守護や地頭の任命権は幕府にあったため、幕府の保護を受けた地頭が勢力を拡大していくことによって、武士の悲願であった「自ら所有する土地の権利を正式に認めてもらう」道を開くことになりました。
頼朝による「武士のための政治」が実現したことで、鎌倉幕府の未来は順風満帆(じゅんぷうまんぱん)のはずだったのですが、ここで頼朝が大きな失敗をしてしまいます。1195年に、頼朝は自分の娘を天皇の妃(きさき)にしようと計画したのですが、これは絶対にやってはいけない「禁じ手」でした。
「自分の娘を天皇の妃とし、生まれた皇子が天皇に即位して自分は外戚となる」という手法は、平氏政権のやり方と全く同じだからです。つまり、源氏が貴族化する道を開くことになり、武士の権利が再び朝廷に奪われるかもしれないという危機感を与えてしまったのでした。
結果的に頼朝の思惑(おもわく)は失敗に終わりましたが、武士たちからすれば、頼朝の行為は重大な裏切りであり、許せないことだったのです。




いつも有難うございます。
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紗那 なるほど、武士からの厚い信頼を築いたために、逆に裏切られたと感じられて心が離れるのも一瞬。。。
難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
紗那さんへ
黒田裕樹 > なるほど、武士からの厚い信頼を築いたために、逆に裏切られたと感じられて心が離れるのも一瞬。。。
> 難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
人の心は移ろいやすいものですからね。ましてや一度痛い目にあっているだけに、許すことができなかったのでしょうね。
頼朝にしてみれば、源氏の血を永遠のものとするための策だったのでしょうが、歴史に学んでいないあたりが、やはり根が「坊ちゃん育ち」だったのかもしれません。
.
ぴーち こんばんは!
人間の欲望と言うのは、際限が無いものですね。。
一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
野望と言う麻薬に洗脳されて
しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
応援凸
.
風早 りら 頼朝は自分の娘を天皇の妃
またまた ですよね
これ以前もまたこの後も
この同じ事を繰り返して
いますよね
江戸時代になってもです
全く こりませんよね
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 人間の欲望と言うのは、際限が無いものですね。。
> 一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
> 次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
> 勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
> 野望と言う麻薬に洗脳されて
> しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
頼朝の場合は、「武家の棟梁」という絶大な地位にありながら、朝廷から政治の実権を完全に奪った初めての政権だっただけに、多分に後ろめたいところがあったのではないかと思われます。
だからこそ、皇室の外戚という後ろ盾が欲しかったのでしょうが、これこそまさに「いつか来た道」。仰るとおり正常な判断を失ったのでしょうね。
一度裏切った人間やその一族の末路は…。
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 頼朝は自分の娘を天皇の妃
> またまた ですよね
> これ以前もまたこの後も
> この同じ事を繰り返して
> いますよね
> 江戸時代になってもです
> 全く こりませんよね
いつの世も人間のやることに変わりはないということでしょうか。
「歴史に学ばない」人間の末路は哀れですよね。
.
智里 今更ながら16回の講座の続きを見ております。
なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
欲たけるとダメなんですね。
智里さんへ
黒田裕樹 > 今更ながら16回の講座の続きを見ております。
有難うございますm(_ _)m
私自身も復習として勉強になります(^_^)v
> なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
> それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
> 欲たけるとダメなんですね。
まさにそのとおりです。
「武士のための政治」が「源氏のための政治」に変質した段階で、武士の心があっという間に離れてしまったのですから、政治というものは本当に恐ろしいですね。
武家政権の不思議さ
青田です。 黒田先生
おはようございます。
青田です。
武家政権というのを当たり前のように考えていましたが、
海外を観ると
王様(または、皇帝)→貴族→騎士階級→市民
という階級社会が歴史的には、普通です。
(ヨーロッパ社会)
そう考えると、
鎌倉幕府以後から、始まる武士による政権の樹立というのは、世界的に観ても画期的だったですね。
そう考えると、源頼朝が、武家政権を創ったものの、朝廷に娘を嫁がせるのは、心の中で
『何という大胆なことをしてしまった。』という気持ちもあったんでしょうね。
それにしても、源頼朝は、本当の意味の社会の改革者ですね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、世界史的に見ても例のないことですね。
ちょうど現在(平成23年10月)、第26回歴史講座の更新を行っておりますが、藤原氏に関連して武家政権にも言及しております。
頼朝については私も同感ですね。
難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
> 難しいところですが、安全策をとろうとした頼朝の気持ちも分かる気がします。
人の心は移ろいやすいものですからね。ましてや一度痛い目にあっているだけに、許すことができなかったのでしょうね。
頼朝にしてみれば、源氏の血を永遠のものとするための策だったのでしょうが、歴史に学んでいないあたりが、やはり根が「坊ちゃん育ち」だったのかもしれません。
人間の欲望と言うのは、際限が無いものですね。。
一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
野望と言う麻薬に洗脳されて
しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
応援凸
またまた ですよね
これ以前もまたこの後も
この同じ事を繰り返して
いますよね
江戸時代になってもです
全く こりませんよね
> 一つの願いが叶うと、それに満足出来ずに、また一つ欲求が生まれてしまうもの。
> 次第にその思うがエスカレートしていき、結局はチキンレースの様に、
> 勢い余って自ら谷底へまっしぐら。
> 野望と言う麻薬に洗脳されて
> しまうとやはり正常で冷静な判断が鈍ってしまうのでしょうかね。。
頼朝の場合は、「武家の棟梁」という絶大な地位にありながら、朝廷から政治の実権を完全に奪った初めての政権だっただけに、多分に後ろめたいところがあったのではないかと思われます。
だからこそ、皇室の外戚という後ろ盾が欲しかったのでしょうが、これこそまさに「いつか来た道」。仰るとおり正常な判断を失ったのでしょうね。
一度裏切った人間やその一族の末路は…。
> またまた ですよね
> これ以前もまたこの後も
> この同じ事を繰り返して
> いますよね
> 江戸時代になってもです
> 全く こりませんよね
いつの世も人間のやることに変わりはないということでしょうか。
「歴史に学ばない」人間の末路は哀れですよね。
なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
欲たけるとダメなんですね。
有難うございますm(_ _)m
私自身も復習として勉強になります(^_^)v
> なるほどね~(。・ω・)(。-ω-)ウンウン
> 目先の利益を得るために、せっかくの信頼を無くすなんて・・・・。
> それなりの権力を持ったのに、さらにその上の権力を欲するとはね。
> 欲たけるとダメなんですね。
まさにそのとおりです。
「武士のための政治」が「源氏のための政治」に変質した段階で、武士の心があっという間に離れてしまったのですから、政治というものは本当に恐ろしいですね。
おはようございます。
青田です。
武家政権というのを当たり前のように考えていましたが、
海外を観ると
王様(または、皇帝)→貴族→騎士階級→市民
という階級社会が歴史的には、普通です。
(ヨーロッパ社会)
そう考えると、
鎌倉幕府以後から、始まる武士による政権の樹立というのは、世界的に観ても画期的だったですね。
そう考えると、源頼朝が、武家政権を創ったものの、朝廷に娘を嫁がせるのは、心の中で
『何という大胆なことをしてしまった。』という気持ちもあったんでしょうね。
それにしても、源頼朝は、本当の意味の社会の改革者ですね。
ちょうど現在(平成23年10月)、第26回歴史講座の更新を行っておりますが、藤原氏に関連して武家政権にも言及しております。
頼朝については私も同感ですね。