皆さんは、他人と争って負けたらどう思いますか?
悔しいですよね。負けた原因が、自分が持っていない道具や技術の差だと分かったらどうしますか?
自分も身に付けようとは思いませんか?
大和朝廷も当然騎馬技術を積極的に学ぼうとしました。実は、この当時から戦乱を逃れるために海外(主に朝鮮半島)から数多くの帰化人(きかじん)が海を渡って我が国にやって来ており、彼らから様々な技術や文化を学んだのです。
ところで、以前にこの講座で古墳時代の中期の副葬品には武具や馬具が多くなる、と書いているのを覚えていますか?
その理由として、当時の被葬者(ひそうしゃ)に政治的・軍事的支配者としての性格が強まったと考えられるのも事実ですが、もうひとつの原因として、「高句麗に勝てなかった悔しさからの出発」という側面もあるのです。
※教科書によっては、帰化人のことを渡来人(とらいじん)と書いているのもありますが、この講座では上記の呼称(こしょう)で統一します。




いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
なるほど、日本の騎馬軍団の始まりですか。
向こうは騎馬民族ですからその技術は凄いんでしょう。
内モンゴルに旅行した時、草原で乗馬しました。
ご存知かもしれませんが
2時間1500円くらいで広大な草原を好きに乗れ
日本とは全然違う容易さを堪能しました。
当たり前にある馬の生活を肌で感じましたよ。
歴史や文化の違いですね。
では応援♪
こんにちは
ことぶきのこめや なるほど~。
ここで古墳の副葬品につながるわけですね!
馬というのは、ある意味時代を動かす生き物ですね。
すっきりしました!
さすらい様
黒田裕樹 そうなんですよね。
時速数十?で走る騎馬軍団には、人海戦術もかないません。
でも、負けた悔しさもあって、歴史や文化の差を少しでも縮めようと乗馬技術を身につけようとした先人の努力も素晴らしいと思います。
ことぶきのこめや様
黒田裕樹 すっきりして下さって何よりです。
私の講座では口癖のようになってしまいましたが(笑)、「歴史はつながっている」からこその結論なんですよね。
騎馬技術が、文字どおり我が国の発展への大きな原動力になったんです。
ぴーち こんばんは!
なるほど、「騎馬軍団」の所有の有無だったのですね^^
確かに、古墳時代の埴輪の中には、馬の形のものが出土したということは、何となく学んだ記憶があります。
現在でも日本の馬に対する研究は、世界的にみて
遅れをとっているように思いますが・・どうでしょうね^^
それでは、応援させてくださいね^^
また、お邪魔します!
ヒロキ キャーーーーーーーーー\(^o^)/
やはり馬が勝敗を左右していたんですね(*^_^*)
なるほど、帰化人が騎馬技術を伝えていたんですね!
大和朝廷側が招いたいたのかと思ってました^^;
ぴーち様
黒田裕樹 そうなんです。古墳時代中期には馬の形をした埴輪が多く出土していますが、今回の件がからんでいるのは間違いありません。
我が国の場合、急激な近代化もあって、古来からの「とねっこ」よりも、早く走ることができるサラブレッドをどんどん進化させましたから、何らかの影響が出ているかもしれませんね。
また是非お越し下さいね(^^♪
ヒロキ様
黒田裕樹 はい、正解です!\(^o^)/
馬が我が国に大きな試練を与えたんですね。そんな我が国の凄いところは、海外からの帰化人を大切に保護して「敵から学ぶ」姿勢を持っていたことでしょうね。
bunyan こんばんは~
馬といえば日本の古来からの馬は小型ですよね。
高句麗には大型の馬が生息していたんでしょうか?
もし大型だったら、たとえ日本が騎馬軍団を持っていたとしても太刀打ちできなかったかも。
最近、戦国時代に武田騎馬軍団はなかったという研究結果もあるそうなんだけど、日本の馬が大型化したのは江戸後期だという話もありますが、本当のところはどうなんでしょう。
bunyan様
黒田裕樹 我が国の馬に関する文化が広がったと考えられるのがちょうどこの時期なんですよ。馬もそれまではいなかったか、非常に数が少なかったと考えられています。
武田氏の騎馬軍団に関しては、全員が騎馬状態ではなかったのと、当時は馬が小さかった(大型化は明治以降に西洋馬と交配されるようになってからと考えられます)ので存在が疑問視されていますが、長篠の戦いでの馬防柵の存在により、警戒の対象にはなっていたと思います。
はじめまして
mee; 古墳の副葬品に馬具や武具が多くなるのは
「高句麗に負けて悔しかったから」
この側面とても人間くさくておもしろいです。
興味深いお話をありがとうございます。
mee;様
黒田裕樹 はじめまして。当ブログへようこそ!
ある意味、歴史は人間がつくるものですからね。人間くささの側面があって然るべきかと思います。
また是非お越し下さい!\(^o^)/
なるほど、日本の騎馬軍団の始まりですか。
向こうは騎馬民族ですからその技術は凄いんでしょう。
内モンゴルに旅行した時、草原で乗馬しました。
ご存知かもしれませんが
2時間1500円くらいで広大な草原を好きに乗れ
日本とは全然違う容易さを堪能しました。
当たり前にある馬の生活を肌で感じましたよ。
歴史や文化の違いですね。
では応援♪
ここで古墳の副葬品につながるわけですね!
馬というのは、ある意味時代を動かす生き物ですね。
すっきりしました!
時速数十?で走る騎馬軍団には、人海戦術もかないません。
でも、負けた悔しさもあって、歴史や文化の差を少しでも縮めようと乗馬技術を身につけようとした先人の努力も素晴らしいと思います。
私の講座では口癖のようになってしまいましたが(笑)、「歴史はつながっている」からこその結論なんですよね。
騎馬技術が、文字どおり我が国の発展への大きな原動力になったんです。
なるほど、「騎馬軍団」の所有の有無だったのですね^^
確かに、古墳時代の埴輪の中には、馬の形のものが出土したということは、何となく学んだ記憶があります。
現在でも日本の馬に対する研究は、世界的にみて
遅れをとっているように思いますが・・どうでしょうね^^
それでは、応援させてくださいね^^
また、お邪魔します!
やはり馬が勝敗を左右していたんですね(*^_^*)
なるほど、帰化人が騎馬技術を伝えていたんですね!
大和朝廷側が招いたいたのかと思ってました^^;
我が国の場合、急激な近代化もあって、古来からの「とねっこ」よりも、早く走ることができるサラブレッドをどんどん進化させましたから、何らかの影響が出ているかもしれませんね。
また是非お越し下さいね(^^♪
馬が我が国に大きな試練を与えたんですね。そんな我が国の凄いところは、海外からの帰化人を大切に保護して「敵から学ぶ」姿勢を持っていたことでしょうね。
馬といえば日本の古来からの馬は小型ですよね。
高句麗には大型の馬が生息していたんでしょうか?
もし大型だったら、たとえ日本が騎馬軍団を持っていたとしても太刀打ちできなかったかも。
最近、戦国時代に武田騎馬軍団はなかったという研究結果もあるそうなんだけど、日本の馬が大型化したのは江戸後期だという話もありますが、本当のところはどうなんでしょう。
武田氏の騎馬軍団に関しては、全員が騎馬状態ではなかったのと、当時は馬が小さかった(大型化は明治以降に西洋馬と交配されるようになってからと考えられます)ので存在が疑問視されていますが、長篠の戦いでの馬防柵の存在により、警戒の対象にはなっていたと思います。
「高句麗に負けて悔しかったから」
この側面とても人間くさくておもしろいです。
興味深いお話をありがとうございます。
ある意味、歴史は人間がつくるものですからね。人間くささの側面があって然るべきかと思います。
また是非お越し下さい!\(^o^)/