なぜなら、熊本県の江田船山古墳(えたふなやまこふん)や埼玉県の稲荷山古墳(いなりやまこふん)から出土(しゅつど)したそれぞれの鉄剣(てっけん)に、「獲加多支鹵大王」(わかたけるのおおきみ)と刻(きざ)まれていたからです。
雄略天皇の別名は大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)であり、「幼武」(わかたける)の部分が一致するので間違いないと考えられています。
ところで、倭の五王が中国の南朝に使者を送ったのは事実ですが、それはあくまでも当時は大王(おおきみ)と呼ばれた我が国の天皇が、中国皇帝の権威に屈してその臣下(しんか)となるという、いわゆる朝貢関係(ちょうこうかんけい)が前提でした。
この屈辱(くつじょく)ともいえる関係を解消するには、さらなる時間の経過が必要だったのです。




いつも有難うございます。
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オバrev おぉ、いよいよ聖徳太子の出番ですね。
「日いずるところの天子、書を没するところの天子に致す。つつがなきや」
多分これじゃないですか?
ヒロキ 雄略天皇の別名って大泊瀬幼武尊なんですね!!
獲加多支鹵大王は知っていましたが・・・。
昔の人って様々な名前を持っていますよね!
ケンシロウ こんにちは。
講座まであと2週間ですね。
準備等大変でしょうが頑張って下さい。
オバrev様
黒田裕樹 聖徳太子の出番が近いのは間違いないのですが、残念ながら明日からはしばらく別の話になります…。
恐れ入りますが来月あたりまでご辛抱下さいm(_ _)m
ヒロキ様
黒田裕樹 「雄略天皇」という名前は、奈良時代に送られた「漢風諡号」(かんふうしごう)です。それまでは和名である「大泊瀬幼武尊」と呼ばれていました。古代の天皇にはこのように「和風」と「漢風」の呼び名がありますが、本講座では原則として「漢風」に統一しています。
ちなみに「獲加多支鹵大王」は、当時の天皇が大王(おおきみ)と呼ばれており、それと雄略天皇の和名の一部である「わかたける」とをあわせて「わかたけるのおおきみ」と呼んでいたのを、漢字の音に当てはめたものと考えられています。
この件については、後日もう一度講座の中で説明する予定です。
ケンシロウ様
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
講座の内容はもちろんですが、インフルエンザの影響で開催そのものが出来るかどうか微妙になってきたのが心配です。
あと2週間あるので大丈夫だとは思いますが…。
「日いずるところの天子、書を没するところの天子に致す。つつがなきや」
多分これじゃないですか?
獲加多支鹵大王は知っていましたが・・・。
昔の人って様々な名前を持っていますよね!
講座まであと2週間ですね。
準備等大変でしょうが頑張って下さい。
恐れ入りますが来月あたりまでご辛抱下さいm(_ _)m
ちなみに「獲加多支鹵大王」は、当時の天皇が大王(おおきみ)と呼ばれており、それと雄略天皇の和名の一部である「わかたける」とをあわせて「わかたけるのおおきみ」と呼んでいたのを、漢字の音に当てはめたものと考えられています。
この件については、後日もう一度講座の中で説明する予定です。
講座の内容はもちろんですが、インフルエンザの影響で開催そのものが出来るかどうか微妙になってきたのが心配です。
あと2週間あるので大丈夫だとは思いますが…。