しかし、征夷大将軍になるといっても、かつての源頼朝や足利尊氏がそうであったように、源氏の血を引いていなければ将軍になれないという不文律(ふぶんりつ、文章で表現されていない規定のこと)があったのですが、家康はこの規定をあっさりとクリアしていました。そのカギを握ったのが「松平」から「徳川」への改姓です。
松平家はそもそも賀茂氏(かもし)の出身とされていましたが、源氏の血を引く新田氏(にったし)の末裔(まつえい、子孫のこと)である得川氏(とくがわし)が松平家に婿養子(むこようし)として入ったのがルーツであると朝廷に認められ、得川を「徳川」と名乗ることで改姓に成功しました。
手法自体は強引であったものの、朝廷によって「源氏の末裔」であることが公的に認められた家康は、関ヶ原の戦いの後に征夷大将軍に就任することに成功して、江戸幕府の開設に大きく前進することになりました。
ですが、せっかく創設された徳川家も子孫が絶えてしまっては元も子もありません。思案した家康が注目したのは、1000年をはるかに超える長い年月の間ずっと血統を保ち続けている皇室に隠(かく)された宮家という名のシステムでした。




いつも有難うございます。
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風早 りら 松平家はそもそも賀茂氏(かもし)の出身とされていましたが、源氏の血を引く新田氏(にったし)の末裔(まつえい、子孫のこと)である得川氏(とくがわし)が松平家に婿養子(むこようし)として入ったのがルーツであると朝廷に認められ、得川を「徳川」と名乗ることで改姓に成功しました。
あの手この手作戦で
家康はすさまじい人ですね
ここまで知恵がよく働くと思います
でも 現代何故か人気はあまりありません
.
ぴーち こんばんは!
「得川」から「徳川」ですか。
確かに漢字の意味合いからしても、
「得」は、利益などという露骨な意味合いがありますが、
「徳」のほうですと、品格、品性と言う良いイメージがありますので、
同じ呼び名でも、改名したくなりますよね。
まさに、家康の下心を隠そうとする改名ですかね^^;
応援凸
PS・鯉さん、凄い勢いですね!!
2連勝おめでとうございます☆
明日は頑張ります(^^A
風早りらさんへ
黒田裕樹 > あの手この手作戦で
> 家康はすさまじい人ですね
> ここまで知恵がよく働くと思います
> でも 現代何故か人気はあまりありません
確かに頭がよく働きますよね。
でも人気がない。それには理由があるのですが…。
いずれこの講座で紹介させていただきます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「得川」から「徳川」ですか。
> 確かに漢字の意味合いからしても、
> 「得」は、利益などという露骨な意味合いがありますが、
> 「徳」のほうですと、品格、品性と言う良いイメージがありますので、
> 同じ呼び名でも、改名したくなりますよね。
> まさに、家康の下心を隠そうとする改名ですかね^^;
確かにそういうイメージがありますよね。
日本人が重要視する「徳」にこだわったのかもしれません。
カープは残された試合を全部勝つつもりで頑張ってほしいものです。
.
そうめん 徳川氏は元は「得川」だったんですか・・
参考になりました(^^;)
・・良く頭が働きますね。。。
そうめんさんへ
黒田裕樹 > 徳川氏は元は「得川」だったんですか・・
> 参考になりました(^^;)
> ・・良く頭が働きますね。。。
確かに良く頭が回りますね…。
徳川家のためにあらゆる手段を尽くす。これも一つの生きざまですね。
旧宮家
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
天皇が、なぜ、1000年を越える血統を保ってきたのかは、不思議だったのですが
それは、宮家にあったのですね。
そこで、黒田先生にお尋ねしたいことがあります。
戦後、GHQによって、廃止された宮家があると
聞きましたが
もし、今後、未来において、直系の男系の皇位継承権者がいなくなった場合、旧宮家の復活は
必要だとお考えですか?
それと、1000年の間、宮家は、どのくらいまで
遡って、皇位継承者を選んできたのでしょうか。
というのも、
徳川幕府でも、
将軍家の直系が7代で途絶え、
徳川吉宗の直系が9代~14代で途絶え
最後の将軍の15代は、水戸家からでした。
1000年を越える血統を保とうと思うと
かなりの宮家の存在が必要になると思います。
青田さんへ
黒田裕樹 皇室の未来のことを思えば、確かに旧宮家の復活は考えるべきかもしれませんね。
かつて江戸時代に閑院宮家があったお蔭で皇統を維持できたということもありましたから。
幕府
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
この幕府について、いつも疑問に思うことがあります。
それは、徳川家康は、織田信長、豊臣秀吉のように天下取りのレースで、当初、西に向かわなかったのに結果的に幕府を開き、天下を取りました。
鎌倉時代の源頼朝、その後の北条氏も京に上らず、鎌倉幕府を開きました。
そう考えると、
京に上る= 天下を取る
とは、一概には、言えないようですね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 天下を取るといっても、武士の本拠地は伝統的に東国ですからね。
戦国大名も大部分は自己の領地拡大が最大の目的であり、上洛を目指したのはむしろ少数でした。
その目的も、当時の幕府が京都にあって、幕府に対して何らかの利益を得ようとするのが主な目的でした(もちろん朝廷とのパイプをつくることもありましたが)。
そう考えれば、天下を取ることは必ずしも上洛することとは言えないかもしれません。
ただし、上記のカッコ書きのように、朝廷とのつながりを保つために一度は上洛する必要はあったと思われますが。
あの手この手作戦で
家康はすさまじい人ですね
ここまで知恵がよく働くと思います
でも 現代何故か人気はあまりありません
「得川」から「徳川」ですか。
確かに漢字の意味合いからしても、
「得」は、利益などという露骨な意味合いがありますが、
「徳」のほうですと、品格、品性と言う良いイメージがありますので、
同じ呼び名でも、改名したくなりますよね。
まさに、家康の下心を隠そうとする改名ですかね^^;
応援凸
PS・鯉さん、凄い勢いですね!!
2連勝おめでとうございます☆
明日は頑張ります(^^A
> 家康はすさまじい人ですね
> ここまで知恵がよく働くと思います
> でも 現代何故か人気はあまりありません
確かに頭がよく働きますよね。
でも人気がない。それには理由があるのですが…。
いずれこの講座で紹介させていただきます。
> 確かに漢字の意味合いからしても、
> 「得」は、利益などという露骨な意味合いがありますが、
> 「徳」のほうですと、品格、品性と言う良いイメージがありますので、
> 同じ呼び名でも、改名したくなりますよね。
> まさに、家康の下心を隠そうとする改名ですかね^^;
確かにそういうイメージがありますよね。
日本人が重要視する「徳」にこだわったのかもしれません。
カープは残された試合を全部勝つつもりで頑張ってほしいものです。
参考になりました(^^;)
・・良く頭が働きますね。。。
> 参考になりました(^^;)
> ・・良く頭が働きますね。。。
確かに良く頭が回りますね…。
徳川家のためにあらゆる手段を尽くす。これも一つの生きざまですね。
こんばんは
青田です。
天皇が、なぜ、1000年を越える血統を保ってきたのかは、不思議だったのですが
それは、宮家にあったのですね。
そこで、黒田先生にお尋ねしたいことがあります。
戦後、GHQによって、廃止された宮家があると
聞きましたが
もし、今後、未来において、直系の男系の皇位継承権者がいなくなった場合、旧宮家の復活は
必要だとお考えですか?
それと、1000年の間、宮家は、どのくらいまで
遡って、皇位継承者を選んできたのでしょうか。
というのも、
徳川幕府でも、
将軍家の直系が7代で途絶え、
徳川吉宗の直系が9代~14代で途絶え
最後の将軍の15代は、水戸家からでした。
1000年を越える血統を保とうと思うと
かなりの宮家の存在が必要になると思います。
かつて江戸時代に閑院宮家があったお蔭で皇統を維持できたということもありましたから。
こんばんは
青田です。
この幕府について、いつも疑問に思うことがあります。
それは、徳川家康は、織田信長、豊臣秀吉のように天下取りのレースで、当初、西に向かわなかったのに結果的に幕府を開き、天下を取りました。
鎌倉時代の源頼朝、その後の北条氏も京に上らず、鎌倉幕府を開きました。
そう考えると、
京に上る= 天下を取る
とは、一概には、言えないようですね。
戦国大名も大部分は自己の領地拡大が最大の目的であり、上洛を目指したのはむしろ少数でした。
その目的も、当時の幕府が京都にあって、幕府に対して何らかの利益を得ようとするのが主な目的でした(もちろん朝廷とのパイプをつくることもありましたが)。
そう考えれば、天下を取ることは必ずしも上洛することとは言えないかもしれません。
ただし、上記のカッコ書きのように、朝廷とのつながりを保つために一度は上洛する必要はあったと思われますが。