後の世で「桶狭間の戦い」と呼ばれたこの戦(いくさ)は、信長による大逆転の勝利だったわけですが、戦後の論功行賞(ろんこうこうしょう、功績を論じ程度によって賞を与えること)では、それまでの慣例とは異なる現象が起きました。
義元の首を実際に打ち取った家臣よりも、義元が桶狭間を行軍中であるという情報を知らせた家臣の方が一番手柄(いちばんてがら)であるとして、より多くの褒美(ほうび)を与えられているのです。その背景には、刀や槍(やり)による手柄よりも情報戦を制することが戦勝につながるという信長の考えがありました。
さて、義元の死によって今川家は急速に勢力が弱まっていったのですが、ここで信長は通常の戦国大名とは全く異なる路線を歩むことになります。なぜ信長がそんな行動をとったのかを理解することによって、彼の生涯をかけた「大きな目標」を私たちは目(ま)の当たりにすることができるのです。




いつも有難うございます。
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Kei なるほど。。。
情報を持ってきた家臣のほうが、褒美が上。。
信長すごいですね。
それが、桶狭間で勝利に導いたんですね。
今日もいいところで終わってしまいました。。
また、明日来ます。
毎日、分かりやすくお勉強させていただきありがとうございます。Kei
mochimochi 本当に自分も信長と一緒に桶狭間に行くような臨場感のある講座でとてもおもしろかったです。
ぴーち こんばんは!
今でこそ情報化社会と言われていますが(或いはそれ以上に
「情報過多」時代でもあるかな?(笑))
信長の時代は、情報の伝達速度も、量も少なかったのではないのかと推測いたします。
それ故、少ないだけにとても貴重なもので、ましてや、それが確実なる情報だったとしたら、仰るとおり、刀や槍の手柄よりも、価値は高かったのでしょうね。
関係ない話ですが、刑事事件なども、やはり情報ありきですものね。
応援凸
紗那 なるほど、信長は情報戦のうまい武将でもあったわけですね。
確かに考えてみると、奇襲というのは一般に弱い立場の者が強い立場の者に仕掛けるわけで、それを成功させるためには情報が絶対必要ですよね。完全に盲点でした。
此処から先の信長の行動も当時では考えられないような行動ですよね^^;
Keiさんへ
黒田裕樹 > なるほど。。。
> 情報を持ってきた家臣のほうが、褒美が上。。
> 信長すごいですね。
> それが、桶狭間で勝利に導いたんですね。
単なる力関係だけではなく、情報戦で相手を制する。
圧倒的な兵力差を打開するにはこれしかないですよね。
> 今日もいいところで終わってしまいました。。
> また、明日来ます。
> 毎日、分かりやすくお勉強させていただきありがとうございます。Kei
有難うございます。
明日(30日)もぜひお越し下さい。
mochimochiさんへ
黒田裕樹 > 本当に自分も信長と一緒に桶狭間に行くような臨場感のある講座でとてもおもしろかったです。
講師冥利に尽きるお言葉、有難うございます。
今後もぜひお越し下さい。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今でこそ情報化社会と言われていますが(或いはそれ以上に
> 「情報過多」時代でもあるかな?(笑))
> 信長の時代は、情報の伝達速度も、量も少なかったのではないのかと推測いたします。
> それ故、少ないだけにとても貴重なもので、ましてや、それが確実なる情報だったとしたら、仰るとおり、刀や槍の手柄よりも、価値は高かったのでしょうね。
> 関係ない話ですが、刑事事件なども、やはり情報ありきですものね。
現代のようにかえって情報過多の時代になりますと、その有難みも薄れてしまっているようですが、当時の確かな情報は何物にも勝る宝だったと思います。
だからこそ信長は一番手柄を認めたのでしょう。
仰るとおり、現代の刑事事件においても「確かな情報」をもとに慎重に捜査を進めてほしいものです。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、信長は情報戦のうまい武将でもあったわけですね。
> 確かに考えてみると、奇襲というのは一般に弱い立場の者が強い立場の者に仕掛けるわけで、それを成功させるためには情報が絶対必要ですよね。完全に盲点でした。
そうなんですよね。
情報戦を勝ち抜くことが数万の兵を動かすことよりも重要なことを信長は見抜いていたのですから、やはり彼は天才ですね。
> 此処から先の信長の行動も当時では考えられないような行動ですよね^^;
仰るとおりですね。
次回(30日)から詳しく紹介しましょう(^^♪
黒田裕樹さん
風早 りら 「情報戦を制することが戦勝につながるという」
この考え だから 信長は好きですね
一番手柄が 誰か よく 理解しています
やはり 信長は 頭 相当良いです
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 「情報戦を制することが戦勝につながるという」
> この考え だから 信長は好きですね
> 一番手柄が 誰か よく 理解しています
> やはり 信長は 頭 相当良いです
私もそう思います。
信長の配下からしてみれば、この上なく心強い存在ですよね。
オバrev さすが天才信長ですね。目の付け所が違う。
でも、いくら天賦の才能があったとはいえ、それだけではなかなかここまではできないでしょう。
個人の才能もですが、何かそれをさらに開花させることがあったか、優れたブレーンがいたとかいうことは無いんでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > さすが天才信長ですね。目の付け所が違う。
> でも、いくら天賦の才能があったとはいえ、それだけではなかなかここまではできないでしょう。
> 個人の才能もですが、何かそれをさらに開花させることがあったか、優れたブレーンがいたとかいうことは無いんでしょうか?
仰るとおりでして、信長には沢彦(たくげん)と呼ばれる禅宗の僧がいました。後に登場する「ある地名の改名」も彼が信長に勧めたという説がありますね。
情報を持ってきた家臣のほうが、褒美が上。。
信長すごいですね。
それが、桶狭間で勝利に導いたんですね。
今日もいいところで終わってしまいました。。
また、明日来ます。
毎日、分かりやすくお勉強させていただきありがとうございます。Kei
今でこそ情報化社会と言われていますが(或いはそれ以上に
「情報過多」時代でもあるかな?(笑))
信長の時代は、情報の伝達速度も、量も少なかったのではないのかと推測いたします。
それ故、少ないだけにとても貴重なもので、ましてや、それが確実なる情報だったとしたら、仰るとおり、刀や槍の手柄よりも、価値は高かったのでしょうね。
関係ない話ですが、刑事事件なども、やはり情報ありきですものね。
応援凸
確かに考えてみると、奇襲というのは一般に弱い立場の者が強い立場の者に仕掛けるわけで、それを成功させるためには情報が絶対必要ですよね。完全に盲点でした。
此処から先の信長の行動も当時では考えられないような行動ですよね^^;
> 情報を持ってきた家臣のほうが、褒美が上。。
> 信長すごいですね。
> それが、桶狭間で勝利に導いたんですね。
単なる力関係だけではなく、情報戦で相手を制する。
圧倒的な兵力差を打開するにはこれしかないですよね。
> 今日もいいところで終わってしまいました。。
> また、明日来ます。
> 毎日、分かりやすくお勉強させていただきありがとうございます。Kei
有難うございます。
明日(30日)もぜひお越し下さい。
講師冥利に尽きるお言葉、有難うございます。
今後もぜひお越し下さい。
> 「情報過多」時代でもあるかな?(笑))
> 信長の時代は、情報の伝達速度も、量も少なかったのではないのかと推測いたします。
> それ故、少ないだけにとても貴重なもので、ましてや、それが確実なる情報だったとしたら、仰るとおり、刀や槍の手柄よりも、価値は高かったのでしょうね。
> 関係ない話ですが、刑事事件なども、やはり情報ありきですものね。
現代のようにかえって情報過多の時代になりますと、その有難みも薄れてしまっているようですが、当時の確かな情報は何物にも勝る宝だったと思います。
だからこそ信長は一番手柄を認めたのでしょう。
仰るとおり、現代の刑事事件においても「確かな情報」をもとに慎重に捜査を進めてほしいものです。
> 確かに考えてみると、奇襲というのは一般に弱い立場の者が強い立場の者に仕掛けるわけで、それを成功させるためには情報が絶対必要ですよね。完全に盲点でした。
そうなんですよね。
情報戦を勝ち抜くことが数万の兵を動かすことよりも重要なことを信長は見抜いていたのですから、やはり彼は天才ですね。
> 此処から先の信長の行動も当時では考えられないような行動ですよね^^;
仰るとおりですね。
次回(30日)から詳しく紹介しましょう(^^♪
この考え だから 信長は好きですね
一番手柄が 誰か よく 理解しています
やはり 信長は 頭 相当良いです
> この考え だから 信長は好きですね
> 一番手柄が 誰か よく 理解しています
> やはり 信長は 頭 相当良いです
私もそう思います。
信長の配下からしてみれば、この上なく心強い存在ですよね。
でも、いくら天賦の才能があったとはいえ、それだけではなかなかここまではできないでしょう。
個人の才能もですが、何かそれをさらに開花させることがあったか、優れたブレーンがいたとかいうことは無いんでしょうか?
> でも、いくら天賦の才能があったとはいえ、それだけではなかなかここまではできないでしょう。
> 個人の才能もですが、何かそれをさらに開花させることがあったか、優れたブレーンがいたとかいうことは無いんでしょうか?
仰るとおりでして、信長には沢彦(たくげん)と呼ばれる禅宗の僧がいました。後に登場する「ある地名の改名」も彼が信長に勧めたという説がありますね。