包囲網が連携(れんけい)することを防いだ信長は、1571年旧暦9月12日に、信長に抵抗を続けた比叡山の焼き討(う)ちを敢行しました。長い歴史を誇った延暦寺は業火(ごうか)に焼かれ、逃げまどう多くの僧侶(そうりょ)のみならず、女人禁制(にょにんきんせい)のはずなのになぜか存在した女性や、あるいは子供までもが容赦(ようしゃ)なく首をはねられました。
比叡山の延暦寺は信長に敵対する宗教勢力としては滅亡しましたが、一向一揆の軍勢は相変わらず信長を苦しめ続けました。そして1572年になると、信長が最も恐れていた甲斐(かい、現在の山梨県)の武田信玄(たけだしんげん)が将軍義昭の誘いに応じ、上洛を目指して動き始めました。
信玄は三方ヶ原(みかたがはら)の戦いで徳川家康と信長の連合軍を苦も無く蹴散(けち)らすと、不気味な足音とともに京を目指して進軍を続けました。信玄に京へ攻められては、信長とて勝ち目はありません。信長の運命はまさしく風前の灯(ともしび)となった―はずでした。
しかし、天は信長に味方しました。上洛の途中で信玄は病に倒れ、ついに帰らぬ人となってしまったのです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
風早 りら 上洛の途中で信玄は病に倒れついに帰らぬ人となってしまったのです
ここでもまた信長は 天を味方に
付けてしまいましたね
彼のファンとしては 嬉しい限りです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 上洛の途中で信玄は病に倒れついに帰らぬ人となってしまったのです
> ここでもまた信長は 天を味方に
> 付けてしまいましたね
> 彼のファンとしては 嬉しい限りです
人間の生死についてはあまり喜んではいけないのですが、この場合は信長はまさに「天が我に味方した」と思ったことでしょうね。
信玄はその死を隠していたとされていますが、信長はおそらく巧みな情報能力で知っていたと思われます。
ぴーち こんばんは!
女人禁制のはずなのに、何故か存在した女性・・の所で思わず苦笑してしまいました(不謹慎ですが^^;)
悪い事は出来ませんね(^^A
それにしても一番の宿敵だった信玄が
戦わずして病に倒れ、亡くなってしまったのは思わぬ「不戦勝」で、
この時までは信長にも分があったんですね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 女人禁制のはずなのに、何故か存在した女性・・の所で思わず苦笑してしまいました(不謹慎ですが^^;)
> 悪い事は出来ませんね(^^A
そうなんですよね。
この頃の比叡山は宗教団体としてはどうだったのでしょうか…。
> それにしても一番の宿敵だった信玄が
> 戦わずして病に倒れ、亡くなってしまったのは思わぬ「不戦勝」で、
> この時までは信長にも分があったんですね!
人間の生死はいろんなところに影響を及ぼしますよね。
この場合は信長にとっては幸運でした。そして、不運だったのは…。
紗那 天下人と呼ばれるような人は、自分の能力として、いわば「運力」とでも言うような力を持っていたのではないかと思うようなときがあります。
この信玄の上洛中の死もタイミングがよすぎると感じますし
紗那さんへ
黒田裕樹 > 天下人と呼ばれるような人は、自分の能力として、いわば「運力」とでも言うような力を持っていたのではないかと思うようなときがあります。
> この信玄の上洛中の死もタイミングがよすぎると感じますし
仰るような一面は、天下人には確かにありますね。
「運を味方につける」あるいは「運も実力のうち」といいますが、他人より秀でる人間は、幸運の星のもとに生まれてくることが多いようです。
もっとも、信長のように最後の最後で大きなツケを払わさせるパターンもあるようですが…。
ここでもまた信長は 天を味方に
付けてしまいましたね
彼のファンとしては 嬉しい限りです
> ここでもまた信長は 天を味方に
> 付けてしまいましたね
> 彼のファンとしては 嬉しい限りです
人間の生死についてはあまり喜んではいけないのですが、この場合は信長はまさに「天が我に味方した」と思ったことでしょうね。
信玄はその死を隠していたとされていますが、信長はおそらく巧みな情報能力で知っていたと思われます。
女人禁制のはずなのに、何故か存在した女性・・の所で思わず苦笑してしまいました(不謹慎ですが^^;)
悪い事は出来ませんね(^^A
それにしても一番の宿敵だった信玄が
戦わずして病に倒れ、亡くなってしまったのは思わぬ「不戦勝」で、
この時までは信長にも分があったんですね!
応援凸
> 悪い事は出来ませんね(^^A
そうなんですよね。
この頃の比叡山は宗教団体としてはどうだったのでしょうか…。
> それにしても一番の宿敵だった信玄が
> 戦わずして病に倒れ、亡くなってしまったのは思わぬ「不戦勝」で、
> この時までは信長にも分があったんですね!
人間の生死はいろんなところに影響を及ぼしますよね。
この場合は信長にとっては幸運でした。そして、不運だったのは…。
この信玄の上洛中の死もタイミングがよすぎると感じますし
> この信玄の上洛中の死もタイミングがよすぎると感じますし
仰るような一面は、天下人には確かにありますね。
「運を味方につける」あるいは「運も実力のうち」といいますが、他人より秀でる人間は、幸運の星のもとに生まれてくることが多いようです。
もっとも、信長のように最後の最後で大きなツケを払わさせるパターンもあるようですが…。