惣村では、結合の中心となった宮座(みやざ)と呼ばれる神社の氏子(うじこ)組織による村の神社の祭礼や、農業における共同作業、あるいは戦乱に対する自衛などを通して、村民たちの結合への意識を高めていきました。このような惣村を構成する村民を惣百姓(そうびゃくしょう)といいます。
惣村は村民の代表者で構成される寄合(よりあい)の協議に基づいて、乙名(長=おとな)、沙汰人(さたにん)、年寄(としより)などと呼ばれた村の指導者によって運営されました。また、村民は村の規則である惣掟(そうおきて、別名を村法=そんぽう)を定めたり、村内の秩序を維持するために村民自身が警察権を行使したりすることもありました。ちなみに後者のことを地下検断(じげけんだん、別名を自検断=じけんだん)といいます。
やがて惣村では、薪炭(しんたん、たきぎやすみなどの燃料のこと)や肥料用の草木(そうもく)を育てるためなど、農業生産に必要な山や野原などの共同利用地である入会地(いりあいち)を確保したり、灌漑用水(かんがいようすい)を管理したりするようになりました。
また、それまでは守護や地頭が請負(うけお)っていた年貢(ねんぐ)を、惣全体でひとまとめにして請負うという地下請(じげうけ、別名を村請=むらうけ、または百姓請(ひゃくしょううけ)も広がっていきました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
現代で言う所の「自警団」の前衛的な存在でしょうか。
その時代時代で色々な呼び名が
存在するので
私の中では既に
糸引き飴の様に、途中が絡んでしまっていますが(笑)
でも、黒田さんの懇切丁寧な解説で、これから少しずつ解きほぐしていけたらと期待します♪
応援凸
黒田先生.
風早 りら 村民の代表者で構成される寄合
今も使われている 寄合
ここからきているんですね
年寄などと呼ばれた村の指導者
相撲の年寄の名前はここから
きているのでしょうか
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 現代で言う所の「自警団」の前衛的な存在でしょうか。
> その時代時代で色々な呼び名が
> 存在するので
> 私の中では既に
> 糸引き飴の様に、途中が絡んでしまっていますが(笑)
> でも、黒田さんの懇切丁寧な解説で、これから少しずつ解きほぐしていけたらと期待します♪
今回あたりの項目は歴史の授業でもあまり触れないところですから、なじみがないかもしれませんが、次回(17日)以降の内容と密接にかかわってくるので、できる限り簡潔にまとめたつもりでしたので、ぴーちさんのお言葉は本当に励みになります(^_^)v
この三日間でぜひ解きほぐしてください(^^♪
風早りらさんへ
黒田裕樹 > 村民の代表者で構成される寄合
> 今も使われている 寄合
> ここからきているんですね
> 年寄などと呼ばれた村の指導者
> 相撲の年寄の名前はここから
> きているのでしょうか
寄合の語源は仰るとおりで間違いないと思います。
年寄ですが、江戸時代に江戸の治安を守るために町年寄を置いており、こちらが由来だと思われます。
大相撲との関連はいまひとつはっきりしませんが、関連があったら面白いですね。
そう言えば・・・
オバrev おお、そう言えばまだ室町時代の途中でした(^^ゞワスレテタ
この惣という名前は、聞いたことはありますが今回のように詳しい話は初めてです。
惣村の中心が宮座だったと言うことは、このころには各村落に神社があって、仏教よりも神道が信仰されていたということでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > おお、そう言えばまだ室町時代の途中でした(^^ゞワスレテタ
そうなんですよ(笑)。もっとも、またすぐに歴史講座に突入してしまいますが(^^ゞ
> この惣という名前は、聞いたことはありますが今回のように詳しい話は初めてです。
> 惣村の中心が宮座だったと言うことは、このころには各村落に神社があって、仏教よりも神道が信仰されていたということでしょうか?
この当時は神仏習合でしたから、あまり意識していなかったのではと思われます。もっとも、この後に一向宗が爆発的に勢力を拡大して、仏教主体に変化してしまうという見方もできますが。
現代で言う所の「自警団」の前衛的な存在でしょうか。
その時代時代で色々な呼び名が
存在するので
私の中では既に
糸引き飴の様に、途中が絡んでしまっていますが(笑)
でも、黒田さんの懇切丁寧な解説で、これから少しずつ解きほぐしていけたらと期待します♪
応援凸
今も使われている 寄合
ここからきているんですね
年寄などと呼ばれた村の指導者
相撲の年寄の名前はここから
きているのでしょうか
> その時代時代で色々な呼び名が
> 存在するので
> 私の中では既に
> 糸引き飴の様に、途中が絡んでしまっていますが(笑)
> でも、黒田さんの懇切丁寧な解説で、これから少しずつ解きほぐしていけたらと期待します♪
今回あたりの項目は歴史の授業でもあまり触れないところですから、なじみがないかもしれませんが、次回(17日)以降の内容と密接にかかわってくるので、できる限り簡潔にまとめたつもりでしたので、ぴーちさんのお言葉は本当に励みになります(^_^)v
この三日間でぜひ解きほぐしてください(^^♪
> 今も使われている 寄合
> ここからきているんですね
> 年寄などと呼ばれた村の指導者
> 相撲の年寄の名前はここから
> きているのでしょうか
寄合の語源は仰るとおりで間違いないと思います。
年寄ですが、江戸時代に江戸の治安を守るために町年寄を置いており、こちらが由来だと思われます。
大相撲との関連はいまひとつはっきりしませんが、関連があったら面白いですね。
この惣という名前は、聞いたことはありますが今回のように詳しい話は初めてです。
惣村の中心が宮座だったと言うことは、このころには各村落に神社があって、仏教よりも神道が信仰されていたということでしょうか?
そうなんですよ(笑)。もっとも、またすぐに歴史講座に突入してしまいますが(^^ゞ
> この惣という名前は、聞いたことはありますが今回のように詳しい話は初めてです。
> 惣村の中心が宮座だったと言うことは、このころには各村落に神社があって、仏教よりも神道が信仰されていたということでしょうか?
この当時は神仏習合でしたから、あまり意識していなかったのではと思われます。もっとも、この後に一向宗が爆発的に勢力を拡大して、仏教主体に変化してしまうという見方もできますが。