自主外交路線をめざし、対ソ問題の解決に取り組んでいた鳩山一郎首相は、第三次内閣の時の昭和31(1956)年10月に自らがモスクワを訪問し、ソ連のブルガーニン首相との間で「日ソ共同宣言」に調印して国交を回復させました。
日ソ共同宣言によって、他の東欧諸国との国交が正常化したほか、ソ連が日本の国連加盟に反対しなくなったので、同年12月に我が国はようやく国際連合への加盟を実現させました。
しかしながら、日ソ共同宣言では領土問題に関して意見の一致を見出すことができなかったため、我が国固有の領土である国後島(くなしりとう)・択捉島(えとろふとう)・歯舞群島(はぼまいぐんとう)・色丹島(しこたんとう)のいわゆる「北方領土」はいまだに返還されておらず、また、現在のロシアとのあいだには「平和条約」が締結されていません。
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