まさに絶体絶命の危機でしたが、信長は今川軍が狭くて身動きの取りにくい桶狭間(おけはざま)を行軍中であるという情報を入手すると、ほぼ全軍を桶狭間へと突入させました。折からの豪雨もあり、視界の悪かった今川軍は信長軍の奇襲に対して体勢を立て直す暇(ひま)もないうちに、大将の義元が首を落とされて無念の最期を遂げました。
世にいう桶狭間の戦いで奇跡的な勝利を挙げた信長の前に、義元が倒されたことで勢力が一気に衰えた今川家の領地が広がっていましたが、信長はこれらに目もくれず、1562年に三河(みかわ、現在の愛知県東部)の松平元康(まつだいらもとやす、後の徳川家康=とくがわいえやす)と同盟を結んで、今川家の領土獲得を家康に任せたうえで自身は斎藤氏(さいとうし)が領有する美濃(みの、現在の岐阜県南部)の攻略に専念しました。
通常の戦国大名であれば、まず間違いなく今川家の領地を狙ったでしょう。しかし、大きな目標があった信長には、今川家の領地を手に入れることで、例えば武田信玄(たけだしんげん)や北条氏康(ほうじょううじやす)のような強豪と接するというリスクを避けたいという思惑がありました。
では、信長の大きな目標とは何だったのでしょうか。信長は苦労の末、1567年に美濃を攻め落とすことに成功しましたが、その際に自分の目標を天下に宣言することになるのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
これはもしや、つい先日こちらで勉強させていただいたばかり・・・(冷や汗)
もとい、
「復習するは我にあり」です!!(苦笑)
すみませ~~ん!70%忘れていました!!(更に滝汗)
両隣に敵を作りたくないという妙な理由だけが
頭をかすめるだけでした(>0<)
それにしても、勝利に導かれている時というのは、ちゃんと自然も味方してくれるものなんですね。確か、元寇襲来の時も台風に助けられましたっけ・・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > これはもしや、つい先日こちらで勉強させていただいたばかり・・・(冷や汗)
>
> もとい、
> 「復習するは我にあり」です!!(苦笑)
> すみませ~~ん!70%忘れていました!!(更に滝汗)
> 両隣に敵を作りたくないという妙な理由だけが
> 頭をかすめるだけでした(>0<)
いえいえ、一度だけで覚えられなければ二度、それでもダメなら何度でも復習すればいいんですよ(^^♪
> それにしても、勝利に導かれている時というのは、ちゃんと自然も味方してくれるものなんですね。確か、元寇襲来の時も台風に助けられましたっけ・・
幸運は努力する者にやってくるという話もありますよね。
英雄として名を残す人物は、何がしかの幸運を持っているようです。
これはもしや、つい先日こちらで勉強させていただいたばかり・・・(冷や汗)
もとい、
「復習するは我にあり」です!!(苦笑)
すみませ~~ん!70%忘れていました!!(更に滝汗)
両隣に敵を作りたくないという妙な理由だけが
頭をかすめるだけでした(>0<)
それにしても、勝利に導かれている時というのは、ちゃんと自然も味方してくれるものなんですね。確か、元寇襲来の時も台風に助けられましたっけ・・
応援凸
>
> もとい、
> 「復習するは我にあり」です!!(苦笑)
> すみませ~~ん!70%忘れていました!!(更に滝汗)
> 両隣に敵を作りたくないという妙な理由だけが
> 頭をかすめるだけでした(>0<)
いえいえ、一度だけで覚えられなければ二度、それでもダメなら何度でも復習すればいいんですよ(^^♪
> それにしても、勝利に導かれている時というのは、ちゃんと自然も味方してくれるものなんですね。確か、元寇襲来の時も台風に助けられましたっけ・・
幸運は努力する者にやってくるという話もありますよね。
英雄として名を残す人物は、何がしかの幸運を持っているようです。