新たに皇太子となった子の安殿(あて)親王も病気がちとなり、事態の深刻さに慌(あわ)てられた桓武天皇は、これらの「早良親王のタタリ」とも思える現状を打破するために、延暦13(794)年に平安京(へいあんきょう)に再遷都されました。
桓武天皇は平安京への遷都と同時に、都が置かれた山背国を「城で守る」意味から「山城国」と名を改められました。以後、鎌倉幕府成立までの約400年間を「平安時代」といいます。なお、桓武天皇は都を遷(うつ)した際に平城京付近の南都(なんと)の寺院の移転を許可されませんでしたが、これは「旧来の仏教勢力を抑えるため」であったとされています。
しかし、平安京に都を移した後に、新たな仏教の寺院は建立(こんりゅう)できたとしても、仏教のさらなる発展や平安京以後の国家の安定をどうするかという大きな課題がありました。このため、朝廷は唐(とう)へ渡った二人の僧に新たな仏教を広めさせることになります(詳しくは後述します)。
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