しかし、信玄が亡くなったことで義昭の野望は夢と終わり、信長に攻められて降伏せざるを得ませんでした。義昭はこの後もう一度挙兵しますが再び敗れ、1573年旧暦7月に義昭は信長によって京を追われたことで、240年近く続いた足利氏による室町幕府は滅亡しました。
義昭を追放した信長は、返す刀で朝倉義景や浅井長政を次々と滅ぼし、越前から北近江にかけて領地を拡大することに成功すると、翌1574年には伊勢長島の一向一揆を、女性や子供に至るまで皆殺しにして、さらに1575年には越前の一向一揆も滅ぼしました。
信長の一向一揆に対する酷(むご)い仕打ちは、いかに弟や家臣たちの復讐のためとはいえ、比叡山延暦寺の焼き討ちとともにその残虐性(ざんぎゃくせい)が問題視されることが多いですが、いずれも先に手を出したのは宗教勢力の方であり、また一向一揆は女性や子供までが武器を持って戦っていたという現実を考えれば、信長の行為はやむを得ないと判断すべきかもしれません。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
そうだったんですか。
残虐性が際立ってしまい、事の真実がその陰になって現代に伝えられてしまっていることはとても残念ですね。
独裁者でも、凶悪犯罪者でも
やはりそういう手段を取らずにはいられなかった
理由というのものが必ず潜んでいるものですね。
結果だけを見ずに、その背景や、経緯なども合わせてその人物を多角面、総合的にみていかなければいけない訳ですね。
黒田さんからこういうお話を伺わなかったら、
私は一生信長の真意を知らずに終ってしまったかもしれないと思うと、本当にありがたく思いますm(__)m
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、信長の残虐性にはちゃんとした理由があるんですよね。
大事な弟や多くの家臣を失った信長の怒りは凄まじいものがあったことでしょうし、この時代の倫理観は現代とは全く異なりますからね。
現代の価値観で当時の歴史を振り返る危険性。今回の信長がまさに典型的な事例になりますね。
そうだったんですか。
残虐性が際立ってしまい、事の真実がその陰になって現代に伝えられてしまっていることはとても残念ですね。
独裁者でも、凶悪犯罪者でも
やはりそういう手段を取らずにはいられなかった
理由というのものが必ず潜んでいるものですね。
結果だけを見ずに、その背景や、経緯なども合わせてその人物を多角面、総合的にみていかなければいけない訳ですね。
黒田さんからこういうお話を伺わなかったら、
私は一生信長の真意を知らずに終ってしまったかもしれないと思うと、本当にありがたく思いますm(__)m
応援凸
大事な弟や多くの家臣を失った信長の怒りは凄まじいものがあったことでしょうし、この時代の倫理観は現代とは全く異なりますからね。
現代の価値観で当時の歴史を振り返る危険性。今回の信長がまさに典型的な事例になりますね。