神武天皇による建国のご意思は、長いあいだ我が国の理想として絶えることなく伝承され続け、明治時代には「紀元節」として祭日となり、大東亜戦争の終戦後も、昭和23(1948)年の前半頃までは、官庁や学校で祝典が開催されていました。
しかし、GHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)の命令によって新たに国会で祝日法を制定することになった際に、日本人が心を一つにして国の誕生日を祝うことが、日本人の団結心をもたらすとともに、占領に「悪影響」が出ることが予想されたため、紀元節が一方的に廃止されてしまったのです。
その後、我が国が独立を回復する以前から、紀元節の復活を望む声が国民のあいだで高まってきましたが、米ソの冷戦や安保闘争などの保革激突によって実現できませんでした。
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