後の世に「金ヶ崎の戦い」と呼ばれた負け戦(いくさ)の屈辱(くつじょく)を味わった信長は、浅井・朝倉の両氏を深く恨むようになりました。やがて信長は同盟相手の徳川家康とともに、同年6月に姉川(あねがわ)の戦いで浅井・朝倉の連合軍を破りましたが、両氏に止(とど)めをさすことはできませんでした。
息を吹き返した浅井・朝倉の軍勢は京を目指しましたが、信長に阻(はば)まれると比叡山(ひえいざん)に立てこもって反撃の機会を待ちました。浅井・朝倉軍を匿(かくま)ったということは、比叡山の延暦寺(えんりゃくじ)が信長を敵とみなしたことを意味しており、信長はここでも衝撃を受けました。
さらに信長を悩ませたのが、いわゆる三好三人衆(みよしさんにんしゅう)といわれた三好氏の勢力が摂津(せっつ、ここでは現在の大阪市付近のこと)で挙兵すると、本願寺(ほんがんじ)が三人衆に味方したという事実でした。つまり、信長は戦国大名の他に延暦寺や本願寺といった強大な宗教勢力をも敵に回して戦わなければならなくなったのです。
それにしても、なぜ信長は宗教勢力から「仏敵(ぶってき)」とみなされたのでしょうか。実は、その理由には大きな「権益」がありました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
う~ん・・・権益の理由ですか・・・。
今、「挙手」の片手だけでは足りずに
「ホールドアップ」の両手上げ姿勢です(笑)
すみません(汗)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > う~ん・・・権益の理由ですか・・・。
> 今、「挙手」の片手だけでは足りずに
> 「ホールドアップ」の両手上げ姿勢です(笑)
> すみません(汗)
そうですか(^^ゞ
それでは、挙げた両手の手のひらを垂直にして「万歳!」の姿勢になれますよう、次回(23日)にはご理解いただけることを期待しております(^^♪
黒田先生
風早 りら 浅井家の信長への
裏切りは 私としては とても残念です
朝倉との兼ね合いもあったでしょうが
先生が 先日の講座で 仰っていたように
信長の心は相当傷つき
その後の彼の非業の死へと
繋がっていったと思います
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 浅井家の信長への
> 裏切りは 私としては とても残念です
> 朝倉との兼ね合いもあったでしょうが
> 先生が 先日の講座で 仰っていたように
> 信長の心は相当傷つき
> その後の彼の非業の死へと
> 繋がっていったと思います
そうなんですよね。
浅井家には浅井家の事情があったのでしょうが、この裏切りが世の中の流れを悪しき方へと導いた気がしてなりません。
人間の信頼を失うというのは本当に恐ろしいですね。
う~ん・・・権益の理由ですか・・・。
今、「挙手」の片手だけでは足りずに
「ホールドアップ」の両手上げ姿勢です(笑)
すみません(汗)
応援凸
> 今、「挙手」の片手だけでは足りずに
> 「ホールドアップ」の両手上げ姿勢です(笑)
> すみません(汗)
そうですか(^^ゞ
それでは、挙げた両手の手のひらを垂直にして「万歳!」の姿勢になれますよう、次回(23日)にはご理解いただけることを期待しております(^^♪
裏切りは 私としては とても残念です
朝倉との兼ね合いもあったでしょうが
先生が 先日の講座で 仰っていたように
信長の心は相当傷つき
その後の彼の非業の死へと
繋がっていったと思います
> 裏切りは 私としては とても残念です
> 朝倉との兼ね合いもあったでしょうが
> 先生が 先日の講座で 仰っていたように
> 信長の心は相当傷つき
> その後の彼の非業の死へと
> 繋がっていったと思います
そうなんですよね。
浅井家には浅井家の事情があったのでしょうが、この裏切りが世の中の流れを悪しき方へと導いた気がしてなりません。
人間の信頼を失うというのは本当に恐ろしいですね。