩5000で、長州藩が勝ってしまう。
いくら、平和ボケの幕府であっても15万
それにたいしても、いくら必死であっても、
元々武士ではない人間を即席の訓練で、兵士に
変えた長州藩。
どう考えても、奇跡としか考えられません。
長州立場で、考えると、ボロボロになりながら
常に逆転満塁ホームランの連続を繰り返していた気がします。
その根にあるのは、記事で紹介したとおりの「徳川家に対する恨み」でしょう。
恨みは人を動かし、どんな不運をもはねのけて、最終的に奇跡の勝利を成し遂げる。
考えてみれば、背筋が寒くなるほど恐ろしいことですね。
こんにちは
青田です。
恨みと言えば、
西南戦争の時、政府軍の抜刀隊を
政府は、官軍に恨みのある会津藩出身の武士が
多く集めたという話を聞いたことがあります。
その政府軍の抜刀隊が、田原坂の戦いの勝敗を
決めました。
本当に未来は、どうなるか、わかりませんね。
物事はどんな場面で功を奏したり、また裏目に出たりするか分かりません。
だからこそ、私たちは人生の教訓として歴史に学ばなければならないのです。
こんにちは
青田です。
高杉晋作の生き方で、私が見習いことは
『それでも、決して、あきらめない。』の精神です。
今の日本でも、すぐネガティブな現実を取れ上げて、
日本から、出ろということをいう某評論家がいますが、
幕末の日本の現実、長州の現実で、もし、『だから、あきらめる。』人間しかいなかったら、
明治維新は、なかったと思います。
それにしても、
高杉晋作は、目の前の巨大な現実にたいして
『それでも、あきらめない。』の精神は、
本当に素晴らしいですね。
暴れ牛の名に恥じない豪傑ぶりでしたが、仰るように「決してあきらめない」彼の精神が世の中を動かしたかと思うと感慨深いものがあります。
こんばんは
青田です。
結果的に高杉晋作のクーデターが成功したので、
楽勝だと考えがちですが、
功山寺の決起の時、伊藤博文の力士隊しか、当初は、参加しませんでした。
誰もが、高杉晋作の決起が無謀で、失敗すると思ったからです。
もし、仮に、この高杉晋作の決起が失敗していたとしたら、その後の歴史がどうなるかを考えてみました。
① 高杉晋作、伊藤博文は、処刑される。
(日本の後の総理大臣ではなくなる。)
② 奇兵隊は、解散。
(山県有朋は、世の中に出ない。)
③ 桂小五郎は、但馬で、ひっそりと余生を暮らす。
④ 長州藩は、保守が幕府の言いなりになり、領地没収。
⑤ 薩摩は、討幕運動か、公武合体で、揺れ動く。
⑥ 幕府を存続するか、幕府中心の新政府軍が出来る。
⑦ 徳川家茂が延命するのでは。。
(長州征伐の敗北によるストレスで、急死したという説がある。)
ここからが、問題で、この状態で、果たして、史実のような近代化への道が進んだかということですね。
■ 四民平等が実現したか?
■ 武士の秩禄処分をなくせたか?
■ 廃藩置県を実現できたか?
■ 近代的な海軍・陸軍を創れたか?
■ 明治憲法を創り、議会を開設できたか?
もちろん、幕府内にも優秀な人物は、大勢いたとは、思いますが、幕府中心の新政府で、そこまで
思い切った政策を打ち出せたかが、?ですね。
田沼意次のような開明派が存在しない限りは、幕府主導による近代化には確かに疑問符が付きますね。
こんばんは
青田です。
この時のボロボロの長州藩をなぜか、今の日本の
ことを考えてしまいます。
それは、内憂外患の状態が今の日本の状態と
だぶるからです。
【内優】
・ デフレ不況
・ 電力不足
・ 原子力事故
・ 東北地震
【外患】
・ ギリシア危機による世界同時不況。
・ 日本の領土を狙う周辺地域。
・ 基地問題でのアメリカとの同盟関係が希薄になる。
・ アメリカと韓国が自由貿易協定を結ぶ。
さらに来年は、1年間で、世界の指導者が大幅に変わります。
アメリカ大統領選、韓国の大統領選、フランスの大統領選、中国も指導者が変わり、ロシアもプーチンに指導者が変わる(終身になりそうですが)
平和な時なら、民主党の派閥政治も仕方ないですが、こういう内優外患の時には、高杉晋作のような強力なリーダーが必要ですね。
青田です。
この時の長州藩と江戸幕府を観ると
今の日本の、近未来を観ている気がします。
(江戸幕府)のように過去の栄光で、平和ボケになり、亡びるか
あるいは
(長州藩)のように『財政改革』と『教育力』で
ボロボロになりながらも、外国からの侵略に立ち向かうか?
我が国が滅びないように、長州藩出身(?)の現首相に頑張ってもらうしかないのかもしれません。
青田です。
この高杉晋作の行動は、『人生、気合いと根性で何とかなる。』という意味で、『勇気』をもらいます。
というのも、戦後教育で、『精神主義』、『根性主義』は、完全に否定されました。
「そんな無謀な考えが、日本が大東亜戦争を敗北に導びいたと。。」
たしかに、長州v幕府、世界中(イギリス、フランス、アメリカ、オランダ)は、無謀だと思いますが、
今でいえば、山口県vsイギリス、フランス、オランダ、アメリカです。
高杉晋作の「功山寺の決起」は、(たった一人で、決起して、やってきたのは伊藤博文だけ)
「完全自殺マニュアル」あるいは「SF」の世界です。
(高杉晋作をサポートしていた豪商の白石征一郎も
決起する時、『とうとう気が狂った。』と呆れて止めたそうです。)
しかも、それでも、仲間が増えたとはいえ、
高杉軍200vs長州藩の俗論派3000
で、6.5倍の兵力差ですが、勝ってしまいます。
後付けで、いろんなことを言いますが、
正直、『気合いと根性』だけで、何とかするのが長州人の底力だと思いました。
現政権の安倍晋三の「晋」から、由来しているそうです。
長州人の心意気をみせてもらえることを期待しています。
私は、兵庫県民ですが、「気合いと根性」で、人生を切り拓きます。(笑)
青田です。
昔、小説で、この【禁門の変】の前に
桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作の3人の会話に
惚れました。(フィクションだとは、思いますが)
久坂玄瑞:「わしは、みんなを止めることができなかった。」
〇
高杉晋作:「久坂~おぬしは狂うたのか~。」
〇
久坂玄瑞:「一人一人の目を観ると、わしも、みんなと一緒に死んでやらないと
いけないと思った。高杉、後のことは頼む。」
〇
桂小五郎:「一番、美しく死にたい奴に貧乏クジを引かしてしもうた~な。」
「久坂、最後にわしに何か出来ることはないか?」
〇
久坂玄瑞:「桂さん、最後に3人で、酒を飲みたいです。
桂さん、酒を飲まして下さい。」
〇
桂小五郎:「よし、今夜は、三人で、飲み明かそう。」