ちなみに、カトリックの宣教師から地球が丸いことを知らされた信長は、すぐにそれを理解したそうです。16世紀の日本人とはとても思えない、信長の柔軟な発想力がうかがえるエピソードですね。
さて、比叡山は焼討ちで抑えたものの、一向一揆と信長との戦いはなかなか決着がつきませんでした。総本山といえる大坂の石山本願寺(いしやまほんがんじ)が、城並みの防御力を誇っていたばかりでなく、毛利家(もうりけ)が村上水軍(むらかみすいぐん)によって海路で兵糧(ひょうろう)や武器弾薬を運び続けていたからでした。
信長は石山本願寺への輸送を断つため、1576年に村上水軍と戦いましたが、強力な火器(かき)を持つ村上水軍によって、信長軍の船は次々に炎上し、惨敗してしまいました。このままではいつまで経っても石山本願寺を落とすことができません。どうすれば村上水軍に勝てるのでしょうか?
ここでも信長は、その天才ぶりを遺憾(いかん)なく発揮するのです。




いつも有難うございます。
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風早 りら こ時代 地球が丸い ことが
理解出来た 信長は やはり 凄いと
思いました
名高い 村上水軍との戦い
明日を 楽しみに していますね
ぴーち こんばんは!
確かに地球が丸い言う事をすぐに理解した
柔軟性は素晴らしいとは思います。
しかし、仏教は元々優れた教えなはずです。
後にその教えを広めた人間の悪行によって
その本質である仏教までもが憎まれてしまうと言うことは非常に遺憾な事だと思いました。
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」
宗教勢力が憎いと仏教まで憎むというのは
短絡的過ぎるようにも思います。
しかしながら、信長の激情型の性格なら、有り得るかも知れません・・・
やはりそういう面では、信長も人の子で
あったのかも知れませんね。
応援凸
風早りらさんへ
黒田裕樹 > この時代 地球が丸い ことが
> 理解出来た 信長は やはり 凄いと
> 思いました
> 名高い 村上水軍との戦い
> 明日を 楽しみに していますね
そうですよね。地球が丸いことをたちどころに理解できるほど柔軟な頭脳だったからこそ、村上水軍との戦いで「大逆転」が可能になったということにつながります。やはり信長はただ者ではありません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに地球が丸い言う事をすぐに理解した
> 柔軟性は素晴らしいとは思います。
> しかし、仏教は元々優れた教えなはずです。
> 後にその教えを広めた人間の悪行によって
> その本質である仏教までもが憎まれてしまうと言うことは非常に遺憾な事だと思いました。
> 「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」
> 宗教勢力が憎いと仏教まで憎むというのは
> 短絡的過ぎるようにも思います。
仰るとおりだと思います。ただ、信長は自分に刃向うことなく、本来の信仰の道のみを求めた宗教団体に対してはこれを許していたという事実もあります。
この当時の宗教勢力が圧力団体と化して、庶民を苦しめていたことや、信長の身内や家臣が次々と殺されていった恨みが、仏教に対する嫌悪感につながったと考えられるのです。と同時に、そこまでの仕打ちを受けながら、信長がよくぞ許したなという思いもありますね。
> しかしながら、信長の激情型の性格なら、有り得るかも知れません・・・
> やはりそういう面では、信長も人の子で
> あったのかも知れませんね。
そこなんですよね。
激情型の性格は、この後悪い方向へと信長を導いていくことになってしまいます…。
理解出来た 信長は やはり 凄いと
思いました
名高い 村上水軍との戦い
明日を 楽しみに していますね
確かに地球が丸い言う事をすぐに理解した
柔軟性は素晴らしいとは思います。
しかし、仏教は元々優れた教えなはずです。
後にその教えを広めた人間の悪行によって
その本質である仏教までもが憎まれてしまうと言うことは非常に遺憾な事だと思いました。
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」
宗教勢力が憎いと仏教まで憎むというのは
短絡的過ぎるようにも思います。
しかしながら、信長の激情型の性格なら、有り得るかも知れません・・・
やはりそういう面では、信長も人の子で
あったのかも知れませんね。
応援凸
> 理解出来た 信長は やはり 凄いと
> 思いました
> 名高い 村上水軍との戦い
> 明日を 楽しみに していますね
そうですよね。地球が丸いことをたちどころに理解できるほど柔軟な頭脳だったからこそ、村上水軍との戦いで「大逆転」が可能になったということにつながります。やはり信長はただ者ではありません。
> 柔軟性は素晴らしいとは思います。
> しかし、仏教は元々優れた教えなはずです。
> 後にその教えを広めた人間の悪行によって
> その本質である仏教までもが憎まれてしまうと言うことは非常に遺憾な事だと思いました。
> 「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」
> 宗教勢力が憎いと仏教まで憎むというのは
> 短絡的過ぎるようにも思います。
仰るとおりだと思います。ただ、信長は自分に刃向うことなく、本来の信仰の道のみを求めた宗教団体に対してはこれを許していたという事実もあります。
この当時の宗教勢力が圧力団体と化して、庶民を苦しめていたことや、信長の身内や家臣が次々と殺されていった恨みが、仏教に対する嫌悪感につながったと考えられるのです。と同時に、そこまでの仕打ちを受けながら、信長がよくぞ許したなという思いもありますね。
> しかしながら、信長の激情型の性格なら、有り得るかも知れません・・・
> やはりそういう面では、信長も人の子で
> あったのかも知れませんね。
そこなんですよね。
激情型の性格は、この後悪い方向へと信長を導いていくことになってしまいます…。