このシステムに着目した家康は、第2代将軍の徳川秀忠(とくがわひでただ)の血統とは別に、晩年になってつくった3人の男子をそれぞれ大名として、将軍本家にもしものことがあった場合の「血のセーフティネット」としました。これが後に尾張、紀州(きしゅう)、水戸(みと)の御三家(ごさんけ)となり、家康が死んでから約100年後に将軍本家の血が絶えた際に、紀州家から徳川吉宗(とくがわよしむね)が第8代将軍に迎えられています。
また家康は、戦国時代に散々苦しめられた一向一揆(いっこういっき)などの宗教勢力が江戸幕府に逆らわないように本願寺(ほんがんじ)を東西に分けて統治したり、家康の死後には檀家制度(だんかせいど)の導入によって宗教が政治にかかわる理由をなくしてしまったりするなど、政教分離(せいきょうぶんり)を目指した宗教への対策もしっかりと行っています。
家康が行った対策の中には、朱子学(しゅしがく)の導入のように長い目で見れば幕府にとって悪影響を及ぼしたものもありましたが、江戸幕府が約260年もの長い間存続したことで、我が国に平和がもたらされ、その結果人口や耕地面積が飛躍的に増加したことは疑いようのない事実です。
私たちは家康が行った様々な努力をどう評価すべきなのでしょうか?




いつも有難うございます。
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風早 りら 家康が檀家制度導入
政教分離の最初だとは
知りませんでした
「 私たちは家康が行った様々な努力をどう評価すべきなのでしょうか? 」
難しいですね
これからの講座を楽しみにしています
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 家康が檀家制度導入
> 政教分離の最初だとは
> 知りませんでした
檀家制度の導入によって、宗教勢力は「黙っていても収入を得る」システムになってしまいましたからね。
私の過去の講座(第12回)でも詳しく紹介しております。
> 「 私たちは家康が行った様々な努力をどう評価すべきなのでしょうか? 」
> 難しいですね
> これからの講座を楽しみにしています
明日(30日)からのまとめでいよいよ核心に触れていきますので、よろしくお願いします。
.
紗那 なるほど、御三家や御三卿という発想は、天皇家からとっているわけですか。
初めて知りました。
んー、一部は知ってても、思わぬ事実が分かったりして楽しい講座です、今回も♪
.
ぴーち こんばんは!
どんなに良い考えでも
一長一短がある様に、
ある面では、家康のとった政策は
平和を齎し、国を安定させる効果は
あったものの、やはり先日の記事にもありました様に、平和を勝ち得る為には、その犠牲も伴わなければならない点を考えると、複雑な思いが残りますね。
政教分離がしっかり成されていた点は賞賛されるべき所だと思います。
現代の政治・政党は、裏側でしっかりと宗教と癒着されている部分が多いですものね(^^Aだから、余計にまとまらないのかしら・・・?
応援凸
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、御三家や御三卿という発想は、天皇家からとっているわけですか。
> 初めて知りました。
> んー、一部は知ってても、思わぬ事実が分かったりして楽しい講座です、今回も♪
有難うございます。
暗記は言うなれば点だけの存在で、いずれは消えてしまうものです。
点と点を「歴史の流れ」という名の線でつなぐことで、初めて本当の知識が得られる、というわけです(^_^)v
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > どんなに良い考えでも
> 一長一短がある様に、
> ある面では、家康のとった政策は
> 平和を齎し、国を安定させる効果は
> あったものの、やはり先日の記事にもありました様に、平和を勝ち得る為には、その犠牲も伴わなければならない点を考えると、複雑な思いが残りますね。
仰るとおりですね。
私たちが抱く「複雑な思い」については、明日(30日)以降のまとめで明らかにしていきます。
> 政教分離がしっかり成されていた点は賞賛されるべき所だと思います。
> 現代の政治・政党は、裏側でしっかりと宗教と癒着されている部分が多いですものね(^^Aだから、余計にまとまらないのかしら・・・?
現代においては政教分離といえるのか?
他国に比べれば進んでいる方だとは思いますが、判断が難しいところではありますね…。
.
アースガイド 更新もしなかったのに毎日応援していただいて申し訳ないです。
お気づかいに感謝して
今日も全ポチして帰ります!!!
アースガイドさんへ
黒田裕樹 > 更新もしなかったのに毎日応援していただいて申し訳ないです。
> お気づかいに感謝して
> 今日も全ポチして帰ります!!!
いえいえ、お互いにブログを盛り上げていければと思っておりますので。
こちらこそ、応援ありがとうございます!
.
オバrev 100%完璧な政策はありませんから、家康のとった政策は日本人の出来うる最善と言っていいんじゃないでしょうか?
ただそれが270年という年月に渡って存続するとなると当然矛盾がでてきます。
その辺も含めて検討すると現在においても随分参考になる点が多いと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 100%完璧な政策はありませんから、家康のとった政策は日本人の出来うる最善と言っていいんじゃないでしょうか?
> ただそれが270年という年月に渡って存続するとなると当然矛盾がでてきます。
> その辺も含めて検討すると現在においても随分参考になる点が多いと思います。
そうですね。我々は結果だけを見ていますから気づかないことが多いのですが、270年も同じ組織が続くのは至難の業であり、その間には当然矛盾も出てきます。
長続きさせるには同じことの繰り返しでない、良い意味での変革が必要なのでしょうね。
血のセーフティーネット
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
御三家を血のセーフティーネットにするのは
納得できたのですが
一つ疑問が残ります。
それは、
結城秀康の松平家は、この血のセーフティーネットには、入らなかったのでしょうか。
というのも
結城秀康は
徳川家康の次男であり、結城秀康の子供の松平忠直の正室は、徳川秀忠の娘の勝姫です。
しかも、石高も68万石(後に減封)であり、
徳川家康の子供で、生きているのは
徳川秀忠
御三家以外では、流罪になった徳川忠輝以外では
結城秀康しかいません。
長子相続が当たり前とするならば、将軍本家にもしものことがあれば、結城秀康の越前松平家から
将軍を出すのが筋だと思うのですが、いかがでしょうか。
青田さんへ
黒田裕樹 秀康が後継者とされなかった理由はいくつかの説があるようですね。
1.秀康の母が奔放な性格で、家康は秀康が本当に自分の子かどうか疑っていたこと。
2.秀康は一度他家に養子に出してしまっていたこと(武田勝頼とダブります。勝頼は諏訪家に養子に出されてから家督を継いだため、家臣から「諏訪者」と見下されていたという説があります)。
3.幕府を長く持たせるには、武勇抜群で剛毅な性格だった秀康よりも、凡庸な秀忠の方が自分亡き後の「将軍=お飾り」にふさわしいと家康が考えたこと。
主な理由は3.ではないかと私は見ております。
独裁システムよりも話し合いを好む我が国にでは、平時におけるトップは秀康よりも秀忠の方が向いていますからね。
政教分離の最初だとは
知りませんでした
「 私たちは家康が行った様々な努力をどう評価すべきなのでしょうか? 」
難しいですね
これからの講座を楽しみにしています
> 政教分離の最初だとは
> 知りませんでした
檀家制度の導入によって、宗教勢力は「黙っていても収入を得る」システムになってしまいましたからね。
私の過去の講座(第12回)でも詳しく紹介しております。
> 「 私たちは家康が行った様々な努力をどう評価すべきなのでしょうか? 」
> 難しいですね
> これからの講座を楽しみにしています
明日(30日)からのまとめでいよいよ核心に触れていきますので、よろしくお願いします。
初めて知りました。
んー、一部は知ってても、思わぬ事実が分かったりして楽しい講座です、今回も♪
どんなに良い考えでも
一長一短がある様に、
ある面では、家康のとった政策は
平和を齎し、国を安定させる効果は
あったものの、やはり先日の記事にもありました様に、平和を勝ち得る為には、その犠牲も伴わなければならない点を考えると、複雑な思いが残りますね。
政教分離がしっかり成されていた点は賞賛されるべき所だと思います。
現代の政治・政党は、裏側でしっかりと宗教と癒着されている部分が多いですものね(^^Aだから、余計にまとまらないのかしら・・・?
応援凸
> 初めて知りました。
> んー、一部は知ってても、思わぬ事実が分かったりして楽しい講座です、今回も♪
有難うございます。
暗記は言うなれば点だけの存在で、いずれは消えてしまうものです。
点と点を「歴史の流れ」という名の線でつなぐことで、初めて本当の知識が得られる、というわけです(^_^)v
> 一長一短がある様に、
> ある面では、家康のとった政策は
> 平和を齎し、国を安定させる効果は
> あったものの、やはり先日の記事にもありました様に、平和を勝ち得る為には、その犠牲も伴わなければならない点を考えると、複雑な思いが残りますね。
仰るとおりですね。
私たちが抱く「複雑な思い」については、明日(30日)以降のまとめで明らかにしていきます。
> 政教分離がしっかり成されていた点は賞賛されるべき所だと思います。
> 現代の政治・政党は、裏側でしっかりと宗教と癒着されている部分が多いですものね(^^Aだから、余計にまとまらないのかしら・・・?
現代においては政教分離といえるのか?
他国に比べれば進んでいる方だとは思いますが、判断が難しいところではありますね…。
お気づかいに感謝して
今日も全ポチして帰ります!!!
> お気づかいに感謝して
> 今日も全ポチして帰ります!!!
いえいえ、お互いにブログを盛り上げていければと思っておりますので。
こちらこそ、応援ありがとうございます!
ただそれが270年という年月に渡って存続するとなると当然矛盾がでてきます。
その辺も含めて検討すると現在においても随分参考になる点が多いと思います。
> ただそれが270年という年月に渡って存続するとなると当然矛盾がでてきます。
> その辺も含めて検討すると現在においても随分参考になる点が多いと思います。
そうですね。我々は結果だけを見ていますから気づかないことが多いのですが、270年も同じ組織が続くのは至難の業であり、その間には当然矛盾も出てきます。
長続きさせるには同じことの繰り返しでない、良い意味での変革が必要なのでしょうね。
こんばんは
青田です。
御三家を血のセーフティーネットにするのは
納得できたのですが
一つ疑問が残ります。
それは、
結城秀康の松平家は、この血のセーフティーネットには、入らなかったのでしょうか。
というのも
結城秀康は
徳川家康の次男であり、結城秀康の子供の松平忠直の正室は、徳川秀忠の娘の勝姫です。
しかも、石高も68万石(後に減封)であり、
徳川家康の子供で、生きているのは
徳川秀忠
御三家以外では、流罪になった徳川忠輝以外では
結城秀康しかいません。
長子相続が当たり前とするならば、将軍本家にもしものことがあれば、結城秀康の越前松平家から
将軍を出すのが筋だと思うのですが、いかがでしょうか。
1.秀康の母が奔放な性格で、家康は秀康が本当に自分の子かどうか疑っていたこと。
2.秀康は一度他家に養子に出してしまっていたこと(武田勝頼とダブります。勝頼は諏訪家に養子に出されてから家督を継いだため、家臣から「諏訪者」と見下されていたという説があります)。
3.幕府を長く持たせるには、武勇抜群で剛毅な性格だった秀康よりも、凡庸な秀忠の方が自分亡き後の「将軍=お飾り」にふさわしいと家康が考えたこと。
主な理由は3.ではないかと私は見ております。
独裁システムよりも話し合いを好む我が国にでは、平時におけるトップは秀康よりも秀忠の方が向いていますからね。