古墳時代も中期に入った5世紀前半には、大阪府羽曳野市にある応神天皇陵(おうじんてんのうりょう)や、大阪府堺市堺区にある仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)などの巨大な前方後円墳がつくられました。
尚、最近の教科書では応神天皇陵のことを「誉田御廟山古墳」(こんだごびょうやまこふん)、仁徳天皇陵のことを「大仙陵古墳」(だいせんりょうこふん)と記しています。
これらの古墳は、平野のなかに墳丘を盛り上げて、周囲に濠(ほり)をめぐらせた構造をしています。中でも仁徳天皇陵は、全長486メートルと世界最大級の大きさの陵墓(りょうぼ)として有名ですね。
では、なぜこの時期にこれだけの大きな古墳が作られたのでしょうか?




いつも有難うございます。
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スズメちゃん
以前、仁徳天皇陵の周りを歩きましたが・・・
途中で諦めました。
すっごく大きかったです。
難しい漢字
オバrev コンダゴビョウヤマ コフン?
日本史って難しい漢字が結構出てきた気がします。
特に人や制度の名前は難しいのが多かったような?
そうとうな労力が必用ですから、このころの大和朝廷の権力がそれだけ大きかったということですかね??
ヒロキ 仁徳天皇陵って鍵穴のような形してますよねー
かなり不思議な形してます(*^_^*)
でも仁徳天皇陵に仁徳天皇が埋葬されてるかは分かってないんでしたっけ??
確か宮内庁が禁止してるとかどうとかで・・・。
スズメちゃん様
黒田裕樹 長さだけで500m近くありますから、周囲を歩くだけでも大変ですよね。ジョギングにはちょうどいいかもしれませんが…。
オバrev様
黒田裕樹 確かに難しい漢字が多いです。特に古代は当て字などがある上に、読み方が現代とは全く異なりますからなおさらですよね。漢字の分かりにくさゆえに日本史を断念する生徒も多いんですよ。もったいないですよね。
確かにこれだけの古墳を作ろうと思えば相当な労力が必要であり、それが出来るということは為政者に相応の実力があったという証明でもあります。
でも、仁徳天皇の伝説の場合はそれだけではないんですよ。それは…明日の更新をお楽しみに(笑)。
ヒロキ様
黒田裕樹 仰るとおり、最近では仁徳天皇が埋葬されている説が否定される傾向にあります。教科書で「大仙陵古墳」と味気ない名前にされているのもそのせいです。
宮内庁が発掘を禁止しているのが否定説に拍車をかけていますね。残念なことです。
「かぎ穴の形」が前方後円墳の大きな特徴ですよ。
ことぶきのこめや 仁徳天皇陵が大仙古墳と呼ばれるからには、もはや天皇陵ではないというのが、ほぼ確定なんでしょうね。
せっかく世界最大級のお墓なんだから、誰が眠っているか明らかにして、世界に誇るべきだと思います。
ケンシロウ こんにちは。
古墳の大きさでも競っていたのですかね?
もし大きさを競っていたとしたら
後発が有利なわけですが
権力がなければ大きく作れないし。
何故大きな古墳を作ったのか
おいらには分かりません。
ことぶきのこめや様
黒田裕樹 別のご訪問の方へのコメントにも書きましたが、学術調査は宮内庁の反対で出来ないのです。「天皇の墓」をあばく様な行為は問題があるのかもしれませんが…。
ただ、世界最大級の陵墓が我が国に自然な形で残されているという点に関しては、仰るように世界に誇るべき我が国の財産であると思います。
ケンシロウ様
黒田裕樹 巨大な古墳を作った理由としては、様々な考えがあります。
1.故人の遺徳をしのび、できるだけ立派な墓をたてる。
2.大きな墓を生前中に建てることにより、自分の力を誇示する。
秦の始皇帝の墓は2.の考えが強いようですが、我が国では主に1.の理由で建てられたのではないかと考えております。なぜかというと…明日の講座でお話します。
bunyan こんにちは~
昨日NHK教育テレビで古墳時代の講座を放送していましたよ。
放送によると巨大古墳はまだ出てくる可能性があるそうです。
今は近畿地方や関東に集中しているそうですが、調査次第で、どこで発見されるか見ものですね。
bunyan様
黒田裕樹 そうなんですか。
もし発見されれば、古代史を大幅に塗り替える可能性がありますから楽しみですね。
以前、仁徳天皇陵の周りを歩きましたが・・・
途中で諦めました。
すっごく大きかったです。
日本史って難しい漢字が結構出てきた気がします。
特に人や制度の名前は難しいのが多かったような?
そうとうな労力が必用ですから、このころの大和朝廷の権力がそれだけ大きかったということですかね??
かなり不思議な形してます(*^_^*)
でも仁徳天皇陵に仁徳天皇が埋葬されてるかは分かってないんでしたっけ??
確か宮内庁が禁止してるとかどうとかで・・・。
確かにこれだけの古墳を作ろうと思えば相当な労力が必要であり、それが出来るということは為政者に相応の実力があったという証明でもあります。
でも、仁徳天皇の伝説の場合はそれだけではないんですよ。それは…明日の更新をお楽しみに(笑)。
宮内庁が発掘を禁止しているのが否定説に拍車をかけていますね。残念なことです。
「かぎ穴の形」が前方後円墳の大きな特徴ですよ。
せっかく世界最大級のお墓なんだから、誰が眠っているか明らかにして、世界に誇るべきだと思います。
古墳の大きさでも競っていたのですかね?
もし大きさを競っていたとしたら
後発が有利なわけですが
権力がなければ大きく作れないし。
何故大きな古墳を作ったのか
おいらには分かりません。
ただ、世界最大級の陵墓が我が国に自然な形で残されているという点に関しては、仰るように世界に誇るべき我が国の財産であると思います。
1.故人の遺徳をしのび、できるだけ立派な墓をたてる。
2.大きな墓を生前中に建てることにより、自分の力を誇示する。
秦の始皇帝の墓は2.の考えが強いようですが、我が国では主に1.の理由で建てられたのではないかと考えております。なぜかというと…明日の講座でお話します。
昨日NHK教育テレビで古墳時代の講座を放送していましたよ。
放送によると巨大古墳はまだ出てくる可能性があるそうです。
今は近畿地方や関東に集中しているそうですが、調査次第で、どこで発見されるか見ものですね。
もし発見されれば、古代史を大幅に塗り替える可能性がありますから楽しみですね。