平和主義の理念は素晴らしいものであり、それ自体に対して反論するつもりは全くありません。しかし、一方的に平和を念じるだけで、本当に世の中の平和が実現するのでしょうか。もし家康が生きていれば、彼はこう言うことでしょう。
「冗談(じょうだん)じゃない。松平家が滅亡を避(さ)けて今川家に従った際に、俺たちがどんな目にあったのか忘れたのか」。
先述のとおり、今川家の圧力に屈して松平家が全面降伏し、幼い頃の竹千代が人質になった際、松平家の家臣は食うや食わずの生活を強(し)いられたうえに、戦の際には常に最前線に立たされて死と隣(とな)り合わせを余儀(よぎ)なくされるなど、およそ同じ人間とは思えない奴隷のような扱(あつか)いを受けました。
そんな苦労を経験したからこそ、家康は二度と同じ目に合わないために、非情な手段を用いてまでして徳川家の平和のために尽力(じんりょく)しました。平和というものは、汚いと思える手段であろうが何であろうが、あらゆる手練手管(てれんてくだ、人をだましてあやつる方法のこと)を用いることで初めて可能になる。これこそが平和の実現に隠された真実であり、家康の姿勢がそれを如実(にょじつ)に示しています。要するに「平和は綺麗事(きれいごと)だけでは達成できない」のです。
それなのに、私たちは家康のやり方を「汚い」として認めようとしません。なぜなら、平和への誤解の他に、家康に対する偏見に満ちた歪(ゆが)んだ先入観(せんにゅうかん)が私たちの目を曇(くも)らせているからです。




いつも有難うございます。
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風早 りら 憲法第9条における平和主義
戦争放棄
平和主義
でも 今 北朝鮮にミサイルを
国内に打ち込まれたら
どうするのでしょう
みくびられている気がします
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 憲法第9条における平和主義
> 戦争放棄
> 平和主義
> でも 今 北朝鮮にミサイルを
> 国内に打ち込まれたら
> どうするのでしょう
> みくびられている気がします
平和主義の理念や理想は素晴らしいと思います。
でも、現実には北朝鮮のように、我が国に対して決して良い感情を持っていない国家が存在することも事実です。
友情だけでなく、ファイティングポーズも必要でしょう。
.
ぴーち こんばんは!
「平和」とは尊いものである。と言う事は、誰しもが心に思う事であります。その尊さを感じる為には、やはり手練手管を尽くして得られた喜びの方が、よりその思いは強くなると思われますし、平和が簡単に得られるものであったら、誰も大切には思わないものでしょう。家康の場合は、自己犠牲であり、平和を得る為に已む無く葬ってしまった命の上に成り立った「尊い」ものと言う思いが人一倍あったのかもしれません。
憲法9条についてですが、
これまで何度かこの9条改正の動きはありましたが、未だに9条は原文のまま、守られています。
独裁政治がいけないとは言うものの、いざ、その独裁者が居なくなった世の中は散々たるもので経済状況も一気に悪化し、仕事は失業し・・と国民の生活は一変し、混乱を招いている例がありますが、独裁と言いながら、実の所、国民は独裁政治を心の拠り所にして生活している部分があります。
わが国の9条も、これまで日本国民の心の拠り所として存在するもので、この法案をもしも、取り去ってしまったら、軍備体勢にまっしぐら
となって刃をむき出しにした日本は一体・・・。
そう考えると、やはり9条の存在とは今の日本にはまだまだ必要なものである大切な法案だと思います。。
たとえそれが、「絵に描いた餅」的な存在でも。
それでは、今日は長々とコメントしてしまい、申し訳ありません^^;
ミルミルが好調なもので、調子付いてますw
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、多くの犠牲を出したうえにつかみ取った平和だからこそ、存在価値が高くなるというのも一つの堂々たる考え方だと思います。
憲法9条につきましては、本文中にも書かせていただきましたように私自身は平和主義を決して否定するものではありません。ただ、自国民が肝に銘じて相手方への一方的な武力行使への歯止めとしての役割と同時に、万が一攻めて来られた場合に、国民の命を守るために戦う際の法整備がしっかりしていればと個人的には考えております。
平和とは
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
この『平和』というテーマは、重いですね。
私も、『優しさ』と『誠意』があれば、相手に通じるという考えを持っていました。
でも、冷静に考えて、世の中には、いろんな人間がいます。
もし、『優しさ』と『誠意』だけで、世の中が平和になるなら、犯罪は、ゼロになりますよね。
警察が存在するから、犯罪の抑止力になっています。
これは、国レベルでも同じですよね。
その証拠に、永世中立国のスイスも軍隊を持っています。
おそらく、ヨーロッパや中国のほうが日本よりも
恐怖政治の歴史があるからかもしれませんね。
なぜか、徳川家康と毛利元就が、似ている気がします。この二人は、きれいごとだけで、世の中を生きれないことを幼い時の苦労から、知ったのかもしれませんね。
青田さんへ
黒田裕樹 全く仰るとおりです。
理想とは裏腹に、徹頭徹尾リアリストでなければ平和は達成できません。
本当の恐怖政治の悲惨さを我が国は知りません。
治安維持法にしても、死刑になった人間は一人もいないのですから可愛いものです。
平和について
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
本当にそうですね。
ヨーロッパの歴史は、常に侵略の歴史です。
だから、ヨーロッパの王族は親戚同士になるようにして、何とか、平和を保とうしてきました。
中国の歴史は、史記を読むと
自分の欲望のために、徹底的に汚い手段で、大量虐殺をいとも簡単にしています。
中国の史記の登場人物からすると、
徳川家康のしたことは、可愛いものに思えます。
これは、他国から、侵略される心配がない島国(天然の要塞)の歴史が長かったことから、生まれた風土かもしれませんね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおり、我が国が島国であったことが運命を変えたといえるでしょう。
記念すべき第一回の歴史講座に詳しく紹介しています。
今そこにある危機
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
徳川vs豊臣が今の
日本の周辺諸国vs 日本の構図に似ている気がします。
徳川家康= 周辺の大きな国
日本=豊臣家とすると
◆ 豊臣方は、徳川家康の言葉を信じて、どんどん、追いつめられる。
(微笑み外交の徳川家康の言うことを聞いて、安心していて、気がついたら、豊臣家の領土が削られている。
→(今)(竹島問題、北方領土)
◆ 豊臣秀頼、淀殿の豊臣方は、徳川家康の言うようにお金をどんどん使う。
でも、軍事力はない。(最後は、浪人頼み)
しかも、 いざとなれば、豊臣恩顧の大名が馳せ参じてくれると勝手に思い込んでいる。
(今) → 日本も経済力はあるが、正式な軍隊は、ない。
最後は、アメリカ頼み
いざとなれば、アメリカが、馳せ参じてくれると思っている。
◆ 豊臣方は、最後は、外堀、内堀を埋められて、終わる。
(今) → 平和主義、憲法18条で、外国から、攻められやすい。
◆ 徳川家康は、勝つためには、脅し、騙し、何でもする。
のに、豊臣方は、それを汚いと考える。
(今) → 徳川家康が、世界の常識。
こう考えると
徳川家康が汚いというよりも、大阪方が、世の中を知らなさすぎたとも言えますね。
日本が、そうならないことを祈ります。
青田さんへ その3
黒田裕樹 鋭いご洞察ですね。仰るとおりだと思います。
ネット社会を中心とする国民の覚醒が起きつつありますが、この風を味方に付けて、一日も早く全国民の目が覚めてほしいですね。手遅れになる前に。
優秀な官僚とは
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
最近、日本の官僚批判をテレビ番組でよく、していますが、
私は、本当に優秀な官僚として、
石田三成が今の日本に必要だと思います。
石田三成だけが、洞察力が鋭く、現実が見えていました。(しかも、自分自身は、非常に質素倹約です。)
『徳川家康の秀頼様に忠誠』は、仮面を被っているだけで、
今、徳川家康をいくら巨大でも倒しておかないと
必ず、豊臣家にとって、災いとなると考えて
関ヶ原の戦いで、挙兵しました。
彼の予言通り
豊臣家は滅ぼされ、加藤、福島などの大名も取り潰されました。
関ヶ原の時は、淀殿、加藤清正、福島正則も
『まさか徳川家康がそんなことをしない。』と思っていたでしょうね。
これは、私の勝手な妄想ですが、
徳川家康打倒は、豊臣秀吉が、自分の亡き後の
最も危険な人物として、石田三成に語っていたと
思います。
もちろん、世の中がきれい事だけでは、成り立っていないことも、豊臣秀吉の側近として、学んだ
ことも大きかったような気がします。
今の日本人も
『まさか、~は、そんなことをしない。』という楽観論があるので、
これからの日本は
優秀な政治家だけではなく、
本当に優秀な官僚(机上の理想論ではなく、現実的で、しかも、金にきれい。)も必要ですね。
青田さんへ その4
黒田裕樹 仰るとおりと思います。
ただし、そんな官僚が我が国に存在しているのか、また存在したとしても使いこなせるのか…。
難しい問題ですね。
「本当の恐怖政治の悲惨さを我が国は知りません。」
EgloffMeiko 「本当の恐怖政治の悲惨さを我が国は知りません。」
こんにちは。おっしゃる通りだと思います。
ここでスイスの安全保障について触れられているので、以下、もう少し詳しく述べさせ下さい。
スイスでは戦争が起こった場合、48時間以内に成人男性全員が指定された軍事施設に集合します。彼らは民兵としての兵役の義務を有し、それぞれの家庭に戦闘用の銃器を保管しています。
戦時の国民の軍事動員率は、イスラエルに次いで世界第2位であることは注目に値すべきことだと思います。
また、交通の要所には敵からの侵入を防ぐ為に爆弾が仕掛けられており、さらに核シェルターの完備率は120パーセントに及びます。
私はスイスという国に、「いざとなったら、外敵の侵入(侵略)に対して敢然と闘う」という国民の気概を感じます。これだけの気概と準備があれば、敵としては侵入(侵略)する気も失せるというものです。
戦争をしないですませるためには、いつでも戦争ができる準備をしておかなくてはならない。このようなことが言えるかと思います。これらは矛盾するようですが、全然矛盾しません。
「敵の視点」で物事を考えると、このようになります。泥棒はどのような家を狙うでしょうか。金持ちでかつ番犬がいなくて、家の中に金庫がなくて、セコムをつけていない家があれば、当然入りたくなるというのが「泥棒の人情」というものです。
私はスイスという国の「徹底した現実主義的国防体制」が明確な「敵の視点」から成り立っているのを感じます。一方、我が国はどうでしょうか。日本の国防体制はこの「敵の視点」がみごとに欠落しています。
日本が「戦争は放棄します!」と宣言すれば、敵は「そうか、じゃあ、日本を侵略しようと思っていたけれどやめておこうか!他を狙おう!」となるでしょうか?いいえ、そんな「人のいい敵国」はこの世にはありません。「戦争放棄を宣言すれば戦争は起きない」という日本人の思考は、大変「独りよがりな思い込み」にしか過ぎないと思います。
追記
「平和主義」という言葉に私は違和感を感じます。「平和主義」に対する「非平和主義」はどのようなものなのだろうかと、いつも考え込んでしまいます。
大きいテーマでしたので、ついつい長文になりました。お忙しいところすみません!
EgloffMeikoさんへ
黒田裕樹 スイスに対する詳細なご考察、有難うございます。
私も全く同意見です。
日本人には一時を除いて「軍事アレルギー」の様なものがあるのかもしれませんね。
「平和主義」という言葉は、当然のように教科書にも記載されています。
学習指導要領に従って私も授業を行いますが、教師のさらなる授業研究が求められそうですね。
「平和主義」という言葉
EgloffMeiko こんにちは。ご返信、誠にありがとうございます。ここで少し追記させて下さい。
日本人の言う「平和主義」という言葉に違和感を感じる理由ですが、以前、黒田先生に「日本人は『平和』の質を問わない」と申し上げたことがありました。『平和』の質を問わないで、「平和主義」はないだろうと思うわけです。
この言葉の中身は「仲良くする、相手を思いやる、我慢する、波風たてない、争いを避ける、穏便に済ませる、妥協する、譲る、、、」と、このようなことではないかと思うわけです。このようなことは、例えば「夫婦間」では大切なことでありましょう。しかし、これを国家間に持ち出してはいけないと思うわけです。
このような姿勢で臨めば、日本は「国家」として成立しません。
EgloffMeikoさんへ その2
黒田裕樹 重ねてのお言葉有難うございました。
国内と国外では平和の概念は全く異質のものであるという、日本国民であれば当然知っておかねばならないことを、教育の段階においても強調する必要がありそうですね。
徳川による平和の非情さ
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
私は徳川家康が、豊臣家を『卑怯』な手段で
滅ぼしたというネガティブなイメージで、終わっていました。
しかし、徳川秀忠が二代将軍になってからも
徳川家の親藩・譜代大名にたいしての容赦ない
処断を知ると、平和のためには、断固とした決意を感じました。
関西人の私としては、潰されたのは、豊臣家だけではないという気持ちです。
◆(譜代大名の改易)
・大久保忠隣の改易。(秀忠の側近)
・本多正純の改易。(家康の側近)
◆(親藩大名の改易)
・徳川秀忠の実弟の松平忠輝の改易。
(家康の六男)
・徳川忠長の改易・切腹。
(秀忠の実子、家光の実弟)
・松平忠直の改易。
(徳川秀忠の実の兄の結城秀康の実子。)
こう考えると
この当時の幕府は、
少しでも危険分子と睨まれると、
兄弟でも、側近でも潰されるという
恐ろしいくらいの恐怖政治ですね。
青田さんへ その5
黒田裕樹 そのとおりです。
誤解されることが多いですが、初期の徳川幕府は身内であろうが誰であろうが容赦なく大名を取り潰してきました。
実力のないものが頼りがちな恐怖政治は崩壊への早道ですが、この頃の幕府のように強い実力を持つものが行う恐怖政治は、政権の引き締めに絶大な威力を発揮しますね。
まがりなりにも260年幕府がもったのも、初期の引き締めによる畏怖感が背景にあったとも言えるでしょう。
六中観
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
徳川家康は、まさに、中国の「六中観」に忠実
な人生だった気がします。
◆ 「苦中楽有り」
・・・
苦しい今川家の人質生活の中で、教養を身につけた。
◆ 「死中活有り。」
・・・今川家の捨石に使われたことで、三河武士を最強にした。
◆ 「壺中天有り。」
・・・関東に移封になったが地道に領国経営で
豊臣秀吉が亡くなっても、地方の大勢力になっていた。
◆ 「意中人有り。」
・・・憧れと尊敬する人物として、『源頼朝』「劉邦」「張良」「足利尊氏」を自分の中に持っていた。
◆ 「腹中書有り。」
・・・大変な読書家であり、
愛読書に『吾妻鏡』「論語」「史記」などを読んでいた。
最近、日本人の価値観が平和ボケ、豊かさボケで、この「六中観」を忘れてしまっている気がします。
青田さんへ その6
黒田裕樹 確かにそうですね。
家康の勉強家の精神は凄まじいものがありますが、それ以上に今に日本人はあまりにも平和ボケしています。
沖縄問題一つにしても、実は大きな危機にあるのですが…。
平和について
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
最近、『あずみ』という映画を観ました。
関ヶ原の戦いの後に、豊臣家に近い武将の
加藤清正、浅野幸長を、上戸彩が演じる『あずみ』が暗殺するというストーリーなのですが、
そこで、強調されていたのは、特定の人間を暗殺しないと平和が来ないというものでした。
よく、考えると室町幕府の混乱期も含めると戦国時代は、もの凄い長い、戦乱が続いていて、
日本全体に厭戦ムード(ええ加減、戦いは、イヤ)という雰囲気があったような気がします。
今の平和に慣れている私からすると、豊臣家をいじめて、騙して、潰しやがってと思いますが、
当時の庶民レベルでは、もう、とにかく、平和に暮らせるようにしてというのが切実な願いだったのでしょうね。
青田さんへ その7
黒田裕樹 仰るとおりと私も思います。
今求められる徳川家康
青田 黒田先生
青田です。
最近、徳川家康について、本を読んだのですが、
徳川家康のあの平和の秘訣は
『病的なくらいの臆病さとそれを上廻る慎重さ』からだと
思いました。
つまり、近未来を考えて、『そこまでするか』と思えるほどの施策を打っています。
逆に今の日本は、
病的なくらいの『平和ボケ』とそれを上廻る『怠惰』です。
近未来のために『そんなことはないだろう。』と思いながら、何の施策も打っていませんでした。
(現政権は、危機感を持って頑張っていますが)
私は、徳川家康は、大嫌いですが、
毒が毒を持って、制しないと平和を維持できないのを、最近、つくづく、実感しています。
(他国に少し妥協すると、どんどん追いつめられているのを考えると)
青田さんへ その8
黒田裕樹 仰るとおりですが、コメントの数を思うとどちらが講演者か分かりませんね(笑)。
R2 ただ弁護すると家康としては豊臣家の秀頼を
最初から滅ぼそうとしたか微妙なところでしょう。
そもそも最初の方広寺からの言いがかりは実は
あの文言も一概に難癖とも言えない内容だという説もあります。
最大の難点は幕藩体制において家康が豊臣に提示した選択は人質を出すか、大阪城を退去するか、です。本気で抹殺するならもっと早急に手を打つか、早い段階で何かしたはず。
武家を統括する地位に付き実力を得た徳川に背く法的根拠は豊臣にはありません。
そこを失業軍人の牢人を雇いだしたら、反乱を企てている、と幕府から見なされます。
豊臣が滅ぼされた原因は武家社会のルールに則り徳川に臣従しなかったことが大きいのではないでしょうか?
そして全国の大名もすでに争いのない新社会体制に順応し始めているし、豊臣に味方しようなんて考えはできません。
徳川が豊臣を滅ぼしたのは統治国家として至極当然のこと。秀頼と淀殿のやったことは武家社会の反逆者、ということになってしまうのです。
戦争放棄
平和主義
でも 今 北朝鮮にミサイルを
国内に打ち込まれたら
どうするのでしょう
みくびられている気がします
> 戦争放棄
> 平和主義
> でも 今 北朝鮮にミサイルを
> 国内に打ち込まれたら
> どうするのでしょう
> みくびられている気がします
平和主義の理念や理想は素晴らしいと思います。
でも、現実には北朝鮮のように、我が国に対して決して良い感情を持っていない国家が存在することも事実です。
友情だけでなく、ファイティングポーズも必要でしょう。
「平和」とは尊いものである。と言う事は、誰しもが心に思う事であります。その尊さを感じる為には、やはり手練手管を尽くして得られた喜びの方が、よりその思いは強くなると思われますし、平和が簡単に得られるものであったら、誰も大切には思わないものでしょう。家康の場合は、自己犠牲であり、平和を得る為に已む無く葬ってしまった命の上に成り立った「尊い」ものと言う思いが人一倍あったのかもしれません。
憲法9条についてですが、
これまで何度かこの9条改正の動きはありましたが、未だに9条は原文のまま、守られています。
独裁政治がいけないとは言うものの、いざ、その独裁者が居なくなった世の中は散々たるもので経済状況も一気に悪化し、仕事は失業し・・と国民の生活は一変し、混乱を招いている例がありますが、独裁と言いながら、実の所、国民は独裁政治を心の拠り所にして生活している部分があります。
わが国の9条も、これまで日本国民の心の拠り所として存在するもので、この法案をもしも、取り去ってしまったら、軍備体勢にまっしぐら
となって刃をむき出しにした日本は一体・・・。
そう考えると、やはり9条の存在とは今の日本にはまだまだ必要なものである大切な法案だと思います。。
たとえそれが、「絵に描いた餅」的な存在でも。
それでは、今日は長々とコメントしてしまい、申し訳ありません^^;
ミルミルが好調なもので、調子付いてますw
応援凸
憲法9条につきましては、本文中にも書かせていただきましたように私自身は平和主義を決して否定するものではありません。ただ、自国民が肝に銘じて相手方への一方的な武力行使への歯止めとしての役割と同時に、万が一攻めて来られた場合に、国民の命を守るために戦う際の法整備がしっかりしていればと個人的には考えております。
こんばんは
青田です。
この『平和』というテーマは、重いですね。
私も、『優しさ』と『誠意』があれば、相手に通じるという考えを持っていました。
でも、冷静に考えて、世の中には、いろんな人間がいます。
もし、『優しさ』と『誠意』だけで、世の中が平和になるなら、犯罪は、ゼロになりますよね。
警察が存在するから、犯罪の抑止力になっています。
これは、国レベルでも同じですよね。
その証拠に、永世中立国のスイスも軍隊を持っています。
おそらく、ヨーロッパや中国のほうが日本よりも
恐怖政治の歴史があるからかもしれませんね。
なぜか、徳川家康と毛利元就が、似ている気がします。この二人は、きれいごとだけで、世の中を生きれないことを幼い時の苦労から、知ったのかもしれませんね。
理想とは裏腹に、徹頭徹尾リアリストでなければ平和は達成できません。
本当の恐怖政治の悲惨さを我が国は知りません。
治安維持法にしても、死刑になった人間は一人もいないのですから可愛いものです。
おはようございます。
青田です。
本当にそうですね。
ヨーロッパの歴史は、常に侵略の歴史です。
だから、ヨーロッパの王族は親戚同士になるようにして、何とか、平和を保とうしてきました。
中国の歴史は、史記を読むと
自分の欲望のために、徹底的に汚い手段で、大量虐殺をいとも簡単にしています。
中国の史記の登場人物からすると、
徳川家康のしたことは、可愛いものに思えます。
これは、他国から、侵略される心配がない島国(天然の要塞)の歴史が長かったことから、生まれた風土かもしれませんね。
記念すべき第一回の歴史講座に詳しく紹介しています。
こんばんは
青田です。
徳川vs豊臣が今の
日本の周辺諸国vs 日本の構図に似ている気がします。
徳川家康= 周辺の大きな国
日本=豊臣家とすると
◆ 豊臣方は、徳川家康の言葉を信じて、どんどん、追いつめられる。
(微笑み外交の徳川家康の言うことを聞いて、安心していて、気がついたら、豊臣家の領土が削られている。
→(今)(竹島問題、北方領土)
◆ 豊臣秀頼、淀殿の豊臣方は、徳川家康の言うようにお金をどんどん使う。
でも、軍事力はない。(最後は、浪人頼み)
しかも、 いざとなれば、豊臣恩顧の大名が馳せ参じてくれると勝手に思い込んでいる。
(今) → 日本も経済力はあるが、正式な軍隊は、ない。
最後は、アメリカ頼み
いざとなれば、アメリカが、馳せ参じてくれると思っている。
◆ 豊臣方は、最後は、外堀、内堀を埋められて、終わる。
(今) → 平和主義、憲法18条で、外国から、攻められやすい。
◆ 徳川家康は、勝つためには、脅し、騙し、何でもする。
のに、豊臣方は、それを汚いと考える。
(今) → 徳川家康が、世界の常識。
こう考えると
徳川家康が汚いというよりも、大阪方が、世の中を知らなさすぎたとも言えますね。
日本が、そうならないことを祈ります。
ネット社会を中心とする国民の覚醒が起きつつありますが、この風を味方に付けて、一日も早く全国民の目が覚めてほしいですね。手遅れになる前に。
こんばんは
青田です。
最近、日本の官僚批判をテレビ番組でよく、していますが、
私は、本当に優秀な官僚として、
石田三成が今の日本に必要だと思います。
石田三成だけが、洞察力が鋭く、現実が見えていました。(しかも、自分自身は、非常に質素倹約です。)
『徳川家康の秀頼様に忠誠』は、仮面を被っているだけで、
今、徳川家康をいくら巨大でも倒しておかないと
必ず、豊臣家にとって、災いとなると考えて
関ヶ原の戦いで、挙兵しました。
彼の予言通り
豊臣家は滅ぼされ、加藤、福島などの大名も取り潰されました。
関ヶ原の時は、淀殿、加藤清正、福島正則も
『まさか徳川家康がそんなことをしない。』と思っていたでしょうね。
これは、私の勝手な妄想ですが、
徳川家康打倒は、豊臣秀吉が、自分の亡き後の
最も危険な人物として、石田三成に語っていたと
思います。
もちろん、世の中がきれい事だけでは、成り立っていないことも、豊臣秀吉の側近として、学んだ
ことも大きかったような気がします。
今の日本人も
『まさか、~は、そんなことをしない。』という楽観論があるので、
これからの日本は
優秀な政治家だけではなく、
本当に優秀な官僚(机上の理想論ではなく、現実的で、しかも、金にきれい。)も必要ですね。
ただし、そんな官僚が我が国に存在しているのか、また存在したとしても使いこなせるのか…。
難しい問題ですね。
こんにちは。おっしゃる通りだと思います。
ここでスイスの安全保障について触れられているので、以下、もう少し詳しく述べさせ下さい。
スイスでは戦争が起こった場合、48時間以内に成人男性全員が指定された軍事施設に集合します。彼らは民兵としての兵役の義務を有し、それぞれの家庭に戦闘用の銃器を保管しています。
戦時の国民の軍事動員率は、イスラエルに次いで世界第2位であることは注目に値すべきことだと思います。
また、交通の要所には敵からの侵入を防ぐ為に爆弾が仕掛けられており、さらに核シェルターの完備率は120パーセントに及びます。
私はスイスという国に、「いざとなったら、外敵の侵入(侵略)に対して敢然と闘う」という国民の気概を感じます。これだけの気概と準備があれば、敵としては侵入(侵略)する気も失せるというものです。
戦争をしないですませるためには、いつでも戦争ができる準備をしておかなくてはならない。このようなことが言えるかと思います。これらは矛盾するようですが、全然矛盾しません。
「敵の視点」で物事を考えると、このようになります。泥棒はどのような家を狙うでしょうか。金持ちでかつ番犬がいなくて、家の中に金庫がなくて、セコムをつけていない家があれば、当然入りたくなるというのが「泥棒の人情」というものです。
私はスイスという国の「徹底した現実主義的国防体制」が明確な「敵の視点」から成り立っているのを感じます。一方、我が国はどうでしょうか。日本の国防体制はこの「敵の視点」がみごとに欠落しています。
日本が「戦争は放棄します!」と宣言すれば、敵は「そうか、じゃあ、日本を侵略しようと思っていたけれどやめておこうか!他を狙おう!」となるでしょうか?いいえ、そんな「人のいい敵国」はこの世にはありません。「戦争放棄を宣言すれば戦争は起きない」という日本人の思考は、大変「独りよがりな思い込み」にしか過ぎないと思います。
追記
「平和主義」という言葉に私は違和感を感じます。「平和主義」に対する「非平和主義」はどのようなものなのだろうかと、いつも考え込んでしまいます。
大きいテーマでしたので、ついつい長文になりました。お忙しいところすみません!
私も全く同意見です。
日本人には一時を除いて「軍事アレルギー」の様なものがあるのかもしれませんね。
「平和主義」という言葉は、当然のように教科書にも記載されています。
学習指導要領に従って私も授業を行いますが、教師のさらなる授業研究が求められそうですね。
日本人の言う「平和主義」という言葉に違和感を感じる理由ですが、以前、黒田先生に「日本人は『平和』の質を問わない」と申し上げたことがありました。『平和』の質を問わないで、「平和主義」はないだろうと思うわけです。
この言葉の中身は「仲良くする、相手を思いやる、我慢する、波風たてない、争いを避ける、穏便に済ませる、妥協する、譲る、、、」と、このようなことではないかと思うわけです。このようなことは、例えば「夫婦間」では大切なことでありましょう。しかし、これを国家間に持ち出してはいけないと思うわけです。
このような姿勢で臨めば、日本は「国家」として成立しません。
国内と国外では平和の概念は全く異質のものであるという、日本国民であれば当然知っておかねばならないことを、教育の段階においても強調する必要がありそうですね。
こんばんは
青田です。
私は徳川家康が、豊臣家を『卑怯』な手段で
滅ぼしたというネガティブなイメージで、終わっていました。
しかし、徳川秀忠が二代将軍になってからも
徳川家の親藩・譜代大名にたいしての容赦ない
処断を知ると、平和のためには、断固とした決意を感じました。
関西人の私としては、潰されたのは、豊臣家だけではないという気持ちです。
◆(譜代大名の改易)
・大久保忠隣の改易。(秀忠の側近)
・本多正純の改易。(家康の側近)
◆(親藩大名の改易)
・徳川秀忠の実弟の松平忠輝の改易。
(家康の六男)
・徳川忠長の改易・切腹。
(秀忠の実子、家光の実弟)
・松平忠直の改易。
(徳川秀忠の実の兄の結城秀康の実子。)
こう考えると
この当時の幕府は、
少しでも危険分子と睨まれると、
兄弟でも、側近でも潰されるという
恐ろしいくらいの恐怖政治ですね。
誤解されることが多いですが、初期の徳川幕府は身内であろうが誰であろうが容赦なく大名を取り潰してきました。
実力のないものが頼りがちな恐怖政治は崩壊への早道ですが、この頃の幕府のように強い実力を持つものが行う恐怖政治は、政権の引き締めに絶大な威力を発揮しますね。
まがりなりにも260年幕府がもったのも、初期の引き締めによる畏怖感が背景にあったとも言えるでしょう。
こんばんは
青田です。
徳川家康は、まさに、中国の「六中観」に忠実
な人生だった気がします。
◆ 「苦中楽有り」
・・・
苦しい今川家の人質生活の中で、教養を身につけた。
◆ 「死中活有り。」
・・・今川家の捨石に使われたことで、三河武士を最強にした。
◆ 「壺中天有り。」
・・・関東に移封になったが地道に領国経営で
豊臣秀吉が亡くなっても、地方の大勢力になっていた。
◆ 「意中人有り。」
・・・憧れと尊敬する人物として、『源頼朝』「劉邦」「張良」「足利尊氏」を自分の中に持っていた。
◆ 「腹中書有り。」
・・・大変な読書家であり、
愛読書に『吾妻鏡』「論語」「史記」などを読んでいた。
最近、日本人の価値観が平和ボケ、豊かさボケで、この「六中観」を忘れてしまっている気がします。
家康の勉強家の精神は凄まじいものがありますが、それ以上に今に日本人はあまりにも平和ボケしています。
沖縄問題一つにしても、実は大きな危機にあるのですが…。
こんばんは
青田です。
最近、『あずみ』という映画を観ました。
関ヶ原の戦いの後に、豊臣家に近い武将の
加藤清正、浅野幸長を、上戸彩が演じる『あずみ』が暗殺するというストーリーなのですが、
そこで、強調されていたのは、特定の人間を暗殺しないと平和が来ないというものでした。
よく、考えると室町幕府の混乱期も含めると戦国時代は、もの凄い長い、戦乱が続いていて、
日本全体に厭戦ムード(ええ加減、戦いは、イヤ)という雰囲気があったような気がします。
今の平和に慣れている私からすると、豊臣家をいじめて、騙して、潰しやがってと思いますが、
当時の庶民レベルでは、もう、とにかく、平和に暮らせるようにしてというのが切実な願いだったのでしょうね。
青田です。
最近、徳川家康について、本を読んだのですが、
徳川家康のあの平和の秘訣は
『病的なくらいの臆病さとそれを上廻る慎重さ』からだと
思いました。
つまり、近未来を考えて、『そこまでするか』と思えるほどの施策を打っています。
逆に今の日本は、
病的なくらいの『平和ボケ』とそれを上廻る『怠惰』です。
近未来のために『そんなことはないだろう。』と思いながら、何の施策も打っていませんでした。
(現政権は、危機感を持って頑張っていますが)
私は、徳川家康は、大嫌いですが、
毒が毒を持って、制しないと平和を維持できないのを、最近、つくづく、実感しています。
(他国に少し妥協すると、どんどん追いつめられているのを考えると)
最初から滅ぼそうとしたか微妙なところでしょう。
そもそも最初の方広寺からの言いがかりは実は
あの文言も一概に難癖とも言えない内容だという説もあります。
最大の難点は幕藩体制において家康が豊臣に提示した選択は人質を出すか、大阪城を退去するか、です。本気で抹殺するならもっと早急に手を打つか、早い段階で何かしたはず。
武家を統括する地位に付き実力を得た徳川に背く法的根拠は豊臣にはありません。
そこを失業軍人の牢人を雇いだしたら、反乱を企てている、と幕府から見なされます。
豊臣が滅ぼされた原因は武家社会のルールに則り徳川に臣従しなかったことが大きいのではないでしょうか?
そして全国の大名もすでに争いのない新社会体制に順応し始めているし、豊臣に味方しようなんて考えはできません。
徳川が豊臣を滅ぼしたのは統治国家として至極当然のこと。秀頼と淀殿のやったことは武家社会の反逆者、ということになってしまうのです。