『宋書』倭国伝(そうじょわこくでん)などによれば、倭王の讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)が相次いで南朝の宋や斉(せい)に使者を遣(つか)わし、朝鮮半島南部への軍事指揮権(ぐんじしきけん)を認めてもらおうとしています。
つまり、我が国には中国皇帝の権威によって、朝鮮半島における政治的立場を有利にしようという思惑(おもわく)があった、ということです。
ところで、倭の五王が我が国のどの天皇にあてはまるか、ということに関しては様々な説がありますが、少なくとも済は第19代の允恭天皇(いんぎょうてんのう)、興は第20代の安康天皇(あんこうてんのう)、武は第21代の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)だと考えられています。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
さすらい こんにちは。
なるほど、利用できるものは
何でも使いたいものですよね。
深い話です。
応援♪
宋
オバrev このころの南朝は主に宋が支配していたということでしょうか。
広島には平清盛ゆかりの厳島神社がありますが、清盛が日宋貿易をしたときの宋とは無関係なんですかね?
さすらい様
黒田裕樹 我が国は自国の立場を有利にするために南朝に接近しましたが、南朝もまた、対立する北朝へのアピールとして我が国との外交を利用したとも考えられます。
まさに「利用できるものは何でも利用する」ですね。
オバrev様
黒田裕樹 南北朝時代の「宋」は、実は10世紀に成立した「宋」とは全く系統が異なります。
中国ではしばしばこのような状態が起きています(例えば、南北朝時代の北朝は「魏」ですが、これも三国時代の「魏」とは別系統です)。ややこしいですね。
ケンシロウ こんにちは。
恥ずかしいですが今日の内容は
知らないことばかりです。
ただ思ったのは中国の力を借りず
朝鮮を支配しとけよってこと。
質問です!!
ヒロキ 倭国が、
「中国皇帝に力を借りて朝鮮における政治的立場を有利にしようとした」っていうのは、前の話で出てきた倭国が高麗句に敗北した事が背景にあるのでしょうか?
ケンシロウ様
黒田裕樹 そうですね。仰ることはごもっともですが、いくら当時が南北朝時代で、中国が朝鮮半島に積極的にかかわれない時代といえども、陸続きである半島にはいつ攻め寄せてくるか分かりません。
それだけに「我が国の朝鮮半島へのかかわりを認めて下さい」と下手(したて)に出ることによって中国のご機嫌をとって(?)、後顧の憂いを断つということも意識した外交ではないかとも思えるのです。
いつもコメントを有難うございます!
ヒロキ様
黒田裕樹 高句麗を倒せなかったことで、朝鮮半島内では高句麗・百済・新羅の三国と我が国とかかわりが深い任那地方に分かれることになりましたから、任那を守るためにもあらゆる外交努力を惜しまなかったという側面も、背景としては十分考えられると思います。
ぴーち おはようございます!
何時の時代も、国同士の政治的駆け引きは
盛んに行われていたんですね!
先日、プーチンさんの訪日がありましたが、
北海道知事が、北方四島返還についての
意見を求めた際に、プーチンさんは無表情で
その質問に対する言及を一切しなかった事が
印象的で、ふと今、頭を過りました。
まだまだ、解決の糸口は見えないなと感じました。
と、後半、記事とは関係ないコメントで
失礼いたしましたm(__)m
それでは、応援させてくださいね!
ぴーち様
黒田裕樹 国同士の外交問題は、サジ加減ひとつで国家の命運が決まってしまいますから、まさに命がけです。
この当時は国同士で激しく勢力争いをしていましたから、現代とは比べものにならないくらい厳しい駆け引きがあっただろうと推測されますね。
プーチン氏の対応は我が国の立場からみれば噴飯ものですが、ロシアの立場からすれば「余計なことを言わない」原則を守っただけでしょう。領土関係はそれだけ深刻かつ重要な問題なんですね。
なるほど、利用できるものは
何でも使いたいものですよね。
深い話です。
応援♪
広島には平清盛ゆかりの厳島神社がありますが、清盛が日宋貿易をしたときの宋とは無関係なんですかね?
まさに「利用できるものは何でも利用する」ですね。
中国ではしばしばこのような状態が起きています(例えば、南北朝時代の北朝は「魏」ですが、これも三国時代の「魏」とは別系統です)。ややこしいですね。
恥ずかしいですが今日の内容は
知らないことばかりです。
ただ思ったのは中国の力を借りず
朝鮮を支配しとけよってこと。
「中国皇帝に力を借りて朝鮮における政治的立場を有利にしようとした」っていうのは、前の話で出てきた倭国が高麗句に敗北した事が背景にあるのでしょうか?
それだけに「我が国の朝鮮半島へのかかわりを認めて下さい」と下手(したて)に出ることによって中国のご機嫌をとって(?)、後顧の憂いを断つということも意識した外交ではないかとも思えるのです。
いつもコメントを有難うございます!
何時の時代も、国同士の政治的駆け引きは
盛んに行われていたんですね!
先日、プーチンさんの訪日がありましたが、
北海道知事が、北方四島返還についての
意見を求めた際に、プーチンさんは無表情で
その質問に対する言及を一切しなかった事が
印象的で、ふと今、頭を過りました。
まだまだ、解決の糸口は見えないなと感じました。
と、後半、記事とは関係ないコメントで
失礼いたしましたm(__)m
それでは、応援させてくださいね!
この当時は国同士で激しく勢力争いをしていましたから、現代とは比べものにならないくらい厳しい駆け引きがあっただろうと推測されますね。
プーチン氏の対応は我が国の立場からみれば噴飯ものですが、ロシアの立場からすれば「余計なことを言わない」原則を守っただけでしょう。領土関係はそれだけ深刻かつ重要な問題なんですね。